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前を向いて歩こう

フィクション「ある青年の死」

この話は、新卒教諭の自殺にヒントを得て、自分の経験その他を織り交ぜてそのいきさつを想像した完全なフィクションです。
もし、この文章によって、不快な思いをされた方がおりましたら、削除いたしますので、ご連絡ください。



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彼は、すでに、思考が止まっていた。
体だけが、ゆっくりと、しかし確実に、死に向かう行動をとっていた。
死にたい、と考えることさえ、すでになかった。
目に映ったものも、脳裏に描き出されることはなかった。
彼は、ゆっくりと、しかし確実に、ロープをはりにかけた。

**********

4月1日、彼は、教育長から辞令を手渡された。
「A小学校教諭に職することを命ずる。」
おれはA小かあ。何年生かなあ。
一度にいろいろなことが、頭の中を駆け回った。

A小って言うと、高校の、あいつがそうだったよな。
あとで教えてやろう。久しぶりだな。よく遊んだのに、大学に入ってからはすっかり会わなくなったもんな。あいつは、どこに就職したんだろうな。

辞令交付式は、事務的に、簡単に終わり、「職員」はすみやかに新任校へ移動するように告げられた。
会場にいる先生たちは、知らない顔ばかりだった。
明らかに、自分より10歳は上だろうという人も何人かいた。
とても若そうなのに、平然としている女性もいた。若く見える顔立ちだが、実は講師経験があるのだろう。実際、市内で新卒の採用は5人だと聞いている。
あそこで、事務係に話しかけている彼女は新卒かもしれない。
久しぶりに会った知り合い同士が笑顔で話しながら、扉から出て行った。

彼は、一瞬、恐ろしい寒気を感じた。でも、それは一瞬で、なんだか自分でも分からなかった。ただ、新しい生活への希望と不安が彼の中いっぱいに広がっていた。

*************

小学生の彼は、悪がきだった。でも、頭の回転が速く、勉強は苦手ではなかった。
休み時間にはドッジボールを持って、一番に飛び出していく。なぜ一番かというと、授業の終わりの「ありがとうございました」の、「あ」を言ったときにはすでに、ボールを取りに走っていたからだ。ずるいという友達もいたが、彼がボールを取ってくれるので、安心だと思っている子もいた。
彼は、後から来た子も仲間に入れてあげるので、人気者だった。
先生は、やさしくはなかったが、ゆとり教育とか、体罰禁止とかで、彼が飛び出すのを注意しなかった。時々小言を言われたが、そのとき限りで、気にも留めなかった。

父親は会社員だが、母親は、自分が入学するまで教員をしていた。仕事と家事の両立に、どうしても健康がついていけず、休みがちになったので、思い切ってやめたのだった。

6歳の彼には、なぜ母が健康を損ねるのかも分からなかった。家では、別に親を困らせてはいない。自慢されるほどでもないが、毎日少しの小言を言われるくらいで、最後は「もう、しょうがない子」で終わっていた。
高学年になり、彼はますます活発になり、授業では、自分の知識を披露して友達を驚かせた。宿題なんかしなくても、授業の内容は分かったし、宿題を出さないことで先生からひどく叱られることもなかった。
通知表は、丸がいっぱいついていて、所見の欄には、かならず「がんばっていた」「できた」と書かれていた。
そうだよな、俺、あれはがんばったもん。こっちも計算テストも友達より早くできたし、ほとんど100点だったし。

授業は楽しかった。分かる問題にはどんどん手を上げた。時々、「全員当てる」とか言われて、当ててもらえなくてむかついたりした。そんなときは、当てられた子が答えを間違うとちょっとうれしくなった。
学級委員になったとき、先生が来るまで問題を出すことになった。自習にしても、みんな歩き回ったり、勝手に本を読んでいたり、しゃべっていたりするからだ。
問題を教科書や問題集から拾って、みんなに答えさせるのは面白かった。
答える子を当てるのも面白かった。同じ子を2回当てると「ずるいぞ」と声が飛ぶ。できそうなやつに当ててなんでずるいんだ。
お前なんか、いつもふざけた答えばっかりじゃねーか。
もしかしたら、各自自習していたときのがまだ静かだったかもしれない。
彼が出す問題に対して「簡単なのにしろ」だとか、「難しいのがいい」とか、「次は割り算ね」とか、大声で言ってきたり、女子が「静かにして!」とさらにでかい声を出したりして、耳をふさいでいる子もいた。
時々、先生が廊下まで来ていても教室に入らず黙ってみていることがあった。
「先生が来たぞ」というときもあれば、面白くてしばらく続けたときもあった。
先生は、教室に入ってきていった。「お待たせ。盛り上がってるね。学級委員、ごくろうさま」
その言葉で、彼はいい気になった。
心のどこかに、「先生になってもいいな」という小さな気持ちが芽生えていた。

