 | 第4次の銀河鉄道という表現に特殊相対性理論の効果を期待するのであれば、銀河鉄道は光速に近い速度で走っていることが望ましい。 |
著者・編者 | 谷口義明=著 |
---|
出版情報 | 光文社 |
---|
出版年月 | 2020年7月発行 |
---|
著者は、天文学者で、ハッブル宇宙望遠鏡を使ってダークマターによる銀河形成論を初めて観測的に立証した谷口義明さん。冒頭、子供の頃から宮沢賢治の『雨ニモマケズ』『注文の多い料理店』を知っていたという。私も同じだ。
賢治の故郷、花巻を訪れ、お土産に『銀河鉄道の夜』を買い求めた谷口さんは、天文学者の視点で『銀河鉄道の夜』をもとに宇宙を学べるよう本書を著したという。そして私は、かつての天文少年の目で楽しませてもらおうと、本書を手に取った。ちなみに、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は青空文庫で無償で読むことができる。
第1章では、まず賢治の生涯と作品を概観する。谷口さんは、まとまりのある文章を書くのに思考回路をほぼ閉じているが、賢治の場合、作品を書いているときでさえ思考回路は外に開いており、まるで巨大なパラボラ・アンテナのように情報をキャッチし、会話をし、それを書き写しているだけだという。常人では太刀打ちができない。
1925年、賢治が29歳の頃、アメリカの天文学者エドウィン・ハッブル(1889~1953)が、アンドロメダ星雲が銀河系の外にあることを発見する。そして、賢治の死後となる1936年に「銀河のハッブル分類」を発表する。当時の日本では、まだ「銀河」という天文用語は一般に普及しておらず、もしかしたら『天の川鉄道の夜』になっていた可能性もあるという。
作品に出てくる“第四次”という耳慣れない用語は、アルベルト・アインシュタイン(1879~1955)の相対性理論に絡むものと解釈されている。アインシュタインは、1905年に特殊相対性理論を、1916年に一般相対性理論を発表している。そして、1926年には量子力学の基礎、シュレディンガー方程式が構築された。『銀河鉄道の夜』の最終形(第四次稿)が完成したのは1931年頃とされている。宮沢賢治は、天文学と物理学が劇的に発展していた時代に生きていた。
アイルランドの天文学者ロス卿が、1847年に完成した世界最大の反射望遠鏡を使ってスケッチしたM51星雲の渦巻きに影響を受けたゴッホは、1889年に『星月夜』を描いた。そして、賢治はゴッホの作品に魅了されて、1916年、短歌にこう詠んでいる――星月夜なほいなづまはひらめきぬ三みねやまになけるこほろぎ。
第2章では、『銀河鉄道の夜』の物語に沿いながら、関連する天文学の話題を解説する。
まず、「午後の授業」で、先生が天の川=銀河の説明をする、天の川銀河の形が凸レンズのような形をしていることは、『天文界之智嚢』に記されている。南十字星の近くにある大きな暗黒星雲が「石炭袋」だ。
先生は銀河の星の1つ1つが恒星であることを説明するが、賢治の時代、恒星ががなぜ輝くか理解されていなかった。
太陽(恒星)のエネルギー源は、最初は、彗星や流星が太陽表面に衝突したときに解放されるエネルギーで、彗星衝突説は1745年にフランスのビュフォン伯ジョルジュ=ルイ・ルクレール(1707~1788)が、流星衝突説はドイツの科学者ユリウス・ロベルト・フォン・マイヤー(1814~1878)が唱えた。しかし、いずれも太陽のエネルギーを説明するには膨大な量の衝突が必要になり、不可能であることが分かった。次に石炭の燃焼が考えられたが、数千年史かエネルギーを維持できないことが分かり却下になった。1850年代になると、イギリスの物理学者ウィリアム・トムソン(1824~1907)とドイツの物理学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツ(1821~1894)が独立に、重力収縮による位置エネルギーの解放を提唱した。これでもエネルギーを維持できるのは2000万年程度、まだまだ不足していた。
