2020/02/27(木)23:25
初めてのこと
ーーーー初めてのことーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
山暮らしを初めて33年間、
冬場は電気アンカか電気敷き毛布を使ってきた。
ところが、この冬はそれらを使わなくて済んでいる。
体質の変化か暖冬のせいか・・・、不思議。
ただ1つ変わったのは、
ベットの布団の足元に羽毛シュラフ(寝袋)を敷いたこと。
さぞかし電気使用量が少なくなっただろうと思ったが、
昨日の検針では昨年とほぼ変わらなかった・・・、あら不思議。
ーーーーバックパッカーno.12/男も愛嬌ーーーーーーーーーーーーーー
1973年
6月20日
1年後の3月迄にボク自身は自力で30万円貯めた(ガンバった!)。
当初の予定では資金の不足分(30万円)は、
東京での保証人のナカヤマ(税理士)さんが出してくれるという約束で、
両親の立会いのもと彼がそれを確約してくれた。
実は両親に話す前にナカヤマ(故人)さんにこの計画を話すと、
おもしろい、ぜひ行って来い!、
俺も一緒に広島に行って説得してやる!
と云って2人で飛行機に乗って帰郷した。
(いつもは新幹線だが、実はこの時、初めてYS11に乗った)
ナカヤマさんと共に帰郷して話があると、
ボクから電話をもらった両親は、何事だろうと身構えたそうだ。
で、話は最初のように、
不足金は俺が出すので、ぜひ!行かせてやってほしい!となった。
その時、まず56才の親父は反対!。
理由は、
サラリーマンの自分がこの先いつまで働けるかわからない。
自分たちの老後を考えれば学費援助が難しくなる。
(果たして65才まで務めた)
公務員だった53才のオフクロは賛成!
理由は、
あなたの人生だから思うようにやりなさい!、
また反対しても何としてでも行くのだろうから!
(受験前に東京の大学に行きたいと云うと、
父母は同じようことを云った記憶がある。)
ナカヤマさんの力強い口添えもあり親父も渋々承知。
これでボクの海外行きは決定した。
東京に帰り休学の手続き(授業の1/2の3万5千円支払い)、
下宿の引き払い(友人に引き継ぎ)、
復学に備えて本やレコードなどの荷物の保管の友人への依頼、
渡航のための準備やオリエンテイリングとバタバタと日々過ぎた。
ところが、ナカヤマさんから一向に資金援助の話が来ない。
時間はどんどん経っていく。
そして出発2週間前に彼の事務所(東中野)に出向き、
確認すると、都合がつかなくなった。
(記憶では目の手術などで費用が嵩んだとかなんとか・・・)
ガッガーン!!!!!ー!
今になって、どうして、どうして、どうして〜。
えいー!、ままよー!。
ここに至っては当初の予定どおり出国することにした。
もちろん、親には言わずに。
もし計画通りに50数万円のトラベラーズチェックがあれば、
イギリスのビザも6ヶ月すんなり取れただろうに・・・。
参考:
保証人制度
1970年代当時に大学入学の際に、
学生生活で何か問題が起きた時に直ぐに連絡が取れる人として
東京での保証人の提出を求められた。
(居ない人はどうしたんだろうか・・・。)
ナカヤマさん(故人/ボクより12才年上)
立教大学時代は野球部(キャッチャー)、相撲部に所属。
衆議院議員・花村四郎の書生、私設秘書。
その後税理士になり事務所開設。
後に芸能事務所も併設。
数社の大企業、商店の顧問税理士(主に飲食業)。
兄が東京時代にお世話になり、
高校時代に紹介され、引き続きボクがお世話になった。
多くの学生・若者が彼の事務所に出入りしていて、
幾多の武勇伝有り。
ボクと違い右翼的傾向が強く、情で物事を語る。
嫌という程議論をしたが、それ以上におもしろい人だった。
彼について語ると三日三晩かかるし、
本筋ではないので。このあたりで・・・。
つづく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー