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2026.01.10
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NEXUS 情報の人類史 (上巻)

NEXUS 情報の人類史 (上巻)

 要するに、独裁社会は強力な自己修正メカニズムを欠いた中央集中型の情報ネットワークだ。それとは対照的に、民主社会は強力な自己修正メカニズムを持つ分散型の情報ネットワークだ。
著者・編者ユヴァル・ノア・ハラリ=著
出版情報河出書房新社
出版年月2025年3月発行

著者は、『サピエンス全史』『ホモ・デウス』でお馴染みのイスラエルの歴史学者で哲学者のユヴァル・ノア・ハラリさん。難解である。自分が持てる知識を総動員して最後まで読まないと、情報のデストピアに足をすくわれかねない。
冒頭、いきなり「私たちはなぜ、いっそう多くの情報と力を獲得するのがこれほど得意でありながら、知恵を身につけるのが格段に下手なのか?」と問いかけてくる。本書のテーマは、「人類は大規模な協力のネットワークを構築することで途方もない力を獲得するものの、そうしたネットワークは、その構築の仕方のせいで力を無分別に使いやすくなってしまっている」ことである。
この力が集う先にあるのが、「力こそが唯一の現実」とするポピュリストだ。彼らは人間の複雑な制度や機関を信頼する代わりに、パエトンの神話や「魔法使いの弟子」と同じ助言を私たちに与える。「神あるいは偉大な魔法使いを信頼し、安心するといい。彼らが乗り出してきて、万事を正して元どおりにしてくれるから」と――。

第1章でハリラさんは、本書は歴史書であると宣言し、〈情報〉は〈現実〉をあらわす試みであり、〈現実〉の特定の面を〈真実〉と定義する。さらに、〈情報〉は物事を表示するだけでなく結びつけ、ネットワークにする。つまり〈情報〉は〈社会的なネクサス〉(「つながり」「結びつき」「絆」「中心」「中枢」などの意)になり得る。宗教や占星術が社会を動かしてきたように、〈情報〉は正確でなくても〈社会的なネクサス〉として機能することは歴史が証明している。

第2章でハラリさんは、私たちサピエンスが世界を支配しているのは、私たちが特別に賢いからではなく大勢で柔軟に協力できる唯一の動物だからだ。カリスマを持った指導者が何百万人もの信者を率いているのではなく、指導者について細心の注意を払って巧みに作り上げられた物語を信仰している。こうしてサピエンスは、他の生物には不可能な数の集団を構築することを可能としている。
ネス湖のネッシーの存在はソナーによる探索で存否を明らかにできる客観的存在だが、国家は共同主観的な存在である。その結果、パレスティナを国家として認める人や政府と、そうでない人や政府に分かれる。国家は動物とは違って、客観的現実ではないからだ。法律、通貨、神などは、すべて共同主観的な存在である。人類は、こうした〈共同主観的現実〉を作り出す〈物語〉に多くの時間と労力を費やしてきた。この〈物語〉があったからこそ、サピエンスは、他の生物には不可能な数の集団を構築することを可能とした。
プラトンは著書『国家』で、自分の理想の国家の樹立は「高貴な?」に基づくことになるだろうと考えた。〈高貴な?〉とは、社会秩序の源泉についての架空の物語であり、国民の忠誠を確保し、彼らが政体に疑いを抱くのを防ぐものだ。もともと〈虚構〉には〈真実〉よりも有利な点が2つある。第1に、〈虚構〉は好きなだけ単純にできるのに対して、〈真実〉はもっと複雑になりがちだ。なぜなら、真実が表しているはずの現実が複雑だからだ。第2に、真実はしばしば不快で不穏であり、それをもっと快く気分の良いものにしようとしたら、もう真実ではなくなってしまう。それに対して、虚構はいくらでも融通が利く。
虚構の産物である合衆国憲法は、十戒と同様、奴隷制を内包していた。しかし十戒と異なる修正のメカニズムを提供することで、その秩序を維持することに成功している。
人間の情報ネットワークはどれも、生き延びて栄えるには、真実を発見し、しかも秩序を生み出すという、矛盾する2つのことを同時に行われなければならない。たとえばダーウィン進化論は、おそらくは真実であろうが、それまでの宗教秩序を破壊する力をもっている。そのバランスをとることは難しい。

