2024/09/26(木)03:00
相模国府祭と寺社史蹟巡りー13、成就院、金剛院、ふたみ記念館、茶屋薬師堂、押切坂一里塚
川勾神社を後にし、帰路の途中近場の寺社史蹟を巡った。
9月3日(火) 16:05
まず向かったのがGoogleマップに載っていた「成就院」で道路脇に看板があり駐車。
駐車場がなかったのでこの狭いスペースに駐車。
成就院
所在地:神奈川県中郡二宮町山西2055
古義真言宗にして、足柄下郡国府津村寳金剛松寺、開山は良傳と伝えられる。昔、字釜野と呼
べる地より社地に移せりと言う。
昔は二宮山神宮寺といって、川勾神社の別当寺六院の筆頭であったが、明治維新の神仏分離令
によって分離され、現在では川勾神社との関係はなくなりましたと。
目立つ看板には、
「相州新西国第二番札所 二宮山神宮寺 成就院 本尊 十一面観世音菩薩」と。
スマホの案内でこの先「小林幸子」の看板を右折して階段を進むが民家の玄関先に到着。
民家の方に尋ねようとしたが、人の気配がしなかったので裏側へ廻るが墓地のみでお堂らしき
建物は無かった。
後日ネットで調べると「無住のお堂なのでご開帳期間外での参拝は難しいか」と。
相模新西国三十三観音霊場での丑年ご開帳時は、回向柱が建っていた。
次に向かったのが「金剛院」でこれもGoogleマップから。
前方は、運動場入口交差点でここを左折。
運動場入口交差点の手前に「馬頭観音」があり道路脇に駐車。
隣はゴミ収集場所になっていた。
馬頭観音の前には一合枡が供えられていた。
ファミリーマート 二宮釜野橋店
所在地:神奈川県中郡二宮町山西1976−1
運動場入口交差点を左折し直ぐに釜野橋交差点があり、その角にファミリーマートがある。
暑かったのでここでドリンクを購入、水分補給してしばし休憩。
ファミリーマートの裏側の畑に数は少ないが ”ざる菊” が植えられていた。
看板には、「ざる菊の里」と。
このざる菊は「ゆめクラブ釜野」の有志の方が育てています! 平成25年6月
ざる菊観賞は今年の秋の目的地にリストアップ。
真言宗釜野山 金剛院 (こんごういん)
所在地:神奈川県中郡二宮町山西1932
ファミリーマートを出て釜野橋交差点から小田原厚木道路の二宮ICへの途中に
あるお寺。
門前から振り返り、釜野橋交差点まで数百メートル。
スマホの案内で境内へ駐車。境内には枯れた巨木が聳えていたが。
後方の高台は「二宮町民運動場」で、サッカーができるが砂のグランドであると。
金剛院は、真言宗東寺派の仏教寺院で本尊は不動明王。
人気がなく無住なのであろうか。
墓地があったが、まだ空きスペースが多くあった。
境内にはサクラの木も植栽されていた。
ふたみ記念館
所在地:神奈川県中郡二宮町山西1953−1
金剛院を出ると直ぐ左側にある ”ふたみ記念館”。記念館の前には無料駐車場がある。
ふたみ記念館には、二宮町出身の画家、二見利節(としとき)の作品が展示されています。
ルーフィングという馴染みのないものを使われているので何かと思うと解説文がありました。
ルーフィング(防水紙)は主に屋根の防水に使用されるものだそうです。 そのルーフィングにオ
イルパステルで描くのは二見利節独特の方法のようです。 亡くなる直前で絵を描き、数千点も
の作品を作った多作な作家だったようですと。
ふたみ記念館
この施設は、二宮町に古くから住んでいた二見家の子孫である故二見重雄がその資産を二宮町
のために役立てたいとの遺志と二宮町出身である二見利節画伯の遺作を展示保存し、その功績
を後世に残し伝えたいとの二宮町の希望により、二見重雄の遺族平野昌子が建設し、土地と共
に町へ寄贈したものである。
平成二十三年三月吉日
開館時間:10:00 ~ 16:00(入場は15:30まで)
休 館 日 :月・火曜日(祝日の場合開館し、翌日休館)
観 覧 料 :200円
展示ギャラリー使用料 1日600円
この日は時間も遅くスルーしたがざる菊を見に来た時立ち寄ることに。
入口に「ふたみ記念館」と。
道路沿いの掲示板に貼られていたポスター。
この道を直進すると小田原厚木道路の二宮ICへ。
この日の目的地は終了しここから帰路につく。
国道1号の川勾神社入口交差点の手前の「茶屋町会館」駐車場へ駐車。
ここの南側に「茶屋薬師堂」がある。
茶屋薬師堂
所在地:神奈川県中郡二宮町山西551
本尊は薬師如来で、ご縁日は4月12日。毎月1日と12日に御念仏が行われている。
覗き窓から中を撮影。
薬師如来坐像 薬師堂
二宮町重要文化財 昭和四九年六月五日指定
像 高 ニ六一・五 cm 肩 張 九五・〇 cm
