「象徴性」の解像、『万葉集』秀歌詠み上げる奈良の時代・社会 阿部猛著『万葉びとの生活』 その2
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2022年07月03日
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カテゴリ:記録
![]() 「愛読書1千冊、住宅街に私設図書館」の見出しで、ネットの『朝日新聞』有料記事版がある点を発見。 釧路支局長だった高田誠記者が、投稿の記事が全国に配信され、読まれていたのだ。 「賀根村 沖縄料理 釧路市愛国」のキーワードで検索し、ヒットした中の一件。 「釧路市愛国東3丁目の住宅街の一角に、私設図書館ができた」「釧路自主夜間中学 くるかい」の代表、賀根村伸子さん(65)が約1千冊の愛読書を自由に読んでもらおうと貸し出す」と、記載が続く。 「営んでいた約30平方メートルの沖縄料理店を『和楽な図書館』に名を変えて開放」 「小上がりやカウンターに本棚を置いた」と書いている。開館は2020年7月25日。 記載の沖縄料理店に顔を出させてもらってから、5年は経過するか。お女将さんはご不在であったが、確かに愛読書の一部が飾られていた。 https://www.asahi.com/articles/ASN816X6BN7JIIPE007.html 「マチ中を図書館に」。そうしたマチが紹介されている。 愛読書の公開。その観点ではコーチャンフォー釧路文化ホール(釧路市民文化会館)の「ギャラリーカフェ ラ・メール」さんに「米坂ヒデノリ文庫」があった(2021年9月末まで)。 釧路市中園町12番 おはなしネットぼんぼん(2020年3月までか) 釧路市緑ヶ岡1丁目22番1 ... ゆったりはらっぱには絵本がいっぱい の「えほん、かみしばい、おはなし」も貴重な存在で、底堅い愛読者が集う。 「ラ・メール」さんも、「おはなしネットぼんぼん」さんも店じまい。投稿の高田誠記者は八王子支局長に栄転された。 本市は二つの製紙会社の生産工場を有した時期がある。 図書館移転の議論が高まった折には、「製紙のマチならではの、『紙の街にふさわしい、本のマチ』で、本を創る都市に」を合い言葉に<議論のまとまり>を誘導した。 マチ中にある私製図書館。至るところに増えてほしい。 そのためには愛読者が不可欠。「(市民は)まず読みましょう、読んだら書きましょう、書くことができるほどに読みましょう」。 まず一冊。書いた紹介、書評はそれぞれのブログで紹介。ブログを読んだ読者は「いいね」を押してあげては、いかが。 釧路市愛国東3丁目 旧沖縄料理店『和楽』は私設図書館『和楽な図書館』に転じた。 「(蔵書に)自己啓発本をはじめ、子育てや心理学、宗教、随筆、詩集、児童書などが並ぶ」と。 足を運んでみましょう。「釧路市愛国東3丁目 『和楽な図書館』」に。
2022年06月21日
カテゴリ:書評
![]() 文献史学者が『万葉集』に 注目した。 そこには「我が国の文学史上に屹立=きつりつ する民族の歌集」(397p)とするから。
そのもつ意味を「飛鳥・奈良時代の社会の様相を探ろうとするとき、欠くベからざる文献」と評価する(同)。 阿部猛著『万葉びとの生活』(東京堂書店 1995年)の「あとがき」に記載。 「(『万葉集』は)重要歴史的資料」にして、「歌という形で示された人びとの意思や感情を、私どもは貴重な財産として読み取る」が、「必要」と提起する。 戦後の歴史学の世界で、文献史学者には『万葉集』に「特別な感覚を持っているかもしれない」。そう書き出している。 実際の記載は、「(著者は昭和2年生まれ)私どもの世代は・・・」と書き始めておられる。 そうなのだが、若き日に講義を承った身には、「私どもの世代= 戦後の歴史学の世界で学んだ文献史学者」と読めるのだ。 その著者が永年、「特別な感覚」を寄せたとする『万葉集』の一首。それは。 「今日よりは 顧みなくて 大君の 醜の御楯と 出で立つわれは」 火長今奉部与曾布 (きょうよりは かえりみなくて おおきみの しこのみたてと いでたつわれは)=かちょういままつりべのよそふ 『万葉集・4373』)。 著書には詠歌の示す飛鳥・奈良の時代と社会が示す貴族・官人、そして防人など無名の民。 その生きた時代と社会を反映する象徴性を、解像・可視化する試みと読める。 通常、以下に解釈されるようだ。 「今日からは家をも身をも顧みすることなく、大君の強い御楯となって、私は出立するのである」。 背景に「防人の歌、大友家持に兵役の心構えを聞かれて詠んだ」と注釈が一般的。「この歌の思想は、長くわが国の軍国主義精神、愛国心として国により推奨された」とする、詠歌の機能も示される。https://ameblo.jp/sakuramitih32/entry-12572130212.html そこに、昭和戦前期世代に<思い入れさせた>点が込められていよう。 1989年には父親の阿部萬蔵との共編による『枕詞辞典』(高階書店)を出版する。 父君の生涯学習講座に精勤した成果の一でもある。
