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あつぼんの親ばか*ハンドメイド日記

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2012.03.11
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カテゴリ:カテゴリ未分類
3月11日。
あの震災から1年。

震災後はちょっとの地震でも手が震えだしたしり、夢に見たり、子どもたちも夜泣きしたり、色々あったけど、1年経って気持ち的にも落ち着いてきた。
もう市内の様子も震災前と変わりなく、工事している建物は多いけど、本当にもう元通りの生活を送れている。

そういえば、地震が起きたときのことを記録してなかったな、と。
ちょうど節目でもあるし、記憶が薄れないうちに記録しておこう。
3月11日。14時46分。
午前中、ダラダラしてしまったので、その時間、私は掃除機をかけていた(うん、イマサラ 苦笑)。
ちょうど、洗面所が終わって、掃除機を持ってリビングに戻ってきたところに地震発生。
家には、まだ入園前のみどりたん。
ちょうどその頃は、数日前に起きた地震の余震が続いていたので(今となっては、あの地震が前震と呼ばれるものだったらしいけど)、それかなーー、なんて、のんきに構えていた。
みどりたんにも
「また地震だね~~」
なんて話しかけたところ、段々揺れが大きくなる。
慌てて、一番ものが落ちてこない寝室にみどりたんと一緒に入り、咄嗟に布団をかぶってみる。
……人間パニくると、布団かぶっちゃうもんなんだね雫
その間も、ドタンガシャン、ものすごい音と揺れ。
うわ、うわわわわ…、とか思いながら、みどりたんを抱きしめる。
少し揺れが収まったので、リビングを覗くと、また大きな揺れ。
プリンターがこっちに向かって飛んでくる。
炊飯器がカウンターからダイブした。
2回目にダイブしたときに、ふたが開いて、お釜が飛び出した。
あああぁぁ、朝5合炊いたばっかりなのにぃぃ~~~~ショック
もったいない~~~~!
とりあえずあらゆるものが倒れる音がする~~~~。
何か思いっきり食器が落ちて割れる音がする~~。
もう1度みどりたんと布団をかぶる。
そのとき、私は数年以内に必ず来ると言われている「宮城県沖地震」だと信じて疑わなかったので
うわぁ、これが噂の宮城県沖地震かあぁぁ~~。
は、半端ない~~~~ショック
と、ひたすら驚愕。
我が家はマンションの上の方の階なので、このまま崩れるんじゃないか、もうダメなんじゃないか、と何度か思った…。
しばらく揺れが続いて、バッと、家中の電気が消えた。
……地震って停電するんだ。
と、ぼんやり思ったけど、
私の実家あたりは夏場はよく雷で停電して、30分後とかには電気が復旧するので、そんなもんだと勝手に思った。
でも、まだ揺れている。
何で、終わんないの~~~~っ!?
と、つぶやきつつ、泣いてるみどりたんを抱きしめていたら、何とか揺れが収まった。
……とりあえず。
防災訓練の通りに、マンションの広場まで出てみよう、と。
自分とみどりたんのコートを持って。
バッグを持って、みどりたんを抱き上げた。
家の中はあらゆる家具が倒れてメチャメチャ。
もちろん、棚やカウンターの上に置いてあったものも散乱。
リビングの奥では、片付けなくちゃ~~、と思いながらも出しっぱなしにしていたお雛様がこれまたダイブしている。
うわぁ、午前中に片付けておけばよかった~~~。
台所は、食器棚から7割近い食器が落ち、その半分は割れている。
冷蔵庫も開いて、作り置きしていたおかずがお皿ごと飛出し、グッチャリ。
もちろん、そのお皿は割れ、食器洗い機も落下している。
……うわぁ~~。
これ、誰が片付けるの~~~~!?
が、第一感想だった…。
廊下に出たら、廊下の収納扉から飛び出したものが道をふさいで、玄関までたどり着けない。
どうやったかはよく覚えてないけど、とりあえずどうにかして玄関までたどりついた。
もちろん、みどりたん抱っこで。
あ、そうだ、とそこで靴を履いて台所に行き、ガスの元栓は締めた。
階段でマンションの広場まで下りていく。
ちょっとツライ~~~雫
広場には続々住民のみなさんが集まってきて、知り合いのお母さんに会ったときは、何だかわからないけど涙が出てきた。
怖かった。
小学校の引き渡し訓練では、学校からメールが来て、子どもを引き取りに行くけど、もちろん電気も通ってないし、回線もパンクしてるだろうし、学校からのメールなんてくるわけがない。
私も旦那たんと実家の両親に連絡しようとしたけど、もちろん電話はつながらない。
何度も挑戦して、やっとメールが送れた。
ママ友が子どもたちをまとめて引き取りに行ってくれるというので、私は幼稚園児たちを広場で見ていることに。
しばらくたって、上靴のままあかりたんたちが帰ってきた。
「あかり~~。大丈夫だった?怖かったよね~~」
と、抱きしめると
「あかり、お母さんとかみどりとか、お父さんが心配で泣いちゃったんだよ~~」
とのこと。
広場にいるうちも何回も大きな余震がきて、でも、とりあえず部屋に戻ることに。
部屋に戻っても、数分おきに余震がきて、揺れる揺れる…。
剥がれたタイルや割れたものなんかが、そのたびにガチャンガチャン音を立てる。
これはもうダメだ、と数日分の着替えと毛布と、何故かティッシュボックスをバッグに詰め、避難所になっている小学校に向かうことに。
旦那たんには連絡はつかないけど、きっと夜にならないと帰ってこれないと思い、エントランスのホワイトボードに伝言を書こうと思った。
子ども2人連れて、雪が降る中階段を下りていくと、旦那たん発見。
すぐに会社から帰宅指示が出て、信号機もついていない中、帰ってきたらしい。
「小学校行こうと思って」
と、言うと
「実家はそんなに酷くないから、実家行くぞ。避難所行っても狭くて寝れないから」
と。
あ、なるほど…。
お義母さんにも電話は通じなかったし、メールだけ出していたけど、無事でよかった。
確かにマンションより、1軒家の方がすぐに外にも出られるし安心かも。
そのまま、みんなで徒歩10分の義実家にお世話になることに。
旦那たんが、ごちゃごちゃの家からカップラーメンとか、お菓子とか、すぐに食べられそうなものを持ち出してきてくれた。
……ティッシュボックスって。
アホか、って話だよ、私下向き矢印下向き矢印