面 長 四八・五 cm 胸 厚 七一・〇 cm
頭頂~頬 八五・〇 cm 膝 張 二五一・〇 cm
面 巾 五四・五 cm 膝 高 右 四九・〇 cm
左 四八・〇 cm
寄木造り彫眼漆箔の坐像で、江戸時代の作と推定されます。顔は扁平で頬を突出し、眼が大き
く特徴があります。胸は比較的薄く、衣紋は形式化して彫りが浅くなっています。
左手掌の上に薬壺をのせ、右手を曲げて前向き開き、衆生済度の表現に満ちた仏像です。
平成八年ニ月
二宮町教育委員会
三界萬霊塔と石仏群
右側には道祖神
国道1号の川勾神社入口交差点。
歩道橋を渡った左側が旧東海道の「押切坂一里塚」。
国道1号の押切坂。
正月の箱根駅伝の往路4区と復路7区でテレビの中継ポイントである。
標柱に「旧東海道の名残り」と。
押切坂一里塚
所在地:神奈川県中郡二宮町山西
石柱には「史蹟 東海道一里塚の跡」、側面には「江戸より十八里」と。
東海道一里塚の跡
慶長九年(1604) 江戸幕府徳川家康は、息子秀忠に命じ、東海道、東山道、北陸道の三街道に、
江戸日本橋を起点として一里(約四km)ごとに塚を築かせ、交通の円滑化を図りました。
一里塚は、大名の参勤交代や旅人の道程の目安、馬や駕籠などの運賃の目安であると同時に、
塚の上にある大木は、夏は木陰をつくり、冬は寒風を防いで、格好の休憩所にもなりました。
ここ二宮の一里塚は、江戸日本橋から十八番目の一里塚で、大磯宿と小田原宿の中間に位置し
ています。塚は街道を挟んで両側に築かれ、北側の塚は、高さ一丈二尺(約三・六メートル)、
上には欅(けやき)が植えられ、南側の塚は、高さ一丈(約三メートル)、上には榎(えのき)が植
えられていました。周辺には、旅人目当ての茶屋や商店が軒を並べ「梅沢の立場」と呼ばれて、
大変賑わっていました。
令和四年十ニ月
二宮町教育委員会
石柱の裏側には「昭和五十七年九月 二宮町教育委員会建之」。
国道1号の川勾神社入口交差点、川勾歩道橋。
国道1号の南側に旧東海道があり、一里塚石柱から京方面を見る。
旧東海道を進むと、前方左側の民家の敷地内に説明板があった。
標柱には「松屋本陣の跡」。
所在地:神奈川県中郡二宮町山西410
松屋本陣の跡
江戸幕府の交通政策によって東海道が整備されたことや、参勤交代制などにより、江戸~上方
間を往来する人々は増え、旅人の宿泊所、休憩所も街道の随所に設けられました。
このあたりは、大磯宿と小田原宿の中間に位置し、大磯宿~小田原宿の距離が十六キロメート
ルと長い上、押切坂、酒匂川を手前に控えていることから、 間の宿(あいのしゅく)として休憩
所が設けられ、大友屋・蔦屋・釜成屋など多くの茶屋や商店が軒を並べ、「梅沢の立場」と呼ば
れて、大変賑わっていました。
その中心的存在となっていたのが「松屋本陣」であり、参勤交代の諸大名・宮家・幕府役人な
ど、特権階級にあたる人達の休憩所に指定されていました。「松屋」であった和田家には、本
陣を利用した人々の記録である「御休帳」が保存されていて、二宮町指定重要文化財になって
います。
平成十七年十ニ月
二宮町教育委員会
説明板の前から旧東海道の江戸方面を振り返る。
松屋本陣の跡から京方面へ進み、急坂に。
右側の草むらの中に道祖神があり車を停める。
茶屋旧道路傍の道祖神
所在地:神奈川県中郡二宮町山西
左側下が国道1号の現在の押切坂になる。
双体道祖神の前にはお供え物が置かれていた。
旧東海道の急な坂を下り新旧の押切坂が合流。
中村川に架かる押切橋。
押切橋は幾度となく架け直された過去があると。流失と架け替えが繰り返された理由として、
押切の名が示す通りこの地域は大水(洪水)の常襲地帯で、堤を押し破ることからこの名がつけ
られたのだともいわれると。
押切橋を渡ると小田原市になり、この先の ”橘インター入口交差点” を左折し西湘バイパスへ。
西湘バイパス入口。
ここから入ると無料区間になる。
二宮・秦野方面出口。
道の駅 湘南ちがさき
所在地:神奈川県茅ヶ崎市柳島2176
来年7月のオープンに向けて工事中。敷地の東側に駐車スペースがあるようだ。
富士山のビューポイントになるので、西側に展望台があればよいのだが。
17:00
鉄砲道からの「道の駅 湘南ちがさき」。
今回の散策は相模国府祭(こうのまち)の概要を知ったドライブであった。
相模五社の内まだ伊勢原市の「三之宮 比々多神社」へ参拝していないので近いうちに訪れたい。
今回二回訪れたが歩行数はそれぞれ、9月3日(火) 約5,000歩、5日(木) 11,700歩であった。
END