第3章でハラリさんは、文章について考察する。
私たちは、叙事詩やテレビの連続ドラマを記憶にとどめるのが得意なのは、人間の長期記憶が物語を保持しておくのに特別に適応しているからだ。一方、複雑な国家の税制度や行政制度といったリストを記憶する能力は乏しく、そのためのテクノロジーとして文書が誕生した。
文書は新たな現実を創り出した。文書を書くことによって、口伝の物語の限界を乗り越えることができた。だが同時に検索という新たな問題を生み出した。検索問題を解決するために、世の中を引き出しごとに分割し、どの文書がどの引き出しに収まるかを知るという官僚制が編み出された。だが、官僚制は新たな真実を収める引き出しがなかったり、全体論的な検索が苦手だ。
官僚制は文書を扱う者に権力を与えた。ユダヤ人であるハラリさんの祖父は市民権の取得親権を怠り、命からがらルーマニアからパレスティナへ脱出した。そうでもしなければ、ナチスドイツによって殺されていただろう。ハラリさんの一家は、以来、文書を保存するのが神聖な義務になったという。

第4章でハラリさんは聖アウグスティヌスは言葉を引用し、人間は誤るものだとする。となると、神の言葉を告げる預言者も無謬ではいられない。そこで、聖書やクルアーンのような〈聖典〉というテクノロジーが登場する。書物が宗教の重要なテクノロジーとなったのは、紀元前一千年紀(紀元前1000~紀元前1年)だ。だが、書物を持つ宗教も、特有の問題を抱えていた。その聖典に何を含めるか、どう解釈するかという問題だ。ユダヤ教徒は、非常に長い年月に渡って議論を続け、3世紀に新しい聖典「ミシュナー」を正典化した。だが、「ミシュナー」が世に出るやいなや、その解釈を巡って議論が始まった。こうして5~6世紀に「タルムード」が誕生する。結局、聖典というテクノロジーを通して、可謬の人間の制度や機関を迂回するという夢は実現しなかった。
だが、ユダヤ教は、神に生贄を捧げる宗教から、情報が現実の最も基本的な構成要素であるという見方に傾いていき、とうとう、全宇宙が情報空間だと信じるようになった。
キリスト教もまたユダヤ教と同じ道を辿る。ユダヤ教では聖典を解釈する必要性によってラビたちの力が増したのとちょうど同じように、キリスト教でも聖典を解釈する必要性によって、教会の力が増した。教会は、写本工房や文書保管所や図書館といった、中世の情報ネットワークの主要なノードを支配し、異端者が思想を広めることを防いだ。カトリック教会は、社会をエコーチェンバーに閉じ込め、教会が支持する書物だけが広まることを許した。
1486年にドミニコ会の異端審問官が著した『魔女の鉄槌』はベストセラーとなったが、1543年に出版されたコペルニクスの『天体の回転について』は初版わずか400部だった。人々は退屈な数学的記述だらけの啓蒙書よりも、身の毛もよだつような話が出てくる物語を選び、魔女狩りの嵐が吹き荒れた。これではいけないと、啓蒙主義者たちは学会を組織し、情報の〈自己修正メカニズム〉を確立していく。それは、聖典や法令とは真逆の考え方だった。

