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2026.02.14
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ビル・ゲイツ自伝1 SOURCE CODE 起動

ビル・ゲイツ自伝1 SOURCE CODE 起動

 どれだけ複雑に見え、謎めいてすら感じられることでも、たいてい解き明かすことができる。トランプはそれを教えてくれた。世界は理解可能なのだと。
著者・編者ビル・ゲイツ=著
出版情報早川書房
出版年月2025年12月発行

本書の見返りに、アルテアBASICのIF~THEN文のインタプリタコード(8080アセンブリ)が掲載されている。ちょうど同じ頃、UNIX上で字句解析プログラム Lex が開発された。ゲイツのBASICは、そんな技術を知るよしもなく、いかにもマイコン・オタクが書いたコードなのだが、そのBASICインタプリタが1970年代後半のパソコン市場を席巻する――そのBASICを市場に供給し続けたマイクロ=ソフトがどうやって誕生したのか、本書はゲイツ自身がその生い立ちから20代前半までを語る。

曾祖父の初代ビル・ゲイツはゴールドラッシュの富を追い求め、祖父ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ1世は貧乏で、学校を中退した。父ウィリアム・ヘンリー・ゲイツ2世は第二次世界大戦に従軍するため学校を中退したが、戦後、復員兵援護法(GI法)でワシントン大学を卒業し、弁護士になった。GI法のおかげで、弁護士や医師になった中流階級はワシントン州シアトルのビュー・リッジにコミュニティを形成し、そこで1955年10月28日にウィリアム・ヘンリー・ゲイツ3世ことビル・ゲイツが誕生する。
ゲイツは幼い頃、母方の祖母アデル・トンプソンとのトランプ勝負に勝つことに全力を注いだ。ゲイツが2年生を終えると、母メアリが運転する自動車で、途中で父と合流し、祖母と姉とともに1000マイル(約1600km)の旅行に出掛けた。その行程は、母が事細かに調べ、子どもたちに学習機会を与えようとして練りに練ったものだった。ゲイツは、母が常に一歩先の未来を見ており、トヨタよりも改善に余念がないと記している。キャリアウーマンで、なおかつ善き家庭の母親であった。
やがてゲイツも大学会衆派の日曜学校に通うようになる。ゲイツ家にとって、宗教はどちらかといえば社交的で知的な活動に近かった。メアリはゲイツが社交的になることを願い、8歳の時にカブスカウトへ入団させる。だが、算数で自信をつけた9歳のゲイツは、早くも反抗期に入る。ゲイツの犯行のターゲットになったのは、母メアリだった。ゲイツはその時の気持ちを、「物質面から感情面まで、母と父が必要なものをすべて与えてくれているのはわかる。だが、なぜふたりに指図されるのか解せなかった。専制的な権力のように思えたのだ」と語る。
ゲイツは図書室の本を片付ける仕事にやり甲斐を見いだしていたが、1964年6月に妹のリビーが生まれると引っ越しを余儀なくされ、5年生になるとローレルハースト小学校に転校した。ゲイツは、デラウェア州について177ページに及ぶ詳しいレポートを作成し、この経験が自信につながった。
ゲイツの成績は、関心がある科目はよかったが、それ以外はムラだらけだった。だが、ソーシャルワーカーのチャールズ・クレッシー博士と話しているうちに、「親と戦ってエネルギーを浪費するのではなく、世界に出たときに必要になるスキルを身につけることにエネルギーを集中させる」ことが大切だと気づく。
ゲイツは父に相談しに訪れるビジネスマンに学び、架空の会社について学校にレポートを提出し、A1の成績をもらった。最大限の努力が認められた最高の成績だ。そして、人付き合いに抵抗がなくなっていた。ゲイツは「コンテンポラリー・クラブ」を立ち上げ、同じ学年の仲間と議論し合い、社会見学に出かけた。
ゲイツは、中高一貫の進学校レイクサイド・スクールへ進んだ。1968年、中学2年生になったゲイツは、レイクサイド・スクールに導入されたコンピュータ端末に触れる機会を得る。ゲイツは、1964年にダートマス大学で誕生したばかりのBASIC言語に夢中になった。ゲイツが初めて作ったプログラムは、4行の簡単なものだった。2学年上でのちにマイクロソフトを共同で立ち上げることになるポール・アレンは、「ビル、そんなに頭がいいと思ってるのなら、これの使い方ぐらいわかるだろ」と言って、ゲイツを焚きつけた。
>>3
10 INPUT X,Y
20 LET A=X+Y
30 PRINT A
40 END
<<
次に、三目並べや月面着陸ゲームを作る。ゲイツは、「ずさんな思考は一切許されない。論理の一貫性と細部への注意が求められる」コンピュータが大好きだった。
コンピュータ端末の利用資金が底を尽きようと仕掛けた頃、ミセス・ロナが、DECのミニコン「PDP-10」のソフトウェア不具合を発見する仕事をすることで、PDP-10を無料で利用できるという仕事を持ってきてくれた。ミニコンは汎用機より安価な代わりに、ソフトウェアに不具合が残ったまま出荷されることがあった。
数ヶ月後、その仕事も終わり、ゲイツたちはPDP-10のバックドアからログインを試みたが、会社にばれて、コンピュータの利用を禁じられてしまう。

