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2011.01.14
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カテゴリ:書籍


昭和45年11月25日

昭和45年11月25日



 日本国民すべてがあんまり気違いではなさすぎるので、三島氏は、せめて自分ひとりで見事に気違いを演じてやろう、と決意したのにちがいない

昭和 45 年(1970 年)11 月 25 日、三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹、介錯される――。


本書は、三島由紀夫本人の行動や信条には一切触れていない。三島と同じ時間を共有していた 120 人の人々の、11 月 25 日の出来事を詳細に綴ったものだ。その意味ではノンフィクションと言えるが、三島の自殺があまりにも劇的であるため、彼らはあたかも小説の中の人物(しかも脇役)にも見えてくる。

この時、昭和天皇は健在で、総理大臣は佐藤栄作、自民党幹事長は田中角栄、警視庁長官は後藤田正治という最強の布陣である。市ヶ谷という東京都のど真ん中で起きた事件だけに、多くの著名人が事件を間近に体験している。川端康成、永六輔、司馬遼太郎、石原慎太郎、安部譲二、瀬戸内寂聴、仲代達矢、勝新太郎、坂東玉三郎、美輪明宏、篠山紀信、等々。


俳優・仲代達矢は、かつて三島に向かって「どうして、作家なのにボディビルをやるんですか」(178 ページ)と訊いたという。三島はこう答えた。「僕は本当に切腹して死ぬ時に、脂身が出ないように、腹を筋肉だけにしているんだ」。

後に航空幕僚長となり政府見解との相違から更迭された田母神俊雄は、防衛大学校の学生だった。校長が「暴力は絶対許せない」と訓示したことに対し、後年、「『そりゃそうだろう』とストンと得心した記憶がある」(194 ページ)と記し、「その得心は今でも変わらない」という。

作家・安部譲二は三島に呼び出されて六本木のクラブに出向いた。三島は「この店にキープしである私のボトルは君にあげる」(147 ページ)と言った。「プランディーやウイスキーなら、置いといても悪くなることもないでしょう。外国にでも永い旅行ですか」と安部が聞き返すと、三島は「ああ、そうなのだ」と答えたという。

アニメ研修生だった安彦良和は、その夜、「アニメ研修所の同期生と共に、三島はなぜ死んだのかを語り合った」(214 ページ)という。


ともかく、120 人が 120通りの三島感を持っていた。

これについて、著者は、「40 年前に、三島由紀夫は情報化時代を体現していた」(274 ページ)と結ぶ。つまり「現実社会には『たったひとつの真実』など、存在しない」のである。

自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室のバルコニーに立つ三島の姿を目撃したという荒井由美は、「あのとき、60 年代末のムーヴメントが終わった。『これで時代が変わるなあ』って思ったことを覚えてる」(58 ページ)という。

ウルトラマンという勧善懲悪型ヒーローや、科学万能主義を前面に押し出した大阪万博は、もはや時代遅れとなってしまった瞬間だった。


さて、自分の記憶をたぐってみると、同じ年にあった大阪万博のことは明瞭に覚えているのに、なぜかよど号ハイジャック事と三島の割腹自殺は記憶にない。家にはテレビもあったのに、なぜだろう?

子どもの記憶に、三島の自殺のような複雑な事象は残らなかったのかもしれない。

単純明快な大阪万博やチキチキマシン猛レースは鮮やかな記憶となって心に残り、自分は昭和時代を一直線に駆け上っていく。その上昇飛行が終わるのは、約 20 年先のバブル崩壊であった。そして間もなく、真実の欠片もないインターネット世界と現実の生活が重なり合うようになる。

三島が、いまの日本を見たらどう感じるだろうか。



■メーカーサイト⇒中川右介=著/幻冬舎/2010年09月発行 昭和45年11月25日

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最終更新日  2011.01.14 11:14:37
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