Tano1987

2020/04/01(水)22:59

安物はいかん

ーーーー安物はいかんーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー この冬、ダウンが入った寝袋をもらった。 自室に暖房がないので、これに入って机に向かっている。 40年使った寝袋と比しても暖かい。 ただ問題が1つある。 羽毛が出て来るのだ。 毎日毎日数本ずつ。 ひょっとしたら、吸い込んでいるのでは心配になる。 やはり、安物はいかん、かな・・・。 ーーーーバックパッカーno.39/男も愛嬌ーーーーーーーーーーーー 1973年 9月24日 Madrid YH   日本人の先客が4,5人いる。 そこにボスがいた。 彼は英語もスペイン語も話せないが、 もう2,3年ヨーロツパを旅しているという。 ツワモノだ。 もうスペインも長いという。 旅の目的もなく、完全にボケている。  ヨーロッパを浮遊する3人目のごっつい、  完全に脳みそがぺしゃんこに潰れたお兄ちゃんだ。 日本語で十分だというが、 実際はちょっとスペイン語を話していた。 彼を中心に日本部屋は成り立っていた。 夕食後、皆で映画を観に行く。 ラブシーンもどきになると、ヤイヤの喝采。  ヨーロッパの中でもフランコ軍政下で、  民主化が遅れていて、本格的(?)ラブシーンはご法度。   あの当時のスペインはヨーロッパにあって、  ヨーロッパではなかった。 9月25日 Madrid YH ​ 何をするでもなくYHで過ごす。 昼過ぎに彼が、行くぞー、号令をかける。 どこに行くのかと尋ねれけば、 ​血を売りに行く​という。 ​ぶったまげた。   売血制度は日本でも1964年位まであった。  スペインでは1985年に廃止になっている。  今、考えれば売血はしないとしても、  どんなところか「何でも見てやろう」の精神で、  ついて行っても良かったが、そん心の余裕もなかったのだろう。  ただただ、こいつらは何を考えているんだろう、と。 夕方に皆が帰ってきて、今日はお金が入ったので、 食べに行くというので、皆について行く。 帰り道、夜の道で等間隔に恋人たちが語らっている。 皆が彼らを冷やかすが、手慣れたものだ。 9月26日 Madrid YH  26日は何をしていたのか・・・。  早くここを出た方が良いと、  27日にMadridを出ることを決める。   9月27日 夜行までの時間、1日を市内観光。  記述も記憶もないが、どこを見て回ったのか。 20:45分発の夜行列車でTarragonaに行く。 Barcelonaを目指す。 座敷指定で別途145ペソも払っている。 もったいない。 1973年 9月28日〜30日 ​Barcelona​ ​Tarragona​から乗り継いでBarcelonaに入る。 Pensionに宿をとる。  なぜYHを利用しなかったのか記述がない。 格安の部屋を案内される。 Pensionの屋上の一角に追加で建てられた部屋。 階下にはアメリカの若い女性がたくさんいる。 9月29日 この街はヨーロッパ。 パメセロナ観光。 ​サグラダ・ファミリア​(教会) 圧倒される。 完成まであと150年、気の長い話だ。  その後寄付が集まり早くなった ボクたちには真似ができない。 ピカソ美術館​ 「青の時代」。 全体的に重苦しい。 ​ローマ遺跡・バルセロナ​(Youtube)  地中海は古代ローマの影響を強く受けている。  今ほど整備されていなくて簡素だった。 バルセロナでもアメリカ兵がウジャウジャ。 3人の水平がからんで来る。 どこでもアメリカ人がウジャウジャ。 彼らの「力」には恐れ入る。 陸に海に空に、まさにアメリカの天下。 しかし、いつかはあのニューヨークの摩天楼も、 ポンペイのように・・・・。 (小難しいことをだらだら書いているので止めよう) 9月30日 水(?)にあたる。 泊まった部屋が悪かったのか…。  梅肉エキスを舐めて1日過ごす。 初めての肉体的トラブルだ。 のんびりとできる田舎YHを目指す。 つづく。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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