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カテゴリ:続 日本100名城
東北の旅三日目も陽の入りも近くなり中泊町の宿泊旅館へ向かった。 その途中にある駅へ立ち寄った。 10月23日(木) 15:40 リンゴ畑 鶴の舞橋の北側を走る県道200号線沿いにリンゴ畑があったが直売店は無かった。 嫁さんから「リンゴを」と言われていたので探したが・・・。 ![]() ハッピー食品 所在地:青森県北津軽郡鶴田町廻堰大沢74-2 リンゴ畑の傍にあった工場でGoogleマップから「ハッピー食品」と。 ![]() 北海道だと、タマネギ、ジャガイモを入れたイメージのカゴだがよく見るとリンゴであった。 ![]() リンゴジュース等に加工されるのか。 ![]() 16:00 JR五能線 五所川原駅 所在地:青森県五所川原市大町38 当初予定ではこの夜は五所川原駅界隈に宿泊する予定であったのだが・・・。 初めて訪れたが駅前は閑散としていた。 ![]() JR五所川原駅は1918年(大正7年)陸奥鉄道の終着駅として開業した。開業6年後に国鉄五 所川原線が開通、後に能代線と合わさって現在の五能線となる。1927年(昭和2年)には陸 奥鉄道が国鉄に買収され、1930年(昭和5年)には津軽鉄道も乗り入れを開始する。1940年 代末の津輕海峡隧道計画では五所川原駅から三厩駅を経て青函トンネルに向かう略図が書 かれたこともあった。津軽鉄道の駅は1956年(昭和31年)に「津軽五所川原」に改称して いる(ウイキペディアより)。 ![]() 五所川原駅は交通の要衝としては人通りが少なかった。 ![]() まちなか案内図 駅の西側に「立佞武多の館」「吉幾三コレクションミュージアム」があったようだが。 ![]() 2025 GOSHOGAWARA TACHINEPUTA 五所川原たちねぷた 立佞武多 8/4(月) ➤ 8(金) 午後7時~9時/青森県五所川原市 ![]() 以下2枚の写真は行けなかったのでネットから。 立佞武多の館 所在地:青森県五所川原市大町506-10 館は大規模改修工事のため、2025年4月1日~2026年6月末まで休館している。 五所川原立佞武多(たちねぷた)」(祭り)は、「青森ねぶた」と「弘前ねぷた」に並ぶ青森 三大佞武多の一つ。高さ約23m、重さ約19トンもある山車の壮大な運行が魅力であると。 ![]() 建物の4階にまで達する高さの立佞武多に圧倒されること間違いなし!。展示室は1階 から4階まで吹き抜け空間になっており、中央にそびえ立つ立佞武多を20mほどの高さ から壁伝いにぐるりと、角度を少しずつ変えて見学することができる。 ![]() JR五所川原駅改札口 当駅は有人駅で、「リゾートしらかみ号は全車指定席です」と。 ![]() JR五所川原駅に隣接して「津軽五所川原駅」がある。 ![]() 津軽五所川原駅 ストーブ列車で有名な津軽鉄道の起点駅。駅は単式ホーム1面1線を有しており、通路及び 跨線橋はJRと供用しているが、駅舎や改札口は異なるのが特徴である。 窓に「金木駅員募集」「車掌募集」「線路保守工手募集」の募集ポスター。 ![]() 五所川原駅周辺 昭和レトロスポット 昔なつかしタイムスリップ! 1.おすすめSPOT 津軽鉄道 津軽五所川原駅 1956年(昭和31年)に完成した駅舎は、手書き時刻表や、昔ながらの切符売り場、改札 が当時のおもかげを残して現存。冬季運転の「ストーブ列車」もレトロでおすすめ。 2.おすすめSPOT JR 五所川原駅 2021年(令和3年)まで運転された「キハ40・48形」の椅子や運転席、その他「12系」 の椅子等を展示しています。