最終更新日
2022年07月03日 09時29分13秒
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2022年06月20日
カテゴリ:放送
![]() NHKG午前の番組は「徳島発 ご当地ビール」。クラフトビールで、その名も「上勝手ノワール」と、申すらしい。 「アメリカより技術顧問を迎え、ヨーロッパ系とアメリカ系の両方のホップを使い分け」 「仕上りを左右するスパイスなどにもこだわり、美味いビールづくりを追求」と申される。 →https://www.kamikatsu-terroir.jp/product_beer/ 22070215:57 その「仕上りを左右するスパイス」に 関係があるかどうかは詳しくないが、「柚香 ゆこう」 なる、逸品を紹介。 柚香(ゆこう)=「香酸柑橘類の一種で、ユズとダイダイの自然交配種と推定されています。 徳島県の山間部のみで栽培」。 地元の方は「昔から有名ですよー」と、平然と語る。 「葉っぱビジネス」で全国区となった徳島県上勝町。 「「エコ」でも先陣、『ごみゼロ宣言』」を、関西出身の女大学生OGが取り組んだ。 そこが、今や若者のIターンが相次ぎ・・・・・、と。 次の紹介は国立大学附属図書館のホームページで紹介。 Iターンする若者、新たなビジネス 上勝町の成功は、地域外の人々、特に若者の目には魅力的に映ったようです。 内閣府のインターンシップ研修事業がきっかけとなり、全国からたくさんの若者が上勝町へやってきました。 研修のなかで若者たちは上勝町の魅力に惹かれ、研修後も上勝町へ戻ってくる若者が続出しました。 中にはそのまま彩農家の後継者になったり、新たに起業した人もいます。 町はこの事業を継続し、行政が株式会社いろどりに事業を委託して現在では「いろどりインターンシップ」として継続されています。 「地域で取り組むまちづくり: 徳島県上勝町 九州大学附属図書館公式HP 」→https://guides.lib.kyushu-u.ac.jp/c.php?g=774917&p=5558791
最終更新日
2022年07月02日 16時26分40秒
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2022年06月13日
カテゴリ:記録
![]() 1)春採湖の夜景 -どこから見ても良いが、六花亭からの眺め- 2)釧路丹頂市場の牡蛎ラーメン -お値段も立派だが、満足感あふれる- 3)市内随所にある毛綱毅曠建築群 4)古い時代の名所に啄木歌碑とその設置ポイント -多すぎて、大いに悩むが- 5)釧路湿原 -コンクリートダムのない釧路川-、 -湿原自体は泥炭地で増水時にはダムの役割を果たし洪水を防ぐ魅力的な湿原。 与えられた時間は5分。 「釧路で魅力的と思う場所は」「どこへ案内するとよいか」。 二つの「問い」に、30名近い5グループが、それぞれの思いを述べた。 時は2022年6月14日午後。 所・処(ところ)は釧路市生涯学習センター“まなぼっと幣舞”の一室。 釧路湿原シニア大学9期生二年次6月第一講座第二コマ。 JAL新千歳空港支店から派遣されている服部まゆも氏の問いかけに出席者が反応。 回答提案が瞬時に出てきた。 「春採湖夜景」「牡蛎ラーメン」「毛綱建築群」「啄木歌碑群」「釧路湿原・釧路川」。 示した項目が<既にブランド化された側面以外の新観点><示した内容の意味>を明示した<優れモノ>。 釧路シニア大学は<2年課程大学>と<2年課程大学院>で構成されている。 前期課程の<大学では地域理解=地域を語ることができる>が目標。 後期課程たる<大学院では地域貢献=周囲のヒトを孤独のなかに置き去りにしない>を<学びの柱>に据える。 突然、提案されたワーキングショップ。日頃の問題意識が反映され、対応力は相当なモノ。 1970年前後。市内随所に「観光客をあたたく迎えましょう」。市民はなにを聴かれても「サー?、そんなとこ、あるかなー」。 そんなノボリ=幟がはためき、無愛想な市民は今や変わっている。そうしたことではないだろうか。
