ある日ぼくがいた場所

2009/12/10(木)00:26

マニフェスト選挙の先にあるもの

政治関連(364)

マニフェストそのものを守ることの意味はかみぽこさんのエントリとそのコメント欄に詳しいが、極東ブログさんの ・自民党麻生政権のゾンビと化した民主党鳩山政権 このエントリを見ると、民主党のマニフェスト終了のお知らせという印象を強く受けた。 『国民に約束したことを完全にできることが最も望ましいが、人間だから、結果に出せないこともあるかもしれない。しかし、その目標に向かって全力でがんばる姿が尊い』 という小沢の言葉に象徴されるのだが、マニフェスト選挙を掲げ出したのは、確か民主党であった筈。その選挙を統括し、実質的に民主党を支配している人物が「マニフェストは目標に過ぎない」と言ってしまうのは、もはや公約でも何でも無い。 当面は経済状況が急激に好転することは無いだろうから、税収が大幅に改善する見込みも薄い。ということは、来年以降も、民主党が掲げた子供手当その他の財源が出来ず、地方自治体や受益者への費用負担、又は解釈に逃げ込んで有耶無耶にしようという姿勢もまた当分転換されない。 極東ブログさんが書かれていたように、長期金利の上昇が国債発行(と償還)に歯止めをかけられる唯一の存在かも知れないが、景気と雇用の悪化が止まらず、今まで看過されてきた脱税や偽装献金絡みの疑惑が爆発して選挙という流れも生まれるかも知れない。 日本の民主主義の成熟という観点から言うと、マニフェスト選挙そのものは無駄では無かった筈だし、今後も有用である筈だ。マニフェストに書いてある事を守らず、守れず、内容を改変し、むしろ書かれていない事を率先して実現していくような政党が選挙民からの信頼を失い、選挙に負ける様になれば、マニフェストを書く側も読む側も、今回の民主党が圧勝した選挙前よりはよほど真剣になるだろう。 が、逆の可能性もある。政権獲得後に上げ足を取られるようなことは一切書かない。具体性に欠けどうとでも解釈できる政策ばかりが並び、もしかしたら「これはあくまでも目標であり、必ず実現するというお約束ではありません」なんて免責条項まで併記されるようになってしまうかも知れない。(外交に関しては相手のあることなのでそもそもマニフェストへの明記が望ましくない側面もあるだろうけれども) 直接民主制になる可能性はほぼ無いだろうから、代議士制度も間接民主制も維持されるとすれば、それでも結局は誰かを選び、政治を任せなければならない。 現民主党政権の迷走ぶりを笑うことは誰にでもできる。 ただし国政を任せる相手を選ぶ際に必要とされる基準をどうやって定めるのか、公約の裏付けはどう取ればいいのか、相手が公約を守らなかった際にはどう対処するのか、そういった事を考える作業は選挙民一人一人に課せられている。 明文化されていない義務と言ってもいい。 自分の意に染まぬ選挙結果は、民主主義国家に住んでいれば普通に起こり得ることに過ぎない。今まで起こらなかったのが遅すぎたとも言えるのだから。 これからは、政権交代によってふれ(ブレ)る政策の幅を管理していく事も大事である。 憲法の改訂はハードルが高いし国民投票も絡むが、例えば東シナ海のガス田開発など、政権交代したから前政権が約束したことは一切考慮しません、というのは通らない要求だろう。 政権交代も手段であって目的でない事は、政治家以上に選挙民が忘れてはならない。 政治家を選んだ最終的な責任と結末は、政治家以上に選挙民が負う事も忘れてはならない。 「政策の継続性」や「国家としての在り方・方針」などは政権交代の度に変わるべきでないものと変わるべきものの両方があるのだろう。その見極めも私達がこれからつけていかないといけないのだろう。

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