また、昭和家電やちゃぶ台など、昭和の居間を再現した 系ーナーも。 3.おすすめSPOT 弘南バス 五所川原バスターミナル 昔なつかしい色とりどりのコトブキチェアが並ぶバスターミナル。そば屋さんとおや き屋さんもレトロないい味わいが。バスの発車ベルも昭和の趣たっぷり。 左は「五所川原地域ブランドイメージキャラクター ごしょりん」。 ![]() 駅前の「弘南バス 五所川原バスターミナル」。 この日は朝早くから動き回り、少々撮影疲れになっていた。 ![]() 次に訪れたのは「太宰治ゆかりの金木駅」へ。 16:25 津軽鉄道 金木(かなぎ)駅 所在地:青森県五所川原市金木町朝日山 駅舎の二階にはレストランもあり、金木交流プラザを併設した立派な駅舎である。 ![]() 駅舎に「太宰のふるさと 津軽鉄道 金木駅」。 ![]() ここの駅前も閑散としていた。 ![]() 通りの物語 ~ まちの記憶 ~ 歩き回り疲れたので金木駅周辺はMAPから。 ![]() メロス坂通り【南新町】 ●日本民間飛行家第一号 白戸榮之助生誕の地 ●太宰治疎開の家「新座敷」 津軽鉄道金木駅から西へ延びる駅前の坂道は、かつて魚問屋、飲食店、市場、医院など が軒を並べ、駅から東西南北のバス路線が分かれ、物流拠点として栄えた。 新座敷は太宰が実際に居住し作品を執筆した場所として実在する日本唯一の場所である。 荒馬通り【北新町】 ●五所川原市役所金木総合支所 ●金木郵便局 ●妙乗寺 ●金木商工会 津軽鉄道金木駅から寺町へ通じる山手の道は、かつて、旧役場、旧営林署、旧消防署等 の行政区域として栄えた。 さらに金木には本格的な競馬場が開設され、サラブレットが疾駆していた。金木に伝わ る荒馬踊りは、津軽藩主が領地を巡検する雄姿を再現した県無形文化財である。 金木八幡宮 参道 ●鎮守社金木八幡宮 南北朝時代からの由来が伝えられ、津軽藩祖為信公が祈願したという歴史を有し歴代 藩主が巡検の折りに必ず参拝した神社である。 鎮守の森はどこか懐かしく、紙芝居や縁日で賑わっていた場所でもある。 ここは神楽の舞台があり、神楽の他にも伝統芸能が披露される。 斜陽館通り【本 町】 ●国指定重要文化財 太宰治記念館「斜陽館」 ●登録有形文化財 旧西澤家住宅 ●観光物産館「マディニー」 ●青森銀行、みちのく銀行、あおもり信用金庫 かつて、旧津島家の周りには警察署、郵便局、裁判所、銀行などが軒を連ねており、太 宰は「これという特徴もないが、どこやら都会風のちょっと気取った町である」と紹介 している。 太宰通り【寺 町】 ●太宰の教養・道徳観に影響を与えた寺社群 ●地獄絵図、後生車の雲祥寺 ●津島家菩提寺南台寺 ●津軽三味線の殿堂 津軽三味線会館 かつて津軽藩代官所、旧家、大店が軒を連ね、寺社門前の商店街として呉服商や醸造元、 酒屋、印刷所、医院などで賑わいを見せた文化的な一角である。 仁太坊通り【小川町・米町】 かつて西へ向かう幹線道路であり、こみせ通りを形成してあらゆる店が連なり、劇場や 映画館、多数の飲食店など娯楽の中心地として金木で最も賑わった地域である。 岩木川に面した神原村に生まれた目の不自由な芸人、神原の仁太坊こと、秋元仁太郎は、 八人芸と呼ばれる独特の芸を持ち、特に撥を叩き付ける太棹三味線の音色は人々に感動 を与え、仁太坊は津軽三味線の始祖となった。 ![]() 津軽鉄道南側の五所川原方面。 ![]() 冠雪した岩木山が見えていた。 岩木山は、弘前市および西津軽郡鰺ヶ沢町に位置する火山。標高は1,625mで、青森県の 最高峰である。