|
カテゴリ:書籍
著者は、斎宮歴史博物館学芸員で関西大学等非常勤講師の榎村寛之さん。日本古代史が専門で、本書は2023年に刊行された『謎の平安前期―桓武天皇から「源氏物語」誕生までの200年』の続編にあたる内容だ。 藤原道長の時代は、支配層が「オール藤原」といえる摂関政治の全盛期だったが、平安時代後半になると、藤原氏だけでなく、源氏・平氏、そして皇族などいろいろな人たちが登場する。地方で受領として実績を積み、富を蓄え、大貴族の家政を預かる「家司(お屋敷のマネージャー)」になる下級貴族や、出家した元皇后(皇太后)に送られる称号である「女院」が活躍した時代である。紫式部は当時の宮中の様子を『源氏物語』に反映させたと考えられているが、政治的背景の弱い藤壺が女院となり、皇族の家長に上り詰めたサクセスストーリーとして描かれている。その意味では、女院の活躍を予言した物語とも言える。 藤原彰子は、藤原道長の長女で、道長は12歳の彰子を女御として内裏に送り込み、一条天皇の中宮とする。彰子は、後一条天皇、後朱雀天皇を産み、太皇太后となり、官位で道長を上回った。そこで道長は太政大臣を辞し、出家し大殿(法名は行観)となることで、臣下の序列から離れて外部から王権をコントロールするようになった。彰子も、それに倣い、藤原氏の中宮経験者では初めて、上東門院という女院となり、天皇家と摂関家の双方に君臨する地位を道長から引き継ぎ、1074年、87歳の天寿を全うする。 10世紀に入ると、地方では大貴族や寺社の荘園ができたり、国府の力が強くなり、律令体制下にあった群とその下部組織の郷という地域支配システムが機能しなくなり、治安維持能力をもった武士が台頭してくる。たとえば、986年に斎宮・済子女王と密通事件を起こしたという滝口武者平致光は、996年の長徳の変の際には伊周の郎党として逃亡を余儀なくされたが、1019年の刀伊の入寇で活躍した平致行と同一人物と目されている。また、藤原道長に武力をもって仕えたなかに、清和源氏の源頼光がいた。四天王ともに大江山の酒呑童子を退治した伝説の主である。 榎村さんは、「専制的な君主の政治は、行き当たりばったりから始まることがしばしばあるようだ」として、桓武天皇と白河天皇の2人を挙げる。白河天皇は、薄いながらも藤原能信を通じて摂関家との繋がりがあったため、藤原頼通へのトラウマを持ちつづけた禎子内親王や後三条天皇にとっては邪魔な存在であり、白河体制の船出はじつは割合不安定なものだった。白河天皇は8歳の堀河天皇に譲位する際、すでに母親の藤原賢子が没していたことから、自らの長女の?子内親王を未婚のまま堀河天皇の母后の代理である准母として指名し、天皇の後見人となった。1093年に?子は郁芳門院と呼ばれる女院となり、自由に権力をふるえるようになったのもつかの間、1096年に急逝してしまう。白河上皇は郁芳門院のために六条殿を建造するが、この建設事業に携われ白河に認められたのが平正盛――平清盛の祖父である。 平氏は源氏に比べてマイナーで、平氏は桓武、仁明、文徳、光孝の4系統しかなく、12世初頭の時点で残っているのは桓武の子孫の高棟王と高望王の2系統だけだった。高望王系兵士は地方で武士化し、そのなかに白河院の近臣となった平正盛がおり、その孫が清盛である。清盛は、高望王系の文人平氏の時子との結婚することで、武人平氏と文人平氏を合一し、さらには後白河院や二条院との強いパイプを構築した。 本書は、藤原道長の絶頂期を平安時代の折り返し点とみなし、そこから鎌倉幕府へ至る約200年のあいだ、上東門院彰子、陽明門院禎子内親王、八条院?子内親王という、歴史の表舞台に出てこない女性たちにスポットを当て、天皇家や摂関家との関係を分かりやすく系図で示しながら歴史の流れを解説している。〈女院〉を通してみることで、「なんだかよく分からない平安時代」に歴史的な一貫性をみることができた。 平安時代最後の女院・八条院は、全国に200箇所以上ある荘園・八条院領の元締めであり、多くの武士を抱えていた。以仁王は、その経済力と武力を背景に挙兵するが、八条院自信は誰の味方にもならず、鎌倉時代まで生き延びる。八条院領は、のちに大覚寺統と呼ばれる天皇の系統へ受け継がれ、南北朝の争乱を引き起こす。 付録として、「男もすなる」歴史書を「女もしてみむとて」書かれた大長編歴史書『栄花物語』の一覧表があり、参考になった。正編の著者は、NHK大河ドラマ『光る君へ』の中で、藤原道長の正妻・源倫子に、宇多天皇から書き始める必要があるとドヤ顔で言い放った赤染衛門。榎村さんの前著『謎の平安前期―桓武天皇から「源氏物語」誕生までの200年』に記されている通り、道長の時代には国(男)が編纂した歴史書が無くなっていることと対照的だ。 これは想像の域になるが、歴史の表舞台に見えている男系皇統を裏で支えているのが、こうした女性たちの存在であり、両者のバランスの上に、わが国は征服も支配もされずに続いてきたように感じる。道長と紫式部の願いは、千年の時を超えて今日まで受け継がれていると言えよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.12.30 12:25:50
コメント(0) | コメントを書く
[書籍] カテゴリの最新記事
|