迷路荘の惨劇
横溝正史さんのミステリ小説「迷路荘の惨劇」(角川文庫)を読んでいます。「迷路荘の惨劇」は昭和50年(1975)5月に東京文芸社から単行本として出版された、比較的あたらしい作品。 このあと、「病院坂の首縊りの家」(昭和50年12月~52年9月 野生時代)があり、「悪霊島」(昭和54年1月~55年5月 野生時代)が最後の作品となる。横溝正史さんは昭和56年(1981)12月28日に亡くなります。 角川文庫では「八つ墓村」昭和46(1971)年4月、「悪魔の手毬唄」昭和46年7月、「犬神家の一族」昭和47年6月、「悪魔が来りて笛を吹く」昭和48年2月、「本陣殺人事件」昭和48年4月、「女王蜂」昭和48年10月など、角川春樹さんが当時は引退同然で忘れられていた作家だった横溝正史さんに注目して、その代表的作品を次々と文庫化し、昭和50年の秋はそれまでの25点500万部を「横溝正史フェア」として大々的に売り出して成功した年です。 横溝正史さんは昭和39年(1964)8月の「夜の黒豹」のあと休業状態に入っていたのですが、角川春樹さんの働きかけによって、10年後の昭和49年に久方ぶりの新作「仮面舞踏会」を書き下ろしで発表。本作「迷路荘の惨劇」は、その横溝さんが復活した2作目になります。 昭和25年。金田一耕助は戦後の闇商売でのし上がった篠崎慎吾から依頼されて富士山麓にある別荘 名琅荘へ出向く。明治の元老古館種人が富士山麓に建てた名琅荘(めいろうそう)を篠崎はホテルとして開業する目的で入手したが、その名琅荘に篠崎の紹介といつわって投宿した片腕の男が姿を消した。名琅荘は20年前に凄惨な殺人事件があったいわくがあり、その事件の重要人物が片腕を斬り落とされたまま逃亡していまだに消息不明ということもあって、不安を感じた篠崎は金田一耕助に調査を依頼した。 名琅荘の各所には抜け穴やどんでん返しなど、古館種人が暗殺から身を守るための秘密の設計がなされている。 金田一耕助が名琅荘に到着した早々に、ホテル開業前に招待された客の古館辰人が倉庫に置かれた馬車に乗せられた状態で絞殺体となって、同じく天坊邦武が自室の浴槽で溺死体となって発見される。。 地下に掘られた通路と、連続殺人。名琅荘の持ち主だった旧華族古館家の怨念。 傑作とはいえないまでも、金田一耕助シリーズとしては、時代設定は戦後間もない昭和25年であり、旧家の忌まわしい因縁と陰惨な殺人、地下に掘られたトンネル内の探検など、金田一耕助ものらしい趣向をこらした一作となっています。 横溝さんの文体の特徴である、登場人物の台詞末尾の「~ですね」「~なんですね」「~というわけですね」など、「ですね」の乱用がいささか気になるところですが、作品全体がかもしだす雰囲気は横溝作品らしい味わいが感じられ、魅力ある一作です。 金田一耕助についても書こうと思っていたら、長くなりましたので、つづきます。