日本百名山および新日本百名山に選定されており、その山容から津軽富士 とも呼ばれている。 ![]() 出札窓口も稼働しており、硬券による入場券や乗車券の販売もされています。 ![]() 駅舎内のガラス戸の中に、 「太宰治の生家 斜陽館」「津軽三味線発祥の町」「初のプロ飛行家 白戸栄之助」。 ![]() 初のプロ飛行家 白戸栄之助 白戸栄之助とは 明治19年(1886)金木町に生まれ、徴兵で軍隊に入除隊後、上京して徳川好敏大尉に 師事し、後に奈良原三次大尉の門下生となり、民間飛行家を志しました。明治45年( 1912)5月、神奈川県川崎競馬場で、民間航空初の有料飛行会に参加し、日本初のプロ 飛行家となりました。その後、各地を巡回飛行し、飛行機とはいかなるものかを普及 してまわり、大正5年(1916)には日本初の民間水上機「白戸式巌号」で、民間航空初 の離着水に成功しました。白戸飛行練習場を開設したあと、伊藤音次郎とともに東西 定期航空会を結成し、東京 ー 大阪間の定期航空を開始しました。37歳で引退するま で、空を飛ぶことに夢を持ち続けたひとりの男は日本の航空史に名を残しました。 ![]() 旅客運賃表 ![]() 津軽鉄道金木駅発車時刻表 ![]() ホームは2面2線の設備を保有しており、津軽鉄道線の中で唯一列車交換可能な駅となって いる金木駅である。 ![]() 岩木山には雲がかかっていた。陽の入りもまじかに。 ![]() 金木駅から、人気のない荒馬通りを西へ走り、 旧西沢家住宅主屋 金木町のほぼ中心に位置し、旧津島家住宅(太宰治記念館「斜陽館」)に隣接している。 西沢家は、旧小泊村に居住していた頃、北海道礼文島に鰊漁場を有し財を得たといわれ、 大正時代に旧金木町へ転入し、戦前まで漁業と農業を営んでいた。 住宅は、昭和11年に竣工。元来は地主でしたが、昭和25年頃から旅館業を営み、昭和55 年頃には飲食業を営むため、増改築されています。また平成9年には自宅建設のため、離 れを取り壊したと。 その西沢家の辻に案内板が立っていた。 「太宰治記念館『斜陽館』➔ 80m先」 「津軽三味線会館 ↘ 110m先」 「太宰治疎開の家『新座敷 ⤴ 410m先」 「金木駅 ⇦ 390m先」 ![]() 妙乗寺 所在地:青森県五所川原市金木町朝日山425 寺前の辻の南側に「太宰治記念館『斜陽館』」がある。 山号は青蓮山、寺号院号は妙乗寺、宗旨宗派は日蓮宗、宝永5年(1708)僧日良が川内村(中 里町)に庵を結び妙乗庵と称します、正徳4年(1714)8月21日、開基檀越荒関利右ェ門が土 地を寄進し寺院が建立されました。享保12年(1727)青蓮山妙乗寺と称したという。 ![]() 文化14年(1817)に庫裏を建造、慶応3(1867)年に全山消失、明治17年に再建した。 大正9年には20世大明院日実の代に鐘楼堂を建造。 昭和54年に22世日明が本堂改築、戦時に没収された梵鐘を新調したと。 ![]() 鐘楼門の右側に「妙乗寺」。 右側の石碑には「□□ 青蓮山 妙乗寺」と刻まれていた。 ![]() 昭和21年に21世日霓が本堂屋根をトタン葺に改造。昭和54年に22世日明が本堂を改築した。 ![]() 本堂の正面は唐破風で銅板葺きに改造された。 ![]() 16:45 周りが薄暗くなり始め急いで参拝した。 ![]() ー 続く ー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025.12.14 03:00:05
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