第5章でハラリさんは、情報ネットワークの視点から独裁主義と民主主義の違いを明らかにする。つまり、独裁主義の情報ネットワークは中央集権的で、中央は不可謬という前提にある。これに対して民主主義の情報ネットワークは分散的で、誰もが可謬であるから自己修正メカニズムを備えている。だが、ポピュリズムについてみると、民主主義者のふりをしながら独裁者になるためのイデオロギー上の基盤を与えてくれるから注意が必要だ。
民主主義では、人々が政治的問題について自由に話し合いを行うことが必要条件だが、これを満たすには、話をする自由と、相手の話に耳を傾ける能力だけでは不十分で、人々がは互いの声が聞こえる範囲にいること、問題を理解する能力を身につけていることが欠かせない。
20世紀に入り、電信やラジオその他の近代的な情報テクノロジーが発明されると、アメリカという広大な国土をリアルタイムに結び、人々が互いの声を聞くことができるようになり民主主義の発展に貢献した。その一方で、情報テクノロジーは中央の指導者の声をリアルタイムに国中に伝えることを可能とし、ソ連のような広大な領域を全体主義化できるようになった。ソ連のコルホーズ(集団農場)は、近代科学の農業法を実践し、規模拡大による生産効率の向上が見込めるはずだった。ところがほとんどの農民は、昔ながらの暮らしや私有財産を手放したくなかった。村人たちは、ウシやウマをコルホーズに譲り渡す代わりに殺した。勤労意欲がしぼみ、全員共有の畑を耕すときには、家族で所有する畑を耕すときほど熱心に取り組まなかった。怒った国家は、人為的に飢饉を起こし450万~850万の人が命を落とし、さらに何百万もの農民が国家の敵であると宣言され、追放されたり投獄されたりした。
ハラリさんは、ソ連のコルホーズ問題を、ヨーロッパの魔女狩りと同様に注意深く分析する必要があるという。それは、21世紀のテクノロジーがもたらす危険を予期させるからだ。ソ連の当局は1930年代に、これらの問題を反革命的な陰謀団の手先「クラーク(資本主義者の農民)」だとした。『魔女の鉄槌』と同じやり方だ。だが、中世の教会は全体主義にはなり得なかった。情報の伝達速度が遅く、しばしば途中の教区で止まってしまうからだ。ラジオが登場することで、ようやくローマ教皇の言葉が世界中の信者に届くようになった。一方、スターリンやヒトラーは、最初から近代的な通信装置を使うことができた。全体主義はすべての情報が中枢を通過することを望み、独立した機関が独自の決定を下すことを嫌う。

カトリックは、グーテンベルグの印刷技術に始まり、ラジオ、テレビ、ネットといったニューメディア(死語?)をいち早く採り入れてきた。第1部を読んで気付かされたが、畏るべきカトリックは、大昔から、〈情報〉は正確でなくても〈社会的なネクサス〉として機能するということをよく理解している。AI時代の技術者としては、まず、カトリックの視座に立つことが最低限の準備だと感じた。
ハラリさんは、国家、法律、通貨、神などは、客観的に存在を確認できない〈共同主観的現実〉だという前提のもと、それを支える〈物語〉があったからこそ、人類が他の生物には不可能な数の集団を構築できたと指摘する。ゆえに、マルクス主義な唱える唯物史観は間違っていると断じる。
ハラリさんは独裁主義と民主主義の情報ネットワークの違いを述べているが、これは帰納的に証明できる。つまり、選挙時にTwitter(現・X)の投稿だけを見て候補者を絞るポピュリズム的な選択結果は、往々にして、候補者の公式サイト含め複数のメディアからの情報を集め自分の頭で考えて判断・選択した結果に比べて独裁色が強くなる。インターネットは単なるメディアなので、それを利用したからといって民主主義になるわけではないことには注意すべきだろう。民主主義は、常に、自分自身の脳をフル回転させなければ実現できない。
ハラリさんは、ポピュリズムが「民主主義者のふりをしながら独裁者になるためのイデオロギー上の基盤を与えてくれる」と警鐘を鳴らす。ハラリさんが言うポピュリズムは、衆愚政治と言い換えた方がいいだろう。古代ギリシア、古代ローマ、フランス革命といった史実から、SFアニメ『銀河英雄伝説』まで教訓はごまんとある。
ハラリさんは、民主主義では、人々が政治的問題について自由に話し合いを行うことが必要条件だが、これを満たすには、話をする自由と、相手の話に耳を傾ける能力だけでは不十分で、人々がは互いの声が聞こえる範囲にいること、問題を理解する能力を身につけていることが欠かせないと記しているが、私は後者2つを提供するのはマスコミの主要業務だと考えている。






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最終更新日  2026.01.10 12:13:36
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