2022年06月12日
カテゴリ:記録
![]() 検索欄で「赤潮 ロシア 北大」と入力すると、現在でも多数の項目がヒットする。 2021年10月20日前後のことで、元はと申すと10月18日、北海道大学広報部が発信元となり、同学水産学部の報告をオンラインしたことを承けての報道である。 主要なURLを示す。最初は情報発信源。 https://www.hokudai.ac.jp/news/2021/10/post-921.html 北海道大学 2021年10月18日 3)甚大な漁業被害もたらす「赤潮」、北大が横断観測に初成功の 道東沖赤潮の横断観測にはじめて成功~漁業被害の原因となる赤潮のメカニズム解明と将来予測の可能性に期待~(水産学部附属練習船うしお丸 助教 飯田高大,水産科学研究院 准教授 芳村 毅) 大手メディアでは、『日本経済新聞』の電子版のURLがある。 https://www.nikkei.com/article/DGKKZO76779190Z11C21A0L41000/ 4)ロシア海域から南下か 道東部の赤潮、北大が調査 日本経済新聞 https://www.asahi.com/articles/ASPBN6F6SPBNIIPE004.html 6)赤潮の原因プランクトン、ロシアから南下か 北海道サケ・ウニ大量死 朝日新聞電子版 中沢滋人2021年10月21日 8時00分 北大提供の衛星写真3点 地元『北海道新聞』も勿論、続く。 https://newspicks.com/news/6283521/ 北海道どうしん電子版 2021年10月18日 5)道東の赤潮、ロシア由来か 北大チームが分析:北海道新聞 どうしん電子版 北海道東部。太平洋岸でウニに対する被害が報じられたのは、21年9月のことであった。 「北海道の最高級ブランド「昆布森のウニ」が赤潮で窮地に…“ウニ一筋50年”の漁師の嘆き」という報道もある。 →4/15(金) 10:02配信「ABEMA TIMES」の報じるところ。 https://news.yahoo.co.jp/articles/446173f04dd1d2f1ea58dd81838b5cb85b0e9ca1 赤潮発生当時、厚岸町に赴くことがあった。 釧路総合振興局は釧路町、厚岸町、浜中町、釧路市などの政策総合調整担当との調整に余念がなかったようだ。 「海水温が高い」。その動静を見極め、11月末になってようやく「稚苗」の着水に踏み切った。推移を見つめているところであろうか。 厚岸町ではその昔。牡蛎の養殖が頓挫した。 「木材の切りすぎ」。そうした指摘にこたえて「魚つき林 うおつきりん」を指導によって植樹した。結果、再生をはかることができた。 赤潮発生源は「ロシア領」。 大正末に出現の木材伐採、雨水と川床土の流入、牡蛎死滅。それは地元の努力で回避できた。 赤潮、ウニ・サケの大量死。それは地球規模での発生。かつロシア領エトロフ島東南端に発生源を有する国際問題なのだ。
2022年06月11日
カテゴリ:記録
![]() 紹介をうけていた映画『わが青春つきるとも-伊藤千代子の生涯-』を観せてもらった。 二人の知識人が登場する。歌人の土谷文明と安井てつ子・東京女子大学長。 土谷文明は、千代子の生い立ちを語る場面で登場し、二度目は収監先を訪ねて千代子を翻意させる場面で紹介されていたと、記憶。 安井てつ子は記者団の質問をうける。「お宅の学校から、多数の逮捕者を出しているが?」と問われ、「たまたま多いだけで、自由な校風のもと、<学生の自主性がたいせつ>」という趣旨の談話を語る姿。 観る前に、土谷の残した詠歌、三首が記録されている点をネットで読んでいた。 「こころざしつつたふれし少女(おとめ)よ新しき光の中におきて思はむ」 「信濃なる故里の山に教え子を思い出す日は泣かまく思う」 「むかし見し高島小学校を今見れば木垂(こだ)るさくらも年古りにけり」。 安井てつ(1870~1945)について、次の記載が読める。 「東京女子大学創立の時、49歳で学監に就任、その5年後に新渡戸稲造の後を継いで第2代学長として、1940年までの17年間その任にあたりました」。 大学側が掲載している。映画は実に昭和4年当時の実話。安井にとって学長就任7-8年目の時ということか。 大正末-昭和初期の治安維持法施行下。 厳密な考証と研究過程を問うところではあるも、<大正デモクラシーをくぐり抜けたリベラリスト>の位置と存在を、見る思いがした。 実に難しい局面。政治のなかに「軍に歯止めの勢力」「軍に忖度する勢力」。人格が良識と知性を失ったとき、聴く耳をもたなくなった。実に人類に対する尊厳も見失う。 「教え子を戦場に送る、な」。それが観念ではなく、投影される思い描いたシーンであった。