中学2年生となったゲイツは化学教師ダニエル・モリスと出会い、狭くて難解な問題に熱中する科学者ばかりでないことを知った。合理的に世界を見ようとするゲイツは、科学に惹かれた。
高校へ進学すると、ゲイツたちは、オレゴン州ポートランドのインフォメーション・サイエンス(ISI)からCOBOLでプログラム開発する仕事を請け負う。3ヶ月の開発予定が9ヶ月もかかり、仲間もバラバラになってしまった。だが、プログラムはちゃんと動いた。
高校2年になると、女子校セント・ニックとの合併にともない、時間割プログラムを改良しなければならなかった。ゲイツたちは、全校生徒がプログラム修正を期待しており、大きな責任を感じた。ゲイツは「これは授業の課題じゃない。現実世界なんだ」と自分に言い聞かせた。そんなとき、レイクサイド・スクール入学以来の親友だったケント・エヴァンズが山岳事故で亡くなった。ゲイツは、ワシントン州立大学に進学していたポールに助けを求めた。ゲイツは喪失感を穴埋めしようと、時間割プログラムに全力を注いだ。
コンピュータのハードウェアに興味を持っていたポールは、インテルの4004マイクロプロセッサに関心を持っていた。ゲイツは、時間割プログラムの仕事で稼いだ学に相当する360ドルを払い、インテルから8008マイクロプロセッサを1個だけ買った。

ゲイツは母親の期待通りにハーバード大学へ進学した。ゲイツは防衛・技術の大企業TRWで寝る間を惜しんで仕事をしていたとき、前夜に書いたコードをプリントアウトした紙が机に置いてあり、青インクの文字で添削されていた。彼は初めて「すごい、まったくこの人の言うとおりだ」と感じた。添削したのは30代終わりのプログラマ、ジョン・ノートンだった。彼は「成功よりも失敗のほうが学びが多い」ということを学んだ。
ジョン・マザーの数学の講義には数字がなかった。多くの仲間が数学から脱落し、レイクサイド・スクール時代に数学に絶対的自信があったゲイツですら思うような評価が取れなかった。さらに、化学の講義でも、持ち前の集中力で試験に臨んだが、結果は惨憺たる有様だった。ゲイツは気付く――それまで自分で自分をだましていたことに気づく。僕に言わせれば、僕らはまがいものだった。
一方、DECはグラフィックを扱えるタブレットのような端末「PDP-1」を発売した。ARPANET(インターネットの祖先)を介して、より強力なPDP-10に接続し、コンピュータ・グラフィックを描くプログラムができた。

コンピュータ・ビジネスを立ち上げることを考えていたゲイツは、ハードウェア製造はリスクが高いが、ソフトウェアなら知力と時間だけあれば掛けるから自分向きだと結論づけた。そこでポールに、「どこかが8080のコンピュータを出したら教えてよ」と頼んでおいた。間もなくポールは、「アルテア8800」の記事が載った『ポピュラー・エレクトロニクス』1975年1月号をゲイツに見せた。記事には、ソフトウェアについて何も触れられていなかった。ソフトが無いのだろうと睨んだゲイツは、前年にポールがPDP-10上で動作する8008シミュレータを改良し、ハーバード大学のPDP-10を使って「アルテア8800」を再現することを思いついた。ゲイツはアルテア8800用のBASICインタプリタの開発に着手した。元になるコードは、3年半前に雪の積もったオリンピック山脈を歩いていたときに頭の中に描いていた。BASICインタプリタを4Kバイト以内に収めることができるはずだ。欠かせない浮動小数演算処理を作るために、モンティ・ダビドフが協力した。アルテア8800用のBASICインタプリタは6週間で完成し、紙テープに出力すると、ゲイツとポールは飛行機に乗り、ニューメキシコ州アルバカーキのMITSへ向かった。途中でブートローダを作り忘れたことに気付き、あわててコードを書き起こし、MITS社長エド・ロバーツの前でBASICインタプリタは起動し、"PRINT 2+2" とタイプすると、画面に "4" と表示された。
ポールが、その場で月面着陸ゲームを入力してそれが動くことを見たエド・ロバーツは大よろこびで、商談を始めた。
エドは、BASICインタプリタの使用許諾がほしかった。そこで、ゲイツとポールは「マイクロ=ソフト」という名前の会社を立ち上げて、MITSと契約した。だが、ゲイツは、ハーバード大学の資産であるPDP-10を無断で商用利用したことについて、裁きを受けることになる。大学側が肝要であったことと、ゲイツの父の口添えもあり、幸い彼は無罪放免となった。

