| コリガン「コンピュータというやつは外界との相互作用はうまくはできないという、単純な事実があるんだ」(93ページ) |
著者・編者 | ジェイムズ・P・ホーガン=著 |
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出版情報 | 東京創元社 |
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出版年月 | 1999年7月発行 |
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本書は、人工知能をめぐる科学とビジネスの対立を軸に、人工知能に学習させることができない人間の心の葛藤を、ユーモアタップリに描き出したハード SF だ。
著者は、『星を継ぐもの』『創世記機械』などでお馴染みのジェイムズ・ P ・ホーガン。2010 年に亡くなっているが、本書は 1995 年に書かれたもので、人工知能の冬の時代であるにも関わらず、今日のディープラーニングを彷彿とさせる舞台設定となっている。コンピュータ・セールスマンだったホーガンの面目躍如といったところ。
科学者ジョー・コリガンは、ある日、見知らぬ病院で目を覚ました。彼は記憶を失っており、自分が誰であり、どんな仕事をしていたのかも思い出せなかった。担当医師ゼールやカウンセラーの治療を受け、徐々に記憶を取り戻してゆく。
彼は人工知能「オズ」の研究開発に従事しており、人工知能に学習させるために現実世界に限りなく近いヴァーチャル・リアリティの開発に従事していたのだ。だが、ドクター・ゼールの治療方針として、彼を元の職場に戻すことをせず、バーテンの仕事をするなどしてリハビリに努めさせた。ジョーは臭いを感じることができなくなっていた。そして、人々の様子や、世界の在り方にどうしようもない違和感を覚えていた。そうして 12 年の歳月が流れた。
ある日、ジョーの前に現れた女性リリィが告げた。この世界はヴァーチャル・リアリティであり、私たちはそこに閉じ困られていることを。
そう考えると辻褄が合う。人々の様子がおかしいのは、それは現実の人間の思考を真似るようコンピュータが作り出したアニメーションなのだが、学習過程に何らかの問題があり、現実世界の忠実な複製となっていない。なによりも臭いが感じられないのは、ジョーたち現実の人間とのインターフェースとして、嗅覚だけがシステムに実装されていなかったからだ。
ジョーは世界からの脱出を試みたが、ある日突然、現実世界に戻され、そこで目覚めた。だがそこは、オズが稼動開始する直前の世界だった。ジョーは時間を遡ったのだろうか。
ジョーたちを罠にはめたのは、ライバル科学者のフランク・タイロンなのか。上司のジェイスン・ P ・パインダーはジョーに助け船を出せるか。出資者であるケン・エンデルマイヤーは何を追い求めているのか――各人各様の目論見が渦巻く中、舞台はめまぐるしく変化する。はたしてジョーは現実世界に戻ることはできるのか。
原題「Realtime Interrupt」のとおり、本作品はヴァーチャル世界とリアル世界を行ったり来たりする。最初は少し戸惑うかもしれないが、やがて慣れてくる。ところが、この「慣れ」がホーガンの用意したトラップで、最後のどんでん返しに、まんまと騙された。人工知能に対するトリックはもちろん、死してなお読者の心まで操ることができるとは、おそれいった。
主人公のジョー・コリガンは、「コンピュータは現実世界と交流して必要な情報を拾いだすことはあまり得意じゃない」として、ヴァーチャル世界の中で、人間を模した多くのアニメーションに、本物の人間を紛れ込ませることで、人工知能を学習させようというオズ計画を立ち上げる。
ジョーは続けて言う。「われわれには「常識」と呼ぶ、巨大な知識ベースという利点がある。それによってわれわれは微妙な、状況に応じた関連付けができる。それによって人間は比喩を理解するようなことがあれほどうまくできるわけだ」――これは、現代のディープラーニングが抱えている問題でもある。そして、MIT AI研究所の創設者で、実在するマーヴィン・ミンスキー博士(2016 年死去)が登場する。人工知能を研究してきた者としては、ニヤリとさせられた。
オズ計画に莫大な投資をしたエンデルマイヤーら資本家側には、期待する成果があった。この成果を短期間に出そうとするのが、ジョーのライバル、フランク・タイロンである。現実のビジネスでよく出くわすシチュエーションだ。
ホーガンの SF を安心して読んでいられるのは、科学はビジネスと違って、必ずしも成果が出ないこと。それでも最後には科学者が報われること――本作品は「ここでは、時間はマイペースで流れていった」と締めくくられる。私が暮らすリアル世界も、こうありたいものである。