水素による核融合を最初に思いついたのは、フランス物理学者ジャン・ぺラン(1870~1942)で、1919年のことである。アインシュタインの特殊相対性理論は1905年に公表されており、質量がエネルギーに変換されることが分かっていた。1920年には、イギリスの天文学者アーサー・エディントン(1882~1944)が4個の水素原子核から1個のヘリウム原子核が合成されるときに解放されるエネルギーではないかという仮説にたどり着き、1939年にアメリカの物理学者ハンス・ベーテ(1906~2005)がエディントンの仮説の正しさを証明した。
この時代、銀河の大きさや太陽系の位置もよく分かっていなかった。
18世紀後半、イギリスの天文学者ウィリアム・ハーシェル(1738~1822)は妹のカロライン(1750~1848)とともに口径48センチの反射望遠鏡を使い、全天を観測した。その結果、天の川は星の大集団で、大きさ6000光年、厚さ1100光年で、太陽系は天の川に中心にあると考えた。ドイツの天文学者フーゴ・フォン・ゼーリガー(1849~1924)も掃天観測を行い、大きさ16000光年、厚さ6500光年と考えた。一方、1922年にオランダの天文学者ヤコブス・カプタイン(1851~1922)は、大きさ6万光年、厚さ5000光年、太陽系の天の川中心から5000光年離れていると考えた。これより早く1918年に、アメリカの天文学者ハーロー・シャプレー(1885~1972)は球状星団の分布を調べることで、太陽系が天の川の中心にないことを発見していた。シャプレーと同じ頃、オランダの天文学者コルネリス・イーストン(1864~1929)も、ボン掃天星表の星の分布を調べ、太陽系が中心にないという結論に至った。
家に戻ったジョバンニは、母親から、今夜が銀河のお祭りだと知らされる。この祭りがどんなものかはわからないが、谷口さんは東北地方で盛んに行われる夏まつり=七夕ではないかと推測する。七夕は中国で生まれた物語だが、雨乞いの祭りという側面ももっている。
ケンタウル祭は、この銀河のお祭りを指すと考えられる。烏瓜を流すのは、お盆の灯籠流しに似ている。リンドウの花が咲き、ススキの穂が出ているという描写から、どうやら8月に行われた旧暦の七夕祭りのようだ。
「天気輪の柱」は謎の存在だ。こんな言葉は辞書に載っていない。大気中の氷晶が引き起こす「[幻日環:wikipedia」が夏まつりで起きたとは考えにくい。臨時水沢緯度観測所にあった眼視天頂儀(細長い筒状の望遠鏡)を見て感銘を受けた賢治が、それを天気輪としてイメージした可能性がある。賢治が盛岡中学時代に下宿した清養院の山門の入り口に立っている「お天気柱」が「天気輪の柱」という説もある。地上界と天上界を区分する場所という意味で、物語の流れにも符合する。また、天気輪をオーロラとする説がある。1909年9月、賢治13歳の時に、日本で低緯度オーロラが見えたという記録が残っている。
これらを総合して、谷口さんは、天気輪は「深夜の山の上にほのかに輝く対日照と推測している。対日照とは、晴れた夜に、黄道上の太陽と正反対の方向にぼんやり見える微光のことだ。天の川よりかなり淡い光の為、夜間の人工光がほとんどない地域でないと見えない
6節で再び出てくる天気輪は、三角標の形になると書いてあるが、この三角標とは何だろうか。賢治の時代、国内の測量が盛んに行われており、三角点の位置を遠くからでも分かるように三角錐の櫓が組まれた。これが三角標である。ただ、『銀河鉄道の夜』の中では、行き先を指し示す明るい星を三角標と表現している。なぜならば、6節の前までは「星」という単語だったものが、それ以降では全て「三角標」になっているからだ。ジョバンニとカンパネルラは山の上から天上へと駆け上ったと考えられる。
ジョバンニは、銀河ステーションという声が聞こえたかと思うと、突然、列車の車内にいる。改札を通るプロセスが抜け落ちている。さらに都合よく、カンパネルラが同乗している。いったい何が起きたのか――。谷口さんは、賢治の気まぐれ、推敲が間に合わなかったに加え、記憶が飛んだ、テレポーテーション、タイムスリップ、ワープ、スイングバイ、時空の曲がりを利用するという理由をリストアップする。ここで、一般相対性理論において重力が時空を曲げることを解説する。
「銀河鉄道の夜」は、はくちょう座からみなみじゅうじ座まで天の川を半周する旅程だが、地球からはくちょう座α星デネブまでの距離は1400光年、みなみじゅうじ座α星アクルックスまでは320光年だから、約1700光年の旅になる。物語に記された時刻表によれば、4時間で走りきる。
