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カテゴリ:書籍
西村博之さんは、最近、「論破王」と呼ばれているそうだが、私から見ると「相手を怒らせるのが上手なタイプ」に見える。たしかに、相手を論破してはいるのだが、そこでお終い。成果は何もない。 「もっともらしい意見よりも事実のほうがだんぜん強い」(22 ページ)というのは、まったくその通りで、多くの議論、とくにテレビの討論会は、事実の提示だけで終わってしまうだろう。だが、それでは朝まで番組が続かないので、延々と感想を述べ合う。 また、「クレイマーと同じように自分の会社や商品に対して怒ってみせて、クレイマーの味方になってしまったほうが格段に早くおさまる」(38 ページ)など、ビジネスマンとして首肯できない。西村さんは働くのが嫌な人で、役員になっている企業でも決定権は行使しないということなので、おそらく、2 ちゃんねるの管理人であった時のように、社会を睥睨して見る人生を送りたいのだろう。ここが、私の生き方との分岐点になる。 「自分の知らない事実や、想像もできない考え方を知ることができる。それが議論をすることの楽しさ」(48 ページ)、「成功するか失敗するかを判断するとき、あまり主観で考えないようにしています」(51 ページ)、「ジャッジの前で議論するようにする」(68 ペページ)などには同意するが、「責められている、怒られている「かわいそうな人」というのをずっと演じ続けると、「大変そうだね」みたいな同情が集まって、味方が増えて、最終的に勝てるわけですよ」(57 ページ)というのは邪道だろう。 ナイチンゲールはなぜ偉かったのか――「日本でナイチンゲールというと、単に『やさしい看護師さん』で終わっています。でもざっくり言うと、あの人はじつは統計学の先駆者」(130 ページ)ということは知っている。私も「人を説得するうえでは、じつは『数字に勝るものはなかなかない』ということ」(131 ページ)は承知している。 第5章「ああ論破したい!――こんなときどうする? ひろゆきのお悩み相談室」では、具体的ケースを挙げて、論破の手順をアドバイスする。 「仕事に役立つかどうかは何を深掘りするかによるでしょうが、何が役に立つかわからないのも今日のビジネスシーンの特徴」(214 ページ)というのは、その通りで、常に情報をインプットし続け、記憶をアップデートし続ける必要がある。 終盤で西村さんは「論破というものは話し方の技の問題というよりも、単に事実ベースの材料、つまり根拠を持っているかどうかの問題という気もする」(234 ページ)と述べているが、要するに、本書は論破のためのノウハウ本ではなく、検証を行うことの有用性を説いた本であるように感じた。タイトル『論破力』は、西村ひろゆき流の“煽り文句”であろう――。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.02.24 12:53:42
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