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テーマ:たわごと(26724)
カテゴリ:日記のようなもの
昼間に、東京大空襲を特集したNHKスペシャル(再放送)を見た。
二つの番組の連続放送で、片方は被害者側から。もう片方は爆撃した側の視点から作成された番組だった。 被害者側からの証言は、10万人規模の死者が出たという事は知っていたものの、実際に空襲に遭い生き延びた人々の言葉のリアルさはやはり半端では無かった。堤防の杭に叔母と並んでつかまっていたけれど、叔母はもうだめだと言って沈んでいき、当時八歳だったその人はその叔母の防空頭巾の上の部分だけ掴んでいたけれどやがて手を離してしまったとか。 空襲後、人々が折り重なるように死んでいる様子を描いた絵も芸術性云々を抜いた所で非常に訴えてくるものがあったし、おそらく炭化して原型を留めていない死者の写真も、『見せるなよ、オイ』て言いたくなるようなものだった。 空襲当時の地上からの動画映像もあって、炎に建物が巻かれる様を見てると、当時の人達が終戦後理屈抜きで戦争反対軍隊保持反対を叫んだ気持ちも判るような気がした。 翻って、B29で東京を爆撃したパイロット達の言葉。 こちらの方が個人的には感じるところが多かった。 まず第一に、被害者側より加害者側の方が発言しずらい筈。 NHKのインタビュアーは個人的にかなり好きではないのだが、それはお約束の質問をするからだ。 『当時はそれが(任務遂行の為とかで)正しいと思ったとしても、今でも正しいと思いますか?』 『戦争終結の早道の為に必要な行為だったとしても、人道的に正しいと言い切れますか?』 『下にいる人達のことは考えなかったのですか?』 あるパイロットの反論が私は非常に気に入った。 その人はこう言い切った。 『私は当時も正しいことをしたと思ってるし、今でもそう思って誇りに感じている。何故なら、もし都市部への大空襲を行わず上陸して地上戦が始まっていたとしよう。そうなっていた場合、日本側だけで百万人以上の死者が出ていたとの試算がある。そうしなかったことによって、救われた命というのも確かにあると思う。だから私は今でも後悔していない』 この主張は空襲の被害者側や現代の人達からすると理解しにくいかも知れないが、硫黄島や沖縄の地上戦でどれくらいの被害者が双方に出ていたか調べてみれば、この主張は誇張ではない可能性がある。 今回のスペシャルでも私の一番気にいらなかった点は作戦の立案者側は取材せず現場のパイロット達の意見のみ拾っていることだったが、それにしても戦争は戦争。 ある別のパイロットも言っていたけれど、彼らの仕事とは任務を遂行し、みんな無事に帰頭し、戦争を切り抜けてまた普通の生活に帰れるようにすること。国の指導者側とすればその責任を"自国民側"に対してのみ負うという基本を、その視点をNHKは根本的に無視している。おそらくは意図的に。だから自国民側の犠牲を最小限に抑える為ならどんな有効な手段でも取られるべきなのだ。(毒ガスとかは禁止されてるけれど核兵器が開発保持されてる事実は現代でも根本思想は何も変わっていないという事です) 日本人の肌には合わない考え方かも知れませんが。 硫黄島の戦闘に参加し、日本兵を通して日本人を人とも思わないようになって東京空襲にも参加したあるパイロットもインタビューを受けていましたが、彼の4男の奥さんは日本人で、日本にいる孫に会いに行っている姿も映されていました。 彼は終戦後度々日本を訪れるようになって、東京を歩いて初めてそこにいたのが普通の人々であって自分がそこに爆弾を落としたのだと理解できるようになったと言っていました。 東京空襲の被害者の記念館(?)にも寄って、そこで先述の黒く炭化して人間としての原型を留めていない被害者の写真を見た時の彼の目は潤み、「あんな酷いものは見たことがない」というようなことを言っていました。 しかしその彼にしろ、当時自分達は正しいことをした、と言っています。当時の自分達のしたことを否定するのであれば、戦死した仲間達の死が無意味なものになってしまうから、と。 その人の見たことのある悪夢というのが非常に印象に残りました。 『日本とアメリカの間に再び戦争が起こって、日本にいる孫とアメリカにいる孫が両方とも爆撃機に乗ってお互いを爆撃しようと出撃し途中ですれ違うという夢を見たんだ。あれは、最悪だった』 数少ない、見る価値のある番組でした。 今日は他の番組で、放送の持つ役割や力として、ラジオも取り上げられていて、その端的な例として、新潟の震災で孤立した村がラジオを頼りにその数日間を耐えたという話と、ルワンダの虐殺を引き起こしたラジオの嘘の放送の話が取り上げられていました。 天災時等のラジオ放送の有効性は今更言うまでも無いのですが、放送の真逆を確かめようのない社会で一方的に相手が自分達を殺そうとしている、だから先に殺してしまえ!と焚きつけられた事が虐殺を引き起こした(一つの)引き金になったというのは見てて怖いものがありました。 当時難民になって逃げ延び、その後ルワンダに戻って娘が聞いていたラジオが怖くて取り上げて壊してしまった事があるという人のインタビューも印象的でした。その彼女にしても、現在はもうラジオは怖くなくなったけれど、やはり情報の入手源としてのラジオは必要だと言うのだから、別の怖さは残ります。 その虐殺が起きた当時の映像で血溜りに浸っている死体とかも生々しく映されていて、こういうものこそ「放送して良いものかどうか」と私は感じました。 東京空襲(別に空襲は他の都市でもあったけど)で炭化した死体とかもインパクトが強かったのですが、特に最近はテロの爆発の瞬間の画像までスクープのように流されることがありますが、『どこまで放送されるべきなのか?』というのはきちんと考えるべき問題だと思います。 実際に起こっていることなのだから、目をそらすな!、と言われればそうかも知れませんが、世界はお花畑で埋まっているとは思わない私にでさえ刺激が強すぎる日常画像は多いです。 そんなことを感じ考えた翌朝、フジテレビの朝のニュースの時間帯に、女性のファッション、最近はこんなアイテムが流行!とかで、セットで5-10万くらいのコーディネイト姿が出てくるのですが、あれ朝にやる意味あるんでしょうか? 東京テレビの朝アニメくらいの他局との放送コンテンツの差別化といえばそうなるのでしょうが・・・。とりあえずフジテレビの放送内容なんて全く心配するレベルには無いと感じますねぇ。ホリエモンが同社の議決権握ろうが握るまいが、ね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.03.22 13:29:24
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