カンパネルラが持っている「円い板のやうになった地図」は星座早見盤だろう。しかも「黒曜石でできてる」という。豪華である。谷口さんも欲しいと記している。カンパネルラは銀河ステーションでもらったというが、ジョバンニはそれを持っていないことから、やはり銀河ステーションをテレポーテーションしたようだ。
白鳥の停車場のすぐ北側をさして、カンパネルラは「月夜でないよ。銀河だから光るんだよ」と言う。このあたりには、北アメリカ星雲やペリカン星雲と名付けられた散光星雲があり、天体写真を撮ると賑やかである。ここで谷口さんは星雲の分類を解説する。
「すきとほった天の川の水」とは何か――谷口さんによれば、星間ガスを意味するという。そして、「ガラスよりも水素よりもすきとほって」いるものとは電波である。水素原子が放出するライマンα線は紫外線として放射されるので、物語にある「ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり」に合致する。また、水素原子が放出するバルマー系列のスペクトル線は可視光帯の全域に亘って放出されるから、これまた「虹のやうにぎらっと光ったりしながら」という記述に合致する。ただし、「ガラスよりも水素よりもすきとほって」いる電波は、水素原子が発する波長21cmの超微細構造輝線かもしれないが、この輝線が予言されたのは1944年のことで、賢治が亡くなった後のことだ。
原作には「遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで」という記述があるが、谷口さんは、これは光のドップラー効果ではないかという。
7節で、銀河鉄道は白鳥の停車場に停車し、ジョバンニとカムパネルラは列車を降りて散策に出掛ける。「プリオシン海岸」という名の場所が出てくるが、プリオシンは地質時代の名称で、日本語では鮮新世と呼ばれる(約500~250万年前)。
銀河系は、中心領域は剛体回転しているが、ある半径の場所から回転速度が一定になっている。この性質を利用すると、ジョバンニとカムパネルラが風のように走って停車場に戻ることができるという。
ところで、銀河系は中心の凸レンズ状の部分は明るく輝いているので多くの恒星(質量)があるはずだ。それなら、円盤の回転は太陽系の惑星のように、外側にあるもののほうが、よりゆっくり回転運動することになるはず。そうなっていないのは、銀河の外側に見えない質量(ダークマター)があるためと考えられている。
8節で登場する鳥を捕る人もテレポーテーションをする。現代の量子物理学では、量子もつれの性質を利用し、物理的に離れた場所に量子の持つ情報を送る量子テレポーテーションが可能であることが分かっている。
第9節でアルビレオ観測所に到着する。アルビレオははくちょう座β星だ。原作には、「その一つの平屋根の上に、眼もさめるやうな、@青宝玉@サファイア:ruby@と黄玉の大きな二つのすきとほった球が、輪になってしづかにくるくるとまはってゐました」と書かれている。アルビレオ観測所は、前述の臨時緯度観測所がモデルになっている。
星の光度と星の表面温度にはよい相関がある。デンマークの天文学者アイナー・ヘルツシュプルング(1873~1967)と米国の天文学者ヘンリー・ノリス・ラッセル(1877~1957)は、星の光度(あるいは絶対等級)と表面温度(あるいは色やスペクトル型)を用いると、星を系統的に分類できることに気がついた。1910年のことである。
アルビレオは、アルビレオAとアルビレオBからなる(見た目の)二重星だ。2つの恒星は61光年離れている。さらに、アルビレオAはアルビレオAcと連星系をなしている。
ジョバンニ、カムパネルラ、鳥捕りが座っているところへ車掌が検札に来る。銀河ステーションをすり抜けてきたジョバンニは切符を持っていないはずだが、「四つに折ったはがきぐらゐの大きさの緑いろの紙」が出てくる。鳥捕りは「こいつをお持ちになれぁ、なるほど、こんな不完全な幻想第四次の銀河鉄道なんか、どこまででも行ける筈でさあ、あなた方大したもんですね」という。
