2011/05/27(金)13:35
「長男の出家」 三浦清宏
読み始めて思い出しました。
わたしは、この本を読むのは3回目です。
芥川賞にしては(?)ちょっと読んだ感じは、難しい言葉や表現もないし、あまり長くないし、さらさらと読める本です。軽く読んで、そのまま「おもしろかった」ですませることもできそうです。
だけどこの本は、人によって響くところが違うだろうなと思わせられます。
人によってもそうですけど、同じ人でも読んだときの背景や立場が違えば、全然違う読み方ができるだろう・・・
そう。この本は、ちょっと珍しいくらいいろんなことを感じられる本だという気がしました。
ストーリーは実に簡単です。
ごく普通のサラリーマンの家庭の長男が、わずか9歳で僧侶になりたいと言い出します。
普通9歳の少年の夢なんて、すぐに忘れて、その時々に興味の向くものになりたいというのが普通だと思いますが、この長男の意思は固く、とうとう中学生になって出家してしまいます。
職人に弟子入りするのも厳しい修行でしょうが、仏門に入ることにはもっと、想像を超えた厳しさがありました。が、本人は淡々とすべてを受け入れていきます。
受け入れられないのは、両親の方です。
まだ十代の愛する息子を手放す。
手放すといっても、昔の丁稚奉公のように盆と正月に里帰りができるわけではありません。寺に訪ねて行って遠くから姿を垣間見るだけで、声もかけられないし、好物を食べさせてやることもできません。そればかりか、戸籍まで赤の他人になってしまうのです。
親に甘えるどころか、急に他人行儀に(他人になったんですが)「木村さんがおみえになりました。」などと住職に伝える長男。
生み育てた親でありながら、親であることを許されない。
そこにいるのに、声もかけられない。
そういう状況になったとき、父親は自分が今まで生きてきたみちのりを思い、母親は自分と子どもの将来を見る。そしてそれぞれが、この受け入れ難い状況を自分なりにかみ砕いて消化していく。
これは、そんな親の物語です。
昨今の親子の関係は、大学生にもなった息子を小さい子ども扱いしたり、80歳の母親が50歳の息子に○○ちゃん、気をつけてね。なんてやってるのが、当たり前の風景になってしまっていて、たいした違和感も持たなくなってきましたよね。(うちにもいるけど)
親って、放っておけばそんなふうになってしまうものなんだとも思います。
親として、まだ15年ほどしか子育てをしていないこの夫婦が、いきなりスパッと親の道を切られてしまって、これからの人生をどうやって生きていくのか、私はそれがとても知りたいです。
また、両親の気持ちを表現しているところはたくさんあるけれど(でも、控えめです)、長男本人の気持ちについては、ほとんど何も書かれていません。父親が日常の長男の様子を思い出しては想像するだけです。
わたしは、長男のほんとうに気持ちも知りたいと思いながら読みました。だけど、親ってものは、結局子どもが本当に何を感じているかを知ることはないと思うので、読者も知らなくてもいいことなのかもしれませんね。そこがまた、読み手を深く考えさせる点だと思います。
これは著者の三浦清宏さんの実体験じゃないかという気がするのですが、続編を書いていらっしゃらないのでしょうか。
もしご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてください。
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