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2018.12.30
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前より一生懸命働けば、前より良い暮らしができる。それが彼らの胸算用だった。(p116)
より楽な暮らしを求めたら、大きな苦難を呼び込んでしまった。しかも、それはこのときかぎりのことではない。(p116)
​ 農耕は狩猟よりも、困難な生活を余儀なくされる。それでもサピエンスはなぜそれを選んだのか。それは、自然を私有化することによって、階層ができたからだ。この階層の頂点に立つということは、狩猟時代のリーダーとはまったく違う意味になる。富を独占して、再分配の権利を一手に持つということである。ひとはこのことにより、より多くの自然を私有化(自然の私有化とは面積のことでなく、植物、動物の量である)することに努めた。ひとよりも少しでも楽をしたい、上に立ちたい。この思いが、狩猟採集民に戻らずに、苦難の農耕民に仕立てあげたのである。
 狩猟採集民(共同作業ーーそのば判断が重要)、農耕民(単独単純作業ーー繰り返し作業および成果が出るまでの忍耐が重要)単純作業をやらそうとすれば、他人をしつけるより自分の子供をしつける方が早い。また、農作物を育てたり、家畜を飼いならすための秘伝があったら守りやすい。こうして一夫一婦多子家族ができあがった。狩猟採集民時代は明確な夫婦、家族というものがなかったのであろう。私有意識は薄かったのだと思う。
 私有するとはどういうことか、それは管理するということである。管理するとはどういうことか、自分の便利なように使うということである。農耕社会が始まったこのときから、私有するために、ひとよりも有利な立場に立とうとする競争が始まったのである。お受験の例を出すまでもなく、それは今も続いている。自分の身分がナンバーワンになれなっくてもよい、ひとよりも上にいって楽をしたい。少しでもよい暮らしをしたいという欲望が出てくる。この考えによって、ヒエラルヒーができあがる。
 女性にとって、農業革命が誤算であったのは、「ヲコ」以外に価値あるものが出てきたということである。植物や動物が自然にあるうちは、ただ食べものとしての価値しかなかった。しかし、農作物、家畜となったとき、それらは増やすためのものとか、財産を守るためのものとか、その価値を高めた。女性にとっては、「ヲコ」の価値を高める必要が出てきたのである。ただ見せるだけでは価値は上がらない。かくしてなおかつ価値をあげなければならい。顔、スタイルはもとより、声、髪、衣裳等身に着けるものすべてで、「ヲコ幻想」を支えなければならなくなったのである。「ヲコ」そのものを見せびらかすのは下品である。これが女性の唯一のの規範である。
 女性は「ヲコ」を意識しなければならない。しかし意識しすぎると下品になる。男は常に「ヲコ幻想」を持たさせられる。しかし、その表しかたを少しでも間違えば、犯罪者になる。「ヲコ」の価格は今でも安くないのである。





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最終更新日  2018.12.30 18:59:39
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