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おじん0523のヒロ散歩

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2025.12.19
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カテゴリ:ヒロ散歩
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信長公の首塚を見た後は西山本門寺の北側へ。

11月21日(金) 12:55
西山本門寺本堂を東側から見る。
境内は全体で360町歩の広さがあり、黒門から本堂裏手の墓地まで直線で2kmの敷地がある。

本堂前の保存樹イチョウは推定樹齢約200年の古木である。

東側の参道への通路に説明板が並んでいた。

参道側からの説明板。

参道側からの説明板、
静岡県指定文化財 (建造物)
本門寺の厨子
             所有者 本門寺
元和年間(1615~1624)一八代日順上人の代に、大阪の豪商七里久円(しちりくえん)とその
子息宗円(そうえん)の両人が発願して造立し、寛永二年(1625)六月二五日、西山本門寺に
搬入安置したものである。
間口・奥行共に一・八メートル。屋根はこけらぶき、妻入、正面唐破風付の桃山造りで、
極めて繊細な細工彫刻がなされた豪華な意匠を特徴としている。
昭和二十九年一月二十日県指定
            富士宮市教育委員会

西山本門寺略縁起
当山は富士五山の一つにして康永三年(1334)日蓮大聖人の高弟、六老僧の一人、白蓮阿闍
梨日興上人の高弟、蔵人阿闍梨日代上人の開創された寺院である。
特に十三代日春上人は甲斐武田家、十八代日順上人は千葉原家、二十代日圓上人は水戸家
の御出身の為、武田信玄公制牘、武田勝頼公高札、徳川家代々の朱印状等があり、又、百
八代御水尾天皇、新広義門院の両御尊牌を、御息女常子内親王が御施主となって当山にお
納めになり、よって下馬の禁札を建てることを許されました。
主な宝物
  日蓮大聖人御眞筆本尊
  毛縫の御首題 大聖人御母君頭髪
  日蓮大聖人御所持念珠一連
  大聖人御消息 一代五時鶏図 浄土九品釣物
    仝    高橋殿御返事 和漢王代記
  日興上人御筆本尊十四幅
    仝   大聖人御遷化記録
  日興上人御所持念珠一連
  日代上人御筆本尊八幅
  歴代上人御筆本尊百数十幅
国指定重要文化財
  紺紙金泥法華経十巻
  紙墨法華経八巻  常子内親王御筆
  法華證明鈔    日蓮大聖人御筆
重要美術品
  方等三味経
  撰法華経   常子内親王御筆
  沈金箱一合  近衛家下賜
  後陽成天皇御宸翰


国指定重要文化財 (書跡)
紺紙金字(こんしきんじ)法華経(十巻)
             所有者 本門寺
保安二年(1121年平安後期)に「師綱(もろつな)」「覚成」「公珍」により書写されたもの
であるが、正保四年(1647年江戸前期)七月十五日に信徒の「清主殿頭政次」が寄進したも
のである。
      昭和二十四年二月十八日 国指定
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
国指定重要文化財 (書跡)
紙墨(しぼく)法華経(八巻)
             所有者 本門寺
天和三年(1683年江戸前期)九月十四日常子内親王(後水尾天皇皇女)が両親の菩提のために
書写し、納経したものである。
      昭和二十四年二月十八日 国指定
            富士宮市教育委員会

国指定重要文化財 (書跡)
法華證明鈔(一巻)

             所有者 本門寺
上野郷の「南條次郎時光」が重病のとき、日蓮聖人が病魔を叱咤して「時光」を励まして
与えられたお手紙である。
一二八二年(鎌倉後期)二月二十八日に書かれ別名「死活鈔」ともいわれている。
      昭和二十四年二月十八日 国指定

右の書跡は宝蔵に納められているが、例年四月十八日の「お虫干し」には一般公開される。
            富士宮市教育委員会


国指定重要文化財
日蓮遷化記録 一巻

             日興執筆
             四老僧加判
日興が弘安五年(1282)十月十六日
日蓮の示寂前後の次第を書きとどめたもので内容は日蓮葬送日記と身延番帳からなり、
葬送日記は葬儀の様子や次第を記し、番帳は日蓮の墓を守る順番などが書かれている。
中世の高僧の葬送資料として貴重なものである。
      平成五年一月二十日  国指定
      平成六年三月二十五日 説明板設置
            富士宮市教育委員会

本堂の右側に一段高い敷地があったがかつて堂宇があったのか。

こちらの建物は?

東側の参道へ移動。
この北側に墓地があるとのことで行くことにしたがクマが怖い・・・。
この先は階段になっており車は行けなかった。


参道を進むと右側に苔むした階段があった。

階段を登ると静寂なスギ林の中に堂宇が建っていた。

堂宇の前に説明板が立っていた、後方には墓石。

日映上人御墓所
当山第十六代日映上人は大火により甚大な損失を受けた当山の復興にご尽力なされ、慶安
五年六月九日の御遷化されました。
御遺言により此処に御墓所が建立せられ、墓前には水鉢が備えられ、地元の住民は「日映
さんの御霊水」と尊びその水をできもの、擦り傷、火傷などに付けたところ自然に治った
との事です。

五輪塔、墓石が建っていたが説明板は無かった。

後ろに回り込むが墓石等の字は確認できなかった。

堂宇の中に墓石が立っていた。

墓石の前に水鉢が置かれ、新しい花が供えられていた。

日映上人御墓所から参道へ戻り更に北側へ上った。
両側に石灯籠が奉納されていた。


参道脇に基礎があったが。

クマが出そうな雰囲気で、先ほどの方に「クマの出没は」と聴き「時々出てくる
ので声を出して遠ざけた」と、冗談かと思いながら声を出して進んだ。

スギ林を進むと広場があり、石燈籠、新しい木柱が立っていた。


木柱には「本尊堂跡」。
後方には礎石があったが、説明板がなく詳細は不明。

更に右奥に進み振り返る。右側に木柱。


木柱には「御影堂跡」。
折角新しい木柱が立っているので説明板が欲しかった。


スギ林を抜けると奥に墓地があった。

墓地入口には古木のサクラが聳えていた。

墓地入口左側に墓石、石燈籠。

大内安清殿御墓所

西山の郷主、大内安清殿は重須(北山本門寺)を離山された日代上人を当地へ招請し、田畑
を寄進されて三堂を建立し康永三年(1344年)十月十二日当山が開創されました。
永徳元年(1381年)十月一日逝去。

墓地の東側には富士山が見えていた。

冠雪の少ない富士山をズームアップ。

草むらの中に古い墓石があった。

静寂な墓地から富士山を見る。

更にズームアップ。

墓地の西側に集落があった。

13:20
その道路脇に道祖神であったか。
傍の畑では農作業中の住民の方がおられた、昼下がりののどかな集落であった。


西側から墓地を望む。墓地の前にはサクラが植えられており春先には絶景に!

畑の傍には小川が流れており富士山の湧水が勢いよく流れていた。

サクラとのコラボが良いのであろう。

墓地を後にしスギ林の中へ入る。先程の木柱があり石灯籠も数基立っていた。

南側の西山本門寺の参道へのスギ林。

スギ林を抜け石灯籠脇のモミジが紅葉。

参道を下ると”日映上人御墓所”入口。
案内板が欲しいものだが。

西山本門寺の東側の駐車場へ戻る。クマとも遭遇せず一安心。
境内には二本の保存樹イチョウの木が聳える。

13:35
参道の北側を望む。
この後参道入口にある「黒門」へ向かうことに、又その傍にある蕎麦屋が美味しいと。



                                     ー 続く ー





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最終更新日  2025.12.19 03:00:05
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