2011/03/19(土)00:40
なぜ供給されるのか
被災地に優先的に回してあげたい燃料・食糧などの物資が被災地以外で買い占められている現実に、「そんなら店頭に並べなきゃいいじゃないか」という声も聞こえてきます。
それは義憤かもしれませんし、開き直りの声かもしれません。
確かにそうかもしれません。
そこにあるから買う。
そこにあるものを買って何が悪い。
自分が買わなきゃ誰かが買うわけで、これが明日には被災地に回ると言うわけじゃなかろう。
それはそうです。売れ残ったものが被災地に回るわけじゃありません。
でも、それは違うんですよ。
我々被災地以外の人間も、食べなければ当然死んでしまいます。
だから店頭から商品を消し去ることは出来ないんです。
我々が必要な分だけを買うというこれまで通りの購買活動を維持していれば、今のようにあっという間に棚から商品が切れることは無く、従って店舗側も追加で発注をしなくて済む。
そこで始めて物資に余剰が出来、被災地へ厚く回せるようになるんです。
猛烈な勢いで買い占める人が居るということは、個々に均等に物資がいきわたっていないということです。本当に食糧が必要な人、燃料が必要な人に、それが行き渡っていない可能性が出るんです。
だから棚から商品を絶やすことは出来ない。
ガソリンスタンドにタンクローリーが入ってくるようになりました。
それは、身体が不自由な、或いはお年寄りの介護をしているなど、本当に車が必要な人にとっては必要不可欠なものです。
でも、一般の車が列をなして全て持っていってしまう。
本当に無くて困っている人には行き渡っていないかもしれない。だからスタンドは燃料の販売をやめるわけにはいかない。
買占めをやめて欲しいとメディアは度々言っていますけど、なぜ買占めが被災地に影響を及ぼすのか、そこを言わないから説得力が無いのでしょう。
落ち着いてちょっと考えれば誰でも気付くことなのですが、非常時には考えるより先に身体が動いてしまうということもあります。
また、付和雷同的に、巷の騒ぎに押し流されることもあります。
今日もスタンドには長蛇の列が出来ています。
先ずは我々から、落ち着いて日常を取り戻さないといけません。不安は尽きませんが、先ずはそこからではないかと思うのです。
被災地を想うなら、そこが第一歩です。