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カテゴリ:書籍
著者はフリー・ジャナリストの奥野修司さん。『ねじれた絆 赤ちゃん取り逃え事件の 17 年』『隠蔽 父と母の〈いじめ〉情報公開戦記』など、出産に関するルポルタージュを上梓している。本書は、皇太子殿下(今上陛下)と妃殿下(皇后陛下)の結婚から、浩宮(皇太子殿下)、礼宮(秋篠宮殿下)、紀宮(黒田清子さん)の出産に関わる医師、助産師、事務官、そして医療機器メーカーの奮闘の記録である。浩宮誕生から 40 年を経て書かれたため、すでに他界している人物も多く、資料も散逸している。だが、当時のわが国の産科医療を知り、現在の医療水準との差異を知るメルクマールとして、たいへん参考になる。 昭和 21 年から始まったベビーブームで、わが国の人口は 15%も増えた。その影で、赤ちゃんの 1 割近くが死んだという。「赤ちゃんの死亡率が減少するのは、閉鎖型保育器と蘇生器(陰陽圧式レスピレーター)と、そして当時の産科領域で ME 機器を代表する分娩監視装置の普及に拠っていた。この 3 つがかろうじて揃ったのが昭和 35 年の浩宮誕生のときだった」(40 ページ)という。東大が胎児危険予知のために試作していた胎児の心音を記録する「胎児心音監視装置」が、浩宮の誕生の際、日本ではじめて使われることになった。 「たとえ病院はボロであっても、中身は日本一といわれる病院にしたい。それが目崎氏の願いであった」(138 ページ)という。 ME 機器の開発は日進月歩だった。浩宮から 5 年半後の礼宮誕生の際は、胎児心音監視装置をはじめとする各種ME 機器は一新される。目崎医師は、限られた予算を有効に利用し、足りない分は口約束で最新機器を揃えた。 Wikipedia にも載っていない目崎医師は、浩宮、礼宮、紀宮と、美智子妃の出産すべてに立ち会い、平成 9 年 12 月、90 歳の生涯を閉じる。このように黒子に徹した医師がいるのも驚きだが、皇室の出産のために ME 機器の開発に全力を投じる医師や技術者が、今日のわが国の産科医療を築いてきたのだと、あらためて考えさせられる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.01.12 12:01:00
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