最終更新日
2022年06月13日 10時49分44秒
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2022年06月10日
カテゴリ:旅日記
![]() 仏教の時世に「三世 さんぜ」の概念があるも。三世とは。 「前世・現世・来世(後世)、または過去世・現在世・未来世の 総称」 「過去・現在・未来の称」 「三際(さんさい)。三生(さんしょう)。三界(さんがい)」とも。 鶴岡八幡宮は初め「八幡宮寺」でった、と。 八幡宮寺-永福寺跡-勝長寿院跡をむすぶ三角形の領域。取り囲んで浄土教系寺院群。 ある意味「源氏系一族菩提」の「東方に位置して(黄色の線でむすぶ)過去世の領域」は「右翼」を担う。 八幡宮寺-高徳院大仏殿を結んだ「鎌倉の表鬼門と裏鬼門」。航空機の胴体に匹敵。 政権の安定を裏付け、頭頂部に東国政権のニラミ。広報の尾翼に外寇を睨んで国家の餡安泰を期して「現世」を体現。 対して紫の線で結節は「臨済宗系鎌倉五山(建長・円覚・寿福・浄智・浄妙寺)」が存する。 武家社会の信仰をかたじけなくして、座禅と茶道。なにを祈った、か。 「お互いの心を安らかにし、大きな力を生み出す」とまとめられる。 往時を思いめぐらすに「戦場で仏に守られて成仏するためであり、また神仏に加護を祈るためのもの」とする。 鎌倉五山。紫の線で結ばれた領域。 その五寺院は「禅宗寺院最高の寺格。鎌倉末期に北条氏により鎌倉中心の五山制度が制定」。 こちらは北条政権存続のための「西方に位置する臨済禅=来世」の家臣団紐帯のシステムということなりや。 三大寺社が源氏再興の頼朝主導ですすんだ。航空機で申すと「右翼」に相当。 中軸に鶴岡八幡宮の「表鬼門=首」が位置し、尾翼に長谷寺&高徳院の「裏鬼門=尾」が占める。北東の東国武将をニラミつつ、南西の相模湾に唐船=外寇に対処の「胴体」を推進。 金倉五山は源氏政権を継承した北条政権が制定。機体で位置づけると「左翼」を担う。 ある一つの「鎌倉観」。かくなる地域観はいかがであろうや。
最終更新日
2022年06月12日 08時51分05秒
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カテゴリ:記録
![]() 京都の「間人村」。 なにかで読んで、「なぜ、そう読めるの?」。そもそも、なかなか「読み」を暗記できなかった。 カニの種名に「ハシウドカニ」というのがあって、漢字では「間人蟹」と書いて、「はしうどかに」と読む例を知ることができた。 検索サイトに「間人 読み なぜ」と入力。 探してみると、 「【京丹後】聖徳太子と縁の深い地、丹後町間人」 「どうしてそうなった!? 京都府の難読地名「間人」」 「【間人】あなたは読める?難読地名の読み方と由来」。 などのタイトルが示された。同じ疑問をもつ人は多い。そういうことで。 うち、「どうしてそうなった!? 京都府の難読地名「間人」」は[ちちんぷいぷい - 毎日放送]で、2015年1月23日に放送されたらしい。その記載となっている。 「間人皇后は「はしうど」皇后と読み、聖徳太子の母君のこと」。 「間人皇后が蘇我氏と物部氏の争乱を避けて丹後に身を寄せ」ていた。 「(都に戻る時)感謝として自らの名前である「間人(はしうど)」を村に贈り」「この地に自分の名前を付けるように言った」。 しかし、村人は当惑した。 「住民は間人皇后の名前を呼び捨てにすることを畏れ多く思いためらい」 「皇后がこの地から「退座」したことにちなみ、間人を「たいざ」と読み替えた] . 退座」にちなみ「「たいざ」と読み替えた。ここがポイント。 地名を記憶するに、「貴人退座」の<物語を想起>することが重要。
最終更新日
2022年06月12日 18時45分31秒