カリフォルニア州メンローパークでは、アルテア8800に「デイジー・ベル」を演奏したホビイストたちが〈ホームブリュー・コンピュータ・クラブ〉を立ち上げた。
1975年夏、ゲイツとポールはアルテアBASICのデモのために全米を旅にしていた。だが、パロアルトのホテルに泊まったとき、BASICインタプリタの予備のテープが盗まれ、〈ホームブリュー・コンピュータ・クラブ〉の手に渡り、数百本がコピーされた。
生まれたばかりのパーソナルコンピュータの世界にはヒッピー的な気風があり、ソフトウェアは無料で手に入って当然だという考えがおおむね受け入れられていた。だが、ゲイツとポールはソフトウェアでビジネスをしたかった。パーソナルコンピュータがどんどん安くなり、会社や家庭に普及していくにつれて、高品質ソフトウェアの需要もほぼ無限に広がるだろう。高品質のソフトウェアを製造するには、だれかが何千時間もかけて設計し、書き、デバッグし、実行させなければならない。そこにビジネスが成立するはずだ――。
この頃、アルテア8800に刺激を受けたスティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズがアップルを立ち上げた。
MITSから得られるBASICのライセンス料は微々たるものだった。そこでゲイツは、MITSのニューズレター『コンピュータ・ノーツ』1976年2月号に「ホビイストへの公開状」を掲載し、「これほど多額の資金をホビー用ソフトウェアに投じてきたのはわれわれだけです」と訴えた。コンピュータ・クラブとホビイストの世界にビル・ゲイツの名前が知れ渡り、勝手に自社誌を使われたエドは激怒した。
MITSがパーテックに買収される話が進んでいた。そのなかで、アルテアBASICの権利が全てパーテックに移管されるという。ゲイツは抵抗した。MITSとはBASICの使用許諾契約を交わしているのであり、権利を渡したわけではない。ゲイツの父親も協力し、裁判となった。
ゲイツはマイクロ=ソフトの経営に専念するため、「マイクロソフトがうまくいかなかったら大学へ戻る」と両親と約束したうえで、大学を休学した。
1977年4月、サンフランシスコで開催された第1回ウェスト・コースト・コンピュータ・フェアで、ゲイツはスティーブ・ジョブズと出会う。ゲイツによれば、遠目に見ても、ある種のオーラをまとっているのがわかったという。だが、このときのゲイツは、ほとんどの時間を、アップルIIを設計・制作したスティーブ・ウォズニアックと話した。このときのアップルBASICは整数演算しかできなかった。
MITSとの法廷闘争はつづいており、マイクロ=ソフトのキャッシュフローは底をつきかけていた。そんなとき、ゲイツはクパチーノのアップル・コンピュータのスティーブ・ウォズニアックに6502 BASICの価格交渉の手紙を書いた。すると、社長のマイケル・スコットから返事があり、定額で買い取りたいという。3日後に1万5千ドルの小切手が届き、マイクロ=ソフトは窮地を脱した。
1977年に登場したコモドールPET、アップルII、ラジオシャックTRS-80にマイクロソフトのBASICが搭載され、MITSとの争いが決着し、マイクロ=ソフトの経営は安定した。

ゲイツが手に入れた富の管理人にすぎないのだと、いつも念を押していた母は、1994年に64歳で亡くなった。ゲイツは、「その期待に応えようと懸命に努めてきたが、母にそれを見届けてもらえなかったのは残念だ」と語る。
エドとの間にはわだかまりを抱えたままだったが、MITSを去ったエドは医学部を卒業し、ジョージアの田舎で小さな診療所を営んで暮らした。2010年4月にエドは68歳で世を去るが、その直前、見舞いに訪れたゲイツにエドは「おれたちはいい仕事、重要な仕事をたくさんやったな」と語った。
ゲイツは「いま僕が子どもだったら、おそらく自閉症スペクトラムと診断されるだろう」とも言う。当時は、一部の人の脳がほかの人とはちがうやり方で情報を処理することは、あまり理解されていなかったからだ。

イチローがシアトル・マリナーズに入団する直前の2001年3月、私は、ゲイツが子どもの頃のシアトルに完成したスペースニードルに上った。モノレールの終点にあるダウンタインとの格差、カラードを差別する風潮――ゲイツは「僕が苦労せずに特権を享受していたことは、いくら強調してもしすぎることはない」と振り返る。彼に対する評判は肯定的なものから否定的なものまで様々あるが、彼が豊かな時代のアメリカで生まれ、白人男性に有利なシアトルで育ち、半導体が興隆していく時代を共有していたことは紛れもない事実である。

