利他的であると言う事について今朝降りてきた!
今朝ほど犬たちの世話をしているときにああ、そうか!と突然何の脈絡もなく「利他的」であるということについて一つの考えが降りてきた。利他的であると言う事はエゴが表出していない状態だ。そういうときってのは良いシンクロが起きやすかったり上と?ハイアーマインドと?のコミュニケーションが取れやすくなっていると思うから閃きが有ったり直感が働いたりっていうことが起きやすいんじゃないだろうか?でも、それなら以前介護会社に振り回されていた時は何故あんなに苦しかったんだろう???って考えた。答えは、きっとそれが中途半端で自分が大切にしているもの(仕事やら家やら看板やら)が大きくてそういうものを維持するために寝ずに仕事をしていたところに介護会社からのもろもろが加わったせいだな。。。守るものがいっぱいあって当時はただでさえそれらを守り通すために精一杯だったのに半強制的に利他的にならなざるを得ない状況が発生してどちらもが自分の中で中途半端だったりいつでも天秤心理が働いていたせいだ。守るものが何もなければ他者のために何かすることは全然苦にならないはず。しかもね当時は気づかなかったんだけど寝ずに働いて維持するなんて言う仕事のやり方はそもそもそこからして間違いだったんだよ。そうしなければ維持できないという事だからそんなことをいつまでも続けていられるわけがなかった。仕事に没頭してしまっているとそんな簡単なことにも気づかないんだね。働きすぎっていうより働き方がなんか違ってるっていう。。。生身の人間なんだからそんな仕事の進め方は間違いだ。なんでそんな簡単なことに気づかなかったかなぁ。。。仕事とか物とか人間関係とかこだわりすぎるといざそれを横に置いて何かしなくちゃならなくなったというとき執着が自分を苦しめることになる。それがあの介護だったんだ。同じ利他的なことをするのでも守るもの、執着が無く天秤にかけるものが無くそれに没頭できるならお役に立たせていただきます。。。ってそれが苦ではなく楽しむことが出来たんじゃないだろうか?介護会社に振り回されていたから苦しかったんじゃなく自分が守りたいものに執着していたからそれを失うことになるのを防ぐために苦しんでいたってことなんだ。。。っていうのが今朝の気づき。そんなことを考えるとね家族運が無いとか仕事運が悪いとか守るものなんか持つなよっ!っていう人生設計されているのかもなぁ。。。