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16 世紀のコペルニクスから現代まで 160 人以上の科学者を選び、業績だけでなく、当時の世相や科学者たちの素顔も紹介するという、読んで楽しい人物事典である。 コペルニクスは天文学者である前に医者であった。彼の肖像画は、当時薬草として珍重されていたスズランを持つ姿で描かれている。ディコ・ブラーエの天文台の地下には、税金を払えなかった農民を幽閉する牢屋があった。ガリレオは、自らが発明した望遠鏡を製造・販売していた。 ファラデーは貧困層の出身であったため、13 歳で製本屋のもとに奉公。職場にあった「ブリタニカ百科事典」などを読んで、自学自習で科学への関心を深めていった。ロンドン王立研究所のデイヴィー教授に雇われたときも、最初は雑用係であった。 19 世紀末になると学問領域の細分化が目立つようになったが、物理化学、気象学、宇宙物理学、生物学、生理学、免疫学まで幅広い分野で足跡を残しているスウェーデンのアレニウスは、1880 年代の半ば、大気中への CO2 排出量と気温上昇の相関関係を計算し、温暖化への警鐘を鳴らしている。 1905 年、アインシュタインは 26 歳で特殊相対性理論を発表する。その数式は、52 歳のローレンツが提示していたローレンツ変換式と同じだった。だが、エーテルの存在を確認していたローレンツと、そうでないアインシュタインには彼我の差があった。 理論物理学者のパウリは実験が大の苦手で、彼が実験室に入ると必ず何かが壊れたという。あるとき、ゲッティンゲンのフランクの実験室で、原子と電子の衝突を測定する装置が、突然、作動しなくなった。その時刻に、パウリを乗せた列車が数分間、ゲッティンゲンの駅に停車していたのであった。 ノーベル物理学賞を受賞したファインマンは若いとき、結核で余命 3 年のアーリーンと結婚した。マンハッタン計画に動員され行動が制限されていたファインマンは、毎週研究所を抜け出し、入院していた妻に会うために 160km の道のりをヒッチハイクで往復したという。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.08.28 19:44:08
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