その夜は、電気もないし、石油ストーブも見当たらなかったので、みんなコートを着て毛布にくるまって暖を取った。
幸いにも、義実家は水道も無事、ガスもプロパンだったので、カップラーメンとか食べることができた。
この時点でも宮城県沖地震だと信じて疑わなかったので、翌日になって、やっと妹とケータイで連絡が取れたときに
「お父さんもお母さんも無事だよ」
と、言われてもピンとこなかった。
2日後の夕方、電気が復旧して、初めてこんなに大惨事になっていたんだと知って、ビックリした。
関東の方も大変なことになってたんだ…。
映像で見て、初めて津波の怖さを実感して、しょっちゅう来る余震も、あの頃は本当に怖かったなぁ…。
みどりたんは、緊急地震速報のモノマネが上手になった…(……。)
食糧買うのに、早朝から数時間並んだり、並んでも1人10点までとかで、普通に生活できるって凄くありがたいことなんだなぁ、と再確認した。
そういえば、ガソリンスタンドでガソリン入れられたのって、4月に入ってからだったなぁ。
マンションのご近所さんにも色々助けていただいたし、何より全国のガス局の方がガス復旧に努めてくださったのがありがたかった。
震災から1か月後、マンションのガスが通ったときは、感動したなぁ~~~。
沿岸部の方たちに比べれば、私の住んでいるところなんて凄く恵まれていると思うけど、あのときはやっぱりちょっと大変だった…。

何かこの1年あっという間に感じたけど、あれからもう1年。
防災グッズはしっかり防災用の銀色の袋に入れて、玄関に置いてある。
水も1ケース常備。
カップラーメン、缶詰も常備。
電池で充電できるケータイの充電器も購入した。
石油ストーブも購入して義実家に置かせてもらっている。
旦那たんは常にガソリンが半分以上減らないように給油してくれている。
もう、あんなに大きな地震は日本中のどこでも起こってほしくないけど、
やっぱり備えって重要だな、と今回の震災で思った。

あれから1年。
東日本大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。





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最終更新日  2012.03.27 12:42:08
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