ここで第四次という言葉が出てきたが、これはアインシュタインの相対性理論を意識しているものだという。谷口さんによると、『銀河鉄道の夜』には3つの世界
-ジョバンニ(賢治)が現実に生きている花巻
-銀河鉄道が走る世界(ジョバンニの空想世界)
-鳥捕りの住む世界
が入り交じっており、すべて四次元の時空にあるという。
しばらく行くと、天の川で爆発が起きている。カンパネルラは発破だと言ってはしゃぐが、谷口さんは天文学者として申請や超新星について解説する。1901年、賢治が5歳の時にペルセウス座GK星が新星爆発を起こしている。また、谷口さん自身は1988年にNGC4772の中に超新星1988Eを発見したことがある。
鷲の停車場を過ぎたところで、川は2つに分かれる。実際の天の川も、暗黒星雲の帯によって2つに分岐しているように見える。
銀河面の北側に膨らんで見えている暗黒帯はグールド・ベルトと呼ばれるが、銀河面に対して約20度傾いて存在しており、なぜ銀河面に対して水平になっていないかはよく分かっていない。銀河系には小さな衛星銀河がたくさん降ってきている。そのような衛星銀河の衝突でできた構造なのかもしれない。
終着駅サウザンクロスの手前で、カンパネルラは石炭袋のことを「そらの孔」と呼ぶ。この時代、暗黒星雲が恒星の光を妨げていることは知られておらず、星の見えない領域の観測を続けた米国の天文学者エドワード・エマーソン・バーナード(1857~1923)は、1919年に、それが遮光物質であるという仮説を提示する。
ここで物語は唐突に終わりを告げる。
谷口さんは最後に、「賢治の『銀河鉄道の夜』にある文章を読むと、現在の天文学で解釈できることが、あまりにも多い。もちろん、私の曲解に過ぎないのかもしれない。しかし、『銀河鉄道の夜』を読むと、たくさんのインスピレーションが湧いてきたことは事実だ」としたうえで、「天文学者の私が最も驚いた点は、本書で述べたように、賢治が天の川銀河(銀河系)を動的なものとして認識していたこと」と述べている。
松本零士さん原作の劇場版アニメ『銀河鉄道999』(1979年、東映)の4Kリマスター盤がリバイバル上映されるということで、かつての天文少年として、本書を手にした(本書は999とは関係ないので、念のため)。
初めて『銀河鉄道の夜』を読んだときは、何が何だかわからなかった。それ以前に読んでいた『注文の多い料理店』はテンポがよく、オチも明快で好きだった。
ただ、賢治が『銀河鉄道の夜』の原稿を何度も書き直し、未完の作品であるということを知り、この作品の奥深さ、というより、石炭袋の深淵がこちらをのぞいているおそろしさを感じるようになった
たとえば、ますむらひろしさん原作の劇場版アニメ『銀河鉄道の夜』(1985年、日本ヘラルド映画)は原作をアニメ化したものだが、賢治と同じ東北出身のますむさんが描く登場人物の多くはネコ。原作にも登場する沈没したタイタニック号に日本人で唯一乗船し、奇跡的に生還した細野正文の孫の細野晴臣さんが宗教的な不思議な音楽をつけている。この業の深いアニメ映画は、ネット配信していない(2024年時点)にもかかわらず、いまでも記憶に焼き付いて離れない。
アニメで描かれたように、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は、天の川をダイナミックなモノとして描いている。谷口さんも驚いたと書いているように、当時は銀河系の外側に宇宙が広がっていることも知られておらず、ビッグバン理論もなかった。宇宙は、いまより静的なものと考えられていたにもかかわらず、である。
宮沢賢治という傑出したイマジネーターは、その後に続くクリエイターの心を揺さぶり、さまざまな作品を世に送り出した――アニメ『輪るピングドラム』、冨田勲さんが作曲し初音ミクが参加した『イーハトーヴ交響曲』、ゲーム『[https://magireco.com/:title=マギアレコード 魔法少女まどか☆マギカ外伝:』‥‥数え上げたらきりがない。
さて、著者は天文学者の谷口義明さん。彼もまた北国の出身である。
天文学的な内容は知っているつもりでいたが――ロス卿、ゴッホ、賢治の繋がりや、七夕が雨乞い祭りであること、ジョバンニが銀河鉄道に乗ってから「星」という単語が出てこなくなることなど、あらたな知見もあった。これだから、専門家が書いた本は面白い。
