親こあらのレトロ館

2007/02/03(土)22:27

田村神社 節分祭 NO2

レトロな街並み風景(13)

田村神社さんの節分祭では地元ラジオ局の生放送中継もされていました。 上の画像がそうなのですが、写真中央の神主さんのような格好をされた男性は菅原道真公のつもりのようです。『さぬき桃太郎物語』と書かれていますが、桃太郎と菅原道真公との関係は何なのでしょうかね。その答えは下の画像にあるたて看板に書かれています。 桃太郎と言えば岡山の桃太郎伝説が有名なのですが、香川県にも桃太郎伝説があります。 上のたて看板には『菅原道真と桃太郎の物語』と題されて下の内容が書かれていました。 菅原道真公は大化の改新により制定された国司制度により第四十二代讃岐国司の時(八八六~八九〇)となりました。そして 国府(坂出市府中)で政務を執り官舎の有岡館(現在の滝宮天満宮)と橋爪館(高松市上天神)を行き来しておりました。 道真と笠居郷の平雅具氏そして北岡城主(中間郷)の秦久利氏は飯田郷の高月池で舟を浮かべ、弦張山(浄願寺山)にかかる月を眺め、連歌などを行っていました。 桃太郎の物語は、菅原道真公が平賀の住人の平雅具氏から伝承を聞いて作ったようです。 橋本仙太郎(香川郡中間村出身)の研究による 桃太郎の作者が菅原道真公だったと言うのですが・・・この横には関連した立て看板がふたつあります。 そのうちひとつが『犬島(岡山市犬島)桃太郎の家来(水軍)の出身地』とタイトルのつけられたもの 岡山市の沖合いにある犬島には犬石と呼ばれる巨岩がある。菅原道真が九州の大宰府に流される途中、船が嵐に会って島陰に避難した。風のうなりに混じって犬の遠吠えのような鳴き声が聞こえ、ふと見上げると大岩が鳴いている様だった。嵐がおさまり船出の時も別れを惜しむように鳴く岩の姿がまるで犬だったという。今でも犬石明神として大切にお祀りされています。 桃太郎伝説にも伝わっている。桃太郎の家来となった犬は航海術にたけていて鬼ヶ島動きを見張るなど鬼退治に功があった。犬はほうびとして島をもらい、それが「犬島」と呼ばれるようになったという。 そして最後が『鬼無の柊』とタイトルの付けられたものです。 鬼無の鬼山の東麓には、柊鬼谷(平鬼谷)がある。鬼が婦人を追い、柊鬼(俗にオニノメツキ)の林で木の葉の針で自分の目を突き、尚も婦人を追った故事から「盲鬼」の遊戯が始る。また、節分に鰯の首を撥ねて柊の枝に挿しこれを戸口に挿して「鬼は外、福は内」といり豆を戸外にまいて、早くから戸を閉める風習もこの故事からと思われる。鰯は陸に上がるとすぐ死に、海賊も上陸すると柊で目を突き、鰯のように首が飛ぶという意味がある。 鬼無から鬼ヶ島は丑寅の鬼門にあたる。鬼無では、東北風を「鬼北」(鬼が来たと言う意味)という。 知恵熱が出るのか思うほど勉強になりました。

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