おじん0523のヒロ散歩

2024/10/17(木)03:00

早雲の里 井原市ー3、神代地蔵菩薩坐像、新九郎薬師堂、かねおくんの芳井地区

国内旅行(343)

次の目的地「新九郎薬師堂」をセット。 9月20日(金) 13:50 北条早雲が幼い頃、勉学に励んだと伝わる法泉寺を後にした。 近くにバス停「法泉寺」があった。 バス停の傍の道路脇に法泉寺にあった石祠と同じようなものがあった。 石祠の傍の木柱には、 「第二番 極楽寺 阿弥陀如来」 「平成十三年 西江原史跡顕彰会」と。 石祠の右側には「四國第二番」左側に「阿波極楽寺」と刻まれていた。 第二番の石祠のすぐ南側にも、同じような石祠があった。 木柱には「第四番 大日寺 大日如来」と。 石祠の右側には「四國第四番」左側に「阿波大日寺」と刻まれていた。 この辺りの道路脇には四国八十八ヶ所霊場を祀っているようだ。 この後、法泉寺から高越城址の東側の麓へ回り込む。 神代地蔵菩薩坐像 所在地:岡山県井原市神代町1899 新九郎薬師堂への途中にあった石碑群で、地神や八十八ヶ所霊場に関する碑が建っている。 石碑には「奉唱光明眞言供養塔 天下泰平 施主十方信者中 願主西山定次郎」と。 右側の石碑には「奉勧請八十八ヶ所本尊塔」と。 中央の石碑は「弘法大師像」であろうか。 いろんな石碑が立っていたが説明板がなく残念。 高越城址の東側麓を進むと案内板があり「新九郎薬師堂 ⇒」。 左側の幟の横に立つ石柱には「高越城址 西三百米」。 登り口右側に石柱。 石柱には、 「陸軍歩兵一等卒勲八等佐藤愛次郎墓」と。 石柱の横にはブロック塀に囲まれた石仏。 眼下には神代町地区の稲刈り前の田園風景が拡がっていた。 更に進むと目的地近くへ到着、道路脇の広い場所に駐車。 スマホで目的地はこの上にあると。上にある車は中古車であった。 案内板には「新九郎薬師 この先100m」と。 赤い破れた幟旗には「北条早雲」。 石仏は八十八ヶ所霊場のひとつであろうか。 車を道路脇に止め坂を上る。 新九郎薬師堂 所在地:岡山県井原市神代町1809 北条早雲が祀ったと伝えられる薬師如来像が安置されたお堂である。 新九郎薬師(井原市神代町西側) 像高95.3cm。伊勢新九郎盛時 (後の北条早雲) が、故郷へ一時戻った際に祀ったという伝承が 残る木像薬師如来立像。頭部は螺髪にして、肉髻 (にくけい) を表す。面相部は彫眼として、半 眼慈悲相に作る。左手首を前方に曲げて薬壺 (やっこ) を乗せる。下半身は両足をそろえて蓮台 上に立つ。 構造は、両耳中央を取る線で幹部材を割り放ち、内刳りを施した後、矧ぎ付ける一木割矧ぎ造 りと思われる。体側材を左右に寄せて成形する。袖口から別材の手首先を差し込む。 後世の修理の際に裾部が切り詰められるなどして、像容が変じているが、肉髻や裾の文様から 平安時代後期の制作と考えられる。背面に「祈願主新九郎」と朱書きがあるが、江戸時代の修 理後の表記と考えられる。修理された時代に、早雲が安置した立像という伝承が伝わっていた ことがわかる。 早雲が祀った「木像薬師如来立像」。 坂を上ってくると広場には二つの建物があった。 広場は整備され石製のベンチが置かれていた。 右側の社殿に「薬師如来本殿 本尊奉納 文明二年 伊勢新九郎」と。 簡易な屋根の下にペアの石仏。これも八十八ヶ所霊場のひとつであろうか。 境内は地元の氏子さんによる清掃が行われているようだ。 新九郎薬師堂から坂を下る。のどかな空間であったがまだ暑かった。 新九郎薬師堂から下り立つ。人と出会うこともなかった。 新九郎薬師堂から市道を下りこちらの道路脇にも石碑、石燈籠があった。 これも八十八ヶ所霊場のひとつであろうか。 この小径の奥に「新九郎薬師堂」があった。 石碑には「○○○○」とあり下には説明文が刻まれていたが判読できなかった。 ここにも説明板がなかった。 特徴のある石燈籠をズームアップ。 14:20 看板には「水土里ネット神代土地改良区」、「⇐ 未国川 ほたるの里」。 この後、高越城址廻りを後にし、井原市内へ向かった。 国道486号(山陽ふるさと街道)を西へ走り、井原駅前を過ぎ薬師交差点を右折して北上。 井原市域を大きく分けると、平成の大合併以前の市町域を基に井原・芳井・美里の3つの地域に 分けられ、更に井原地域(旧井原市)は、井原・木之子・高屋の3つの地域に分かれ、芳井地域 と美星地域を合わせて、5つの地域で構成された市となっている。井原地域(旧井原市)および 芳井地域の住民は、隣接する福山との結びつきが深い一方で、美星地域の住民はどちらかといえ ば倉敷志向であり、一体感の醸成が課題となっていると。 車のナンバーは「倉敷ナンバー」である。 14:40 薬師交差点から国道313号(ロマンチック街道)を北上、案内板には「雪舟ゆかりの里」と。 雪舟 (せっしゅう、応永27年(1420)~永正3年(1506) 8月8日 諸説あり)、日本の室町時代に 活躍した水墨画家・禅僧(画僧)で、近くに「雪舟ゆかりの重玄寺」「墓」がある。 目的地はここを左折して山側へ入る。 案内板 人口が減少している中、売物件の看板があったが購入者はいるのかと。 14:45 早川のカヤ 所在地:岡山県井原市芳井町吉井 石垣の棚田がある農道を走り一番奥のこの地へ到着した。 漫才コンビ千鳥のノブさん(かねおくん)の実家にある天然記念物の大きなカヤの木である。 ノブさんがNHKの番組 ”ファミリーヒストリー” に出演し、この巨木がテレビで紹介された。 突き当りに車を止め振り返る。 カヤの木を見上げる。 カヤの木の下には2社。 社の説明板はなかった。 井原市指定重要文化財   早川のカヤ 目通り  4.35m   根 元  5.21m 樹 高   20m   樹 齢  450年 県下   第5位 指定年月日  平成17年3月16日                 井原市教育委員会 カヤの木の種子。 種子は食用となり、焙煎後の芳香から「和製アーモンド」と呼ばれることもあると。 カヤの木は樹齢450年になり一部朽ちていた。 テレビで放送されて以来私のような人が多く訪れると。 左側が漫才コンビ千鳥のノブさんの実家で立派な庭先であった。 14:50 ここでこの日の目的地を終え実家へ行くことに。 カーナビを実家近くの「上戸手駅」にセット、到着予定は約1時間後で26キロと。                                                  ー 続く ー

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