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テーマ:ニュース(99198)
カテゴリ:日記のようなもの
こんなニュースをtwitter経由で目にした。
差別はネットの娯楽なのか(10)―不逞鮮人追放!韓流撲滅 デモ in 新大久保「良い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」 そんで何度か紹介してる大庭亀夫さんとのやり取りで、 『(^^;)そんなことをのんびり論評しているヒマがあったら大久保に行って日本人がそんなにケーハクなバカなのではないことを見せに行きなはれ @nanasinonaoto 双方の大多数はそんな事思ってないから行動を起こすまでも無いと達観してるつもりだからかな』 と返されて、グウの音も出ないというか、うん、そうだよね、としか思えなかった。 いつも書き物とかしてるスタバからの帰り道でも、いやそのレスを見た直後から自分の頭を過ったのは、いくつもの言い訳だった。いわく、職場の自分の立場や生活基盤への影響やなんかだ。 職場の同僚との会話で聞き過ごせない内容等があれば、その相手との関係がその後どうなろうが言うべき事は言ってきたとは思う。 だけれども、さらっと調べただけでも、それとは違うレベルの覚悟が必要とされてるのは分かった。 気軽に、「じゃあ今度機会があったら行ってみますわ」と口約束だけして放り出せるようなレベルの主張だけに在特会が終始してないのも分かった。 彼の日記をずっと読んでて、記憶に残ったフレーズにこんなのがあった。 今まで読んだ書物の中で目にした悲惨の数々に対して、今までどれほどの行動をしてきたのか数えてみるといい。 自分自身、二十年近く前の若い頃はバイトしながら政治方面のボランティアをしてた事もあった。選挙の手伝いをした事もあった。市民の中から有志の人を政治家にまでというような活動だった。今で言う大阪市長の政治塾の走りみたいなものだった。でも何年も関わってみて、そのやり方だとダメだろと見切りをつけて離れた。その判断自体は間違ってなかったと今でも思っている。 その後、自分の基本的なスタンスは、自分に出来る範囲で、自分の出来る事をする、になった。 最優先は、自分がその時一番やりたい事をする、で変わっていない。 原発事故のその後に関しても、たぶん、すべき事からは離れている。 韓国や中国に対する周囲の感情に対しても、たぶん、すべき事からは離れている。 言い訳というか、言い訳にもなっていないが、結局は分かっているのだ。 自分がアメリカの大学のキャンパスでただ一人の日本人として体験した困難な時期、自分を一番助けてくれたのは、その後の大学生活の基礎を築いてくれたのは、学校全体と言って良い程の”アンチ日本人”の雰囲気の中で、自分のルームメイトや同じ寮の生徒達や、その他ごく少数の例外達が、自分の傍にいてくれた事だった。 つまりはそういう事なのだと思う。 表立って自分を標的にしていた生徒達と行動を共にしない生徒達もいると見て分かるだけで救われていた。 在特会はたかが一万二千人程しかいない。 彼らの存在を、正直、私は今日の今日まで知らなかった。 それなりに政治方面のニュースは気にして見てた方だと思うが、全く見落としていた。 だが、彼らの姿を、もう二十年以上東京で生活している私は、一度も目にした事が無いのも事実だ。 その名前を周囲の誰かから聞いた事も無い。 日本が極右化していると外からは気にされているらしいが、日常を過ごしている限り、全く実感が無いのも、少なくとも個人ベースでは事実だ。 右翼の街宣は相変わらずどこでもスルーされている。安倍政権になってから彼らが勢いを増したなんて事実もまたたぶん無い。 それでも、極端な意見や行動が外部の目に留まりやすいのも事実ではある。 まして公的な中立の存在である筈の警察が、彼らの行動を抑制するどころか容認しているのであれば、それを持って、外部の人々が「やはりそうだったのか」と思ってしまうのも当然の帰結なのだろう。 「良い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」 たぶん、日本人が唱えられる最低の主張の一つに数えられるだろう。 在特会の内側に理性というものが存在しているのなら、このプラカートは掲げさせていなかった筈だ。 ほんの少し調べただけでも、そんな理性を期待する方が無駄という事も分かってしまっているが。 そんな連中の為に、自分の為の時間を一秒でも浪費したくはないという自分がいるのもまた事実だ。 週末に自由に自宅を離れられなかったりもする家庭の事情もあったりするが、もしそれが無かったとしても、今後到底日本の大多数を占めるようになると思われない連中の主張を否定しに大久保なりに出かけるかというと、正直厳しいものがある。 自分の興味が向いた内容で、それを調べる為なら対馬でも奄美でも沖縄でも九州でも山陰山陽でも関西でも北陸でも、日本の広範囲を探索してきた。 それは、今みたいに竹島や尖閣が喧しい話題になるずっと前から書き始めた一遍の物語がきっかけになって、日本人だけでなく、周囲の韓国や北朝鮮や中国の人達や、在日と呼ばれている人達全てを巻き込んだ歴史の調べ物につながってしまった。 もう大半は書きあがっている状態で、ある意味放置してある。良く言えば寝かしている。 裏付けの一つの鍵となる『漢字』の発祥と変遷の解釈などで、自分自身を完全に納得させられる仮説をまだ立てられていないから。 いつになったら正解に至れるのかは分からない。至れなくてもある程度の見切りをつけて、自費出版でも何でも、形にして残すとは思う。それがどの程度の影響を世に及ぼせるかなんて、私は知らない。それが大久保の在特会のデモに反対しに行く事よりも大事でないかどうかも。 実際は、他の考え事や書き物やその他に興じてるだけだったりもするんだけどね。 それら全ても含めて、私のやりたい事であり、やらなければいけない事でもあると思う。 自分の手が届く範囲で、自分の目に届く範囲で、自分の耳に聞こえる範囲で何かがあれば、たぶん間違い無く、今まで同様、自分は自分に出来る事はすると思う。 ただしそれでは明らかに足りないと分かった時、まぁつまり今がそうなのかも知れないけれど、やっぱり自分に出来る事をしてみようと思います。 それが現地に行って何らかのメッセージを書いたプラカートを掲げる事になるかどうか、今は分かりません。 歴史や領土問題などで、韓国側の主張が逐一正しいなんて私は露程も思っていない。 しかしそういった食い違い全てを排除した上で、 「良い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」 という主張は絶対に間違っているだけでなく、日本人の今後を危うくする事にしか役立たない事だけは、今の自分にも出来る事として明記しておきます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.02.19 01:39:25
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