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メキシカン・アメリカンな暮らし

メキシカン・アメリカンな暮らし

時には有効、、、

時には有効、、、

物の見方・捉え方を変えようとして
ネガティブな経験もしたが、
時には有効策だという事も
ついでに述べておきたいと思う。
例えば、お姑ごんが
飼い犬(または子ども)のしつけの仕方まで色々言ってきたとしよう。
「甘やかしすぎじゃないの?」
「別に吠えてもいいじゃないの。
好きなだけ吠えさせなさい。」
この二つの文を直のメッセージとして受け取ってしまうと、
余計なおせっかい焼きに見えてしまうのは当然で、
おせっかい焼きを嫌だと思うのは
基本的に、言葉や行動によって
自分の領域が犯されるから(テリトリー侵害)というのが
一つの理由だと思うのだ。
それなら、おせっかい言葉・行動などを
自分の領域から少し離す努力をしてみるといいかもしれない。


上記の二つの言葉の場合は、
少し噛み砕いて受け取るようにして、、、。
「甘やかしすぎじゃないの?」
→「自立出来るように手伝ってあげましょうよ。」
若しくは、
「これ以上の世話が無くとも、
(貴方のしつけがちゃんと行き届いていて)
この子はしっかりしているから大丈夫。」

「別に吠えてもいいじゃないの。
好きなだけ吠えさせなさい。」
→「私にとってもこの子はいとおしいから、
好きな事をさせてやりたいわ。」などと訳するのも手だと思うのだ。
ちょっと違う角度から見る・聞くことによって、
自分を取り巻く世界が少し良く見えてくる事もあるかもしれない。


また、自分を言い聞かせる手段として使うのではなく、
この際、口に出して言ってみると尚GOODだと思うのだ。
自分に言い聞かせるようにして心の中に溜めてしまうと、
段々「自分だけ努力して意味も無い!」、
「我慢するのはこりごり!」
などと必要以上に疲れてしまう可能性も避けられないので、
注意が必要である。
表現の例としては、
「そうですねー。
この子はしっかりしてますし、
これ以上の世話は必要ないですよね。」
「お気持ちはうんと分かります。
私にとってもこの子はいとおしい存在ですし、
出来れば好きな事を十分にさせてあげたいです。」
などと同意の意を込めて言うと、
お姑ごんの攻撃をひらりとかわす結果になったり、
会話の主導権がお姑ごんの手から自然に離れたり、
いい結果を生む事もある。






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