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2022年06月09日
カテゴリ:旅日記
臨済宗建長寺派 寿福寺。鎌倉五山の第三位にして鎌倉市扇ガ谷一丁目17番7号に所在。亀谷山寿福金剛禅寺(きこくさん じゅふくきんごうぜんじ)と号する。
![]() 一帯は「源氏山」と呼ばれたようで、「このあたりは源頼朝の父、義朝の屋敷があったところと言われてます」(鎌倉市教委HP). 「(寿福寺は)1200年(正治2年)に北条政子が頼朝の遺志を継いで明菴栄西を招いてここに寺を建て始め」とも。 この寺院から国指定史跡国泰寺跡に第三世住職 霊雲が派遣されている。そこで、筆者は平成7年に一度、訪問した。 今回、この寿福寺で紹介するは写真にある「源氏山」碑。 碑題にあたる「篆額 てんがく」が篆書体で書かれているため、理解しにくい。しかし碑文を読むと、すぐに「源氏山」と解することができる。 同型の碑が鎌倉市内の随所でお目にかかった。その基数、70基が閲覧可能と紹介。 https://kamakura.press/cal/category/kamakura-hi/ 鎌倉 史跡碑・旧跡碑(鎌倉町青年団石碑) 碑の建立者は「鎌倉町青年団」とある。建立期は「大正時代から昭和初期」。 国指定史跡「永福寺邱𦾔蹟=旧跡」は確かに「大正」とあった。 大正デモクラシーから昭和恐慌期に至る時期の建立。一はそこに関心があった。 二に地域の古老が発意しての建立。それは理解する。しかし「青年団」=正確には「靑年團」が、発起するというのも注目点。 三に最重要の一基、ゆずって2~3基を建立とするのはいずれの地にも例がありそう。しかし、その数「鎌倉市内に80ヶ所弱、設置されていると言われていました」。 その規模は、北海道では思いつかない。 しかも結構に「偉丈夫 いじょうぶ=からだが大きくてたくましい男」と言うべき、風格のある碑。 碑に敬意を表して「三解脱門」へ向かう。表に「山門不幸」の駒方札。御堂の前には「御朱印は休みます」。 このたぎ携帯の『御朱印帖」。せめて当山で一筆。 そう思ってでかけるも「五大不調 遷化」のお方があっては。
最終更新日
2022年06月10日 16時10分04秒
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2022年06月08日
カテゴリ:旅日記
![]() 仏教の時世に「三世 さんぜ」の概念があるも。三世とは。 「前世・現世・来世(後世)、または過去世・現在世・未来世の 総称」 「過去・現在・未来の称」 「三際(さんさい)。三生(さんしょう)。三界(さんがい)」とも。 鶴岡八幡宮は初め「八幡宮寺」でった、と。 八幡宮寺-永福寺跡-勝長寿院跡をむすぶ三角形の領域。取り囲んで浄土教系寺院群。 ある意味「源氏系一族菩提」の「東方に位置して(黄色の線でむすぶ)過去世の領域」は「右翼」を担う。 八幡具寺-高徳院大仏殿を結んだ「鎌倉の表鬼門と裏鬼門」。航空機の胴体に匹敵。 政権の安定を裏付け、頭頂部に東国政権のニラミ。広報の尾翼に外寇を睨んで国家の餡安泰を期して「現世」を体現。 対して紫の線で結節は「臨済宗系鎌倉五山(建長・円覚・寿福・浄智・浄妙寺)」が存する。 武家社会の信仰をかたじけなくして、座禅と茶道。なにを祈った、か。 「お互いの心を安らかにし、大きな力を生み出す」とまとめられる。 往時を思いめぐらすに「戦場で仏に守られて成仏するためであり、また神仏に加護を祈るためのもの」とする。 鎌倉五山。紫の線で結ばれた領域。 その五寺院は「禅宗寺院最高の寺格。鎌倉末期に北条氏により鎌倉中心の五山制度が制定」。 こちらは北条政権存続のための「西方に位置する臨済禅=来世」の家臣団紐帯のシステムということなりや。 三大寺社が源氏再興の頼朝主導ですすんだ。航空機で申すと「右翼」に相当。 中軸に鶴岡八幡宮の「表鬼門=首」が位置し、尾翼に長谷寺&高徳院の「裏鬼門=尾」が占める。北東の東国武将をニラミつつ、南西の相模湾に唐船=外寇に対処の「胴体」を推進。 金倉五山は源氏政権を継承した北条政権が制定。機体で位置づけると「左翼」を担う。 ある一つの「鎌倉観」。かくなる地域観はいかがであろうや。
最終更新日
2022年06月10日 18時43分39秒
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