ゲイツは、コンピュータ業界の風雲児として、同じ1955年生まれのアップル共同創業者スティーブ・ジョブズと比較されることが多い。だが、イスラームを父に持ち、生後すぐに養子に出され、のちに自分の娘を認知しなかったジョブズに比べ、ゲイツの家庭環境は恵まれている。しかも、代々長生きだ。ハードからOSまですべて自社完結することを求めた完璧主義者のジョブズと、ソフトウェアによる世界統合を目指したゲイツの2人の世界観は、まったく異なっていただろう。
私は、彼らが来日したときの講演を聞いたが、その喋り方にも違いが現れていた。一発で相手を刺し殺すようなジョブズの喋りに比べ、ゲイツは一歩一歩着実に相手を追い詰めていく――いずれにしも、相手に一切迎合しない喋り方ではあるのだが?

ハーバード大学は1636年に設立されたアメリカ最古の大学で、8人のアメリカ合衆国大統領、7人のフィールズ賞受賞者、100人以上のノーベル賞受賞者を排出している。また、資産10億ドル以上の大富豪のうち62人はハーバードの卒業生だ。ハイスクールでは抜きん出た成績を示したゲイツだったが、top of topが集まるハーバード大では、one of themに過ぎなかった。とくに数学は――渡しも、本当の数学の分野では「数字」が出てこないという体験をしたことがあるのでよく分かる。「常識」が全く通用しない世界。それが真の高等教育であろう。

ゲイツは、PDP-10を使って「アルテアBASIC」をはじめとする様々なソフトウェアを開発する。だが、PDP-10には使用時間が付いて回る。現代のパソコンでは信じられないことだが、CPU時間やネットワーク時間などの全てのリソース利用にお金がかかるのである。私も大学のホストコンピュターを使っているとき、割り当てられたCPU時間には限りがあった。私は彼と違って、ホストにハッキングすることは考えず、同級生の物理学のレポート作成の代価として、彼らにCPU時間を支払ってもらったのである。
パソコン通信のホストコンピュターに接続するにも電話料金がかかる。ここは、取ったばかりのアマチュア無線免許を活用し、アマチュア無線局がボランティア運営しているパケット通信ネットワークを利用した。この部分は、秘匿通信を禁じる電波法に抵触するのではないかという懸念があったが、この問題の解答が出る前にインターネットの普及が始まった。
トム・チータムやビリ・ゲイツが予見したように、コンピュータを限りなく安価に利用できる時代がやって来たのだ。

バブル景気の波に乗って、最初から起業するという選択肢もあった。だが、私の心を占めていたのは、コンピュータを使ったビジネスではなく、コンピュータを使って世界を知ることだった。そのためには、成長著しいITベンチャーに就職するより、社会に組み込まれた老舗企業に入り込み、サラリーマンとして世界の観測を開始した。
ここで、ゲイツやジョブズとは人生の方向性が全く変わった。2人は素晴らしい経営者だと思うが、私は彼らの下で働きたいと思ったことは一度もない。
私は、世界は1つのプログラムであり、人間の営みによって理路整然と動くものだと考えている。プログラムは、同じ値を入力したら、同じ値を返してくる――そこに差別や偏見が生まれる余地はない。万人に公平な機会が与えられている世界――だから、私は観測するだけでなく、システム構築を通じて世界に干渉した。一部の人間による恣意的なオペレーションが入り込む隙を与えたくなかったからだ。
だが、国内だけでも1億2千万人を相手にしているものだから、成果が出るまで時間がかかる。ITビジネスでは許容できない20年、30年という時間を、別の仕事をしながら待ち続けた。ベンチャー企業では体力が続かないだろうし、老舗企業ですら事業売却の憂き目を見た。私は転職することで、世界の観測と干渉を継続した。

「訳者あとがき」で、山田文さんは、冒頭に物理学者リチャード・ファインマンの「ものごとをつきとめる楽しみ、それが褒美だ」と記されており、エピローグで再び「ものごとをつきとめる楽しみ」と記されていることから、「世界が合理的で理解可能であると信じているからこそ、ゲイツは圧力や軋轢に屈することなく、周囲には不可能だと思われることでも確信をもってみずからの道をすすみつづけることができた」と記している。同感である。私も、中学生の頃にファインマンを読み、世界は合理的で観測可能な対象だと認識し、50年近く経った今も、その認識に変わりはない。
その確信がなかったら、どこかで心が折れ、この業界から去って行ったことだろう。






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最終更新日  2026.02.14 19:43:56
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