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2021.10.08
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カテゴリ:書籍
ザイログZ80伝説

ザイログZ80伝説

 その理由は、よくいわれるように見術な技術者が身につけた知識の更新を嫌ったからだけでなく、優秀な技術者がトランジスタを1万個近く集積したICの信頼性に疑いを持ち、様子見をしたからだと思われます。(58ページ)
著者・編者鈴木哲哉=著
出版情報ラトルズ
出版年月2020年8月発行

初めて買ったパソコン SHARP MZ-1500 には CPU として Z80 が搭載されていた。ハードウェア、ソフトウェアの両面に渡って Z80 を学び倒し、それは私の技術力の糧となった。そんな伝説の CPU を振り返ってみようと、本書を手にした。著者の鈴木哲哉さんは 10 歳年長だ。

4 ビット CPU「4004」や 8 ビット CPU「8080」を設計したフェデリコ・ファジンは、ラルフ・アンガーマンとともにインテルを退職し、1975 年 5 月、石油企業のエクソンから 40 万ドルの出資を受けてザイログを設立した。そして、インテルから[嶋正利:wikipedia]が合流し、あらたな CPU「Z80」の設計は順調に進んだ。
ザイログは自社で半導体生産できる設備を持っていなかったので、当初、シナーテックに委託製造させようとした。しかし、条件面で折り合わず、モステックに委託することになった。これが功を奏し、Z80 は順調に生産され、1976 年 7 月に発売。1 年後にはクロック数が 4MHz と 2 倍になった。

Z80 の販売が始まると、エクソンは 500 万ドルの追加投資を行い、1976 年、ザイログはカリフォルニア州クパチーノに半導体工場を建設する。その 1 年後、すぐ近くにアップルの工場が建設される。
1977 年、ファミリーチップ Z80 DMA、PIO、CTC の生産が始まり、やや遅れて SIO の生産が始まった。

Z80 はハード/ソフトの両面において 8080 を上回っており、とくに SIO は当時の半導体チップにしては抜きん出た機能を備えていた。しかし、1977 年の売上個数は 18 万個で 8080 の 2 割以下だった。売上個数で 80806502 を超えたのは 1980 年になってからだ。

1974 年、世界初のパソコン「アルテア 8800」は、インテル 8080 を搭載していた。1977 年には 6502 を搭載した Apple IIPET 2001 が発売される。
1977 年 11 月、タンディはクリスマス商戦に向け、Z80 を搭載した初のパソコン [TRS-80:wikipedia]を投入する。キーボードやモニタを付けて 600 ドルと、Apple II の 3 分の 1 の価格に抑え、系列の家電販売店ラジオシャックで実演販売することで、大成功を収める。浮動小数演算可能な BASIC や、グラフィック描画機能を搭載していた。
1979 年に入ると、世界各国で Z80 を搭載したパソコンの販売が始まり、出荷数が急速に延びる。国内では、1978 年 12 月に発売された SHARP MZ-80K(Z80 2MHz)を皮切りに、1979 年 5 月に NEC PC-8001(Z80 互換 4MHz)が発売された。
1983 年 6 月、米マイクロソフトとアスキーが [MSX:wikipedia] 規格を発表する。1990 年代初頭に発表された MSX turboR まで、CPU として Z80 を搭載。500 万台生産された MSX パソコンの半分は海外に輸出され、Z80 の認知度を高めた。

Z80 のファミリーチップ、とくに Z80 DMA は高価だった。Z80 CPU ・ CTC ・ DMA ・ SIO が揃って搭載されたパソコンは、1984 年 10 月に発売された SHARP X1 turbo が初めてだった。
Z808080 と異なり、DRAM のためのリフレッシュ信号を備えていた。DRAMSRAM に比べて安価に製造できることから、パソコンの主記憶に採用され、このことが Z80 の出荷数増加に繋がった。
DRAM は IBM が発明し、1970 年、インテルが発売した 1K ビット DRAM 1103 が広く使われるようになった。以後、4K ビットは TI社が、16K ビットではモステックがトップサプライヤーとなった。1970 年代には、日本が国策として DRAM 製造に力を入れ、64K ビットでは日立製作所、256K ビットでは NEC、1M ビットでは東芝がトップサプライヤーとなった。日本企業のシェアは 1986 年には 80%にも達した。
日本の MSX や DRAM が Z80 の出荷を牽引したとも言える。

1976 年、デジタルリサーチは 8080 用OS「CP/M」を発売する。
CP/M がパソコンの共通基盤となったことから、BASIC をはじめとするプログラミング言語はもちろん、ワープロソフト WordStar、表計算ソフト SuperCalc、データベースソフト dBASE II などが登場し、パソコンがビジネス業務にも利用できることを証明した。ついには、Apple II 用の Z80 カードも登場した。
CP/M には 8080 用アセンブラ ASM が標準搭載されており、それまでミニコンでクロス開発していたソフトをセルフ開発できるようになった。このことが Z80 の販売数アップに繋がり、パソコンが普及するきっかけになった。
デジタルリサーチは、PL/I、BASIC コンパイラ、Pascal コンパイラなどを発売し、ソフト開発をサポートした。創業間もないマイクロソフトも、M-BASIC(インタプリタ、コンパイラ)に加え、Z80 のアセンブルを可能とするマクロアセンブラ MACRO-80 を発売した。






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最終更新日  2021.10.08 12:42:26
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