************

赴任した初めての学校は、10年前に立て替えたとかで、結構きれいだった。
校長室で、ほかの、異動してきた先生たちと顔をあわせたが、誰も知らなくて、緊張していた。
「じゃ、職員室で紹介しますから、来てください。」
校長に言われ、彼はさっと立ち上がり、すぐ後ろについて歩こうとした。
「さすが、若い人は、動きがいいねえ。」
「新卒が張り切ってると気持ちいいよね」
おばさん先生がつぶやきあうのが聞こえて、彼をちょっといい気にさせた。が、
「あ、悪いけど、年齢順に来てくれる?一応、経験年数の順で」
と校長が言った。
伯母さん先生たちが、またもくすくす笑いながら並びなおす。
「若い人!若者は最後だって。トリだよ。私たちは前座」
なんだ、そりゃ。と、彼は思った。出鼻をくじかれた、とも思った。
一人、中年らしい男の人は、無口な性格らしく、校長の言う順番に黙って並んだ。

彼は、どんどん緊張してくるのが分かった。怖くはない。
しかし、目の前にいる三十数人の「先生」たちが、こちらを見ているのが、妙に興奮や焦りを誘っていた。
興奮か、あせりか、緊張か、それとも恐怖?気分の高揚?
同時に彼は、自己紹介の言葉を考えなければならなかった。そんなの聞いてないよ。先に言ってくれ、先に。
「最後に、ぴかぴかの正真正銘の新卒、・・・・・先生です。え~、専門は技術です。先生、どうぞ」
先生と呼ばれたことに、高揚を感じながら彼は得意な大声で言った。
「何にも分かりませんが、何でもがんばりますので、よろしくお願いします」
拍手。みんな、自分に注目している。困った自己紹介も無事に終わり、ついに、自分は先生なのだという自意識過剰を抑えきれず、かといってニヤニヤするわけにも行かず、仕方がないので無表情で指定された席に着いた。

初めての職員会議が始まった。
4月はじめの分厚い提案書類に驚きながらも、いよいよ社会人だ、という意気込みが膨らんできた。
「担任の発表をします。・・・・・・・、4年2組・・・・先生。」
おれだ!そして、この書類にも、ちゃんとそのように書いてある。
4年かあ。4年のとき、ドッジボールやったなあ。
そんなことを考えているうちに、会議はどんどん進み、ついていくのが必死だった。そもそも、使われている用語が分からない。
こんなの、大学でやってないぞ。知らん、なにこれ。
顔ばかり必死で、いかにも分かってますという態度で、会議の声が耳から耳へ通り過ぎるのを待った。時々、自分にも分かる項目があって、ほっとした。

「では、少し、休憩してから続きの議題に入ります。」
休憩を要請する声で、15分の休憩が取られた。時計を見ると、2時間がたとうとしていた。その時間にも驚いたが、その間、書類から目が話せなかったことにも驚いた。
・・・・で、まだやるの?うひー。
彼がへたっていると、向かいの女性教諭が「コーヒーでいい?ブラック?砂糖いる?」と、声をかけた。
「あ、はい!ブラックでお願いします!」
びっくりして、思いもかけない大声が出た。しかも、かすれていた。
なんでもない顔を必死で作りながら、とても恥ずかしくなった。
「じゃ、待っててね」「すみません」
女性教師は気にも留めない笑顔で、コーヒーメーカーのところへ行った。

「ふう」と、軽くため息をついて、タバコを吸おうと取り出したとき、
誰も喫煙していないのに気がついた。
そうか、そうだよな。喫煙所はどこだろう。小学校だからなあ・・・・・
などと思いながら、顔を上げると、一緒に転任してきた中年の男性教諭が、職員室から外への出入り口で、他の教師と談笑しながらタバコを手にしているのが目に入った。とたんに、自分では説明できない不快感が襲われた。それは、一瞬で消えたが、無口で友人なんかいそうもないと思い込んでいたあの中年男性が独りではなかったことが、彼の心に認めたくない寂しさをもたらしたのだった。

あそこへは、入っていけないな・・・仕方なく彼は周りを見渡すと、コーヒーを入れてくるといった女性は、コーヒーメーカーの周りに集まっている他の教諭たちとカップを持ったまま談笑していた。
そんなところに行って、コーヒーをもらってくるのも、なんだか気が引けた。
そして、突然、自分が孤独なことに気がついた。
誰も、自分を知らない。
自分は、誰も、知らない。
子供たちももちろん知らないことに、教師たちが昨年受け持った子供たちの情報交換を早速しているのが耳に入って、気がついた。
「・・・くんは、いい子なんだねどね。切れるときがあるから、気をつけてね。」
「・・ちゃんは、お母さんに注意だから。お母さんと気が合えば、何でも手伝ってくれるわよ」
「ねえ、私、6年なんか、10年ぶりよ。ずっと、低学年だもん。漢字かけないし、算数分かるかしら」
などとおどけて言うと、笑い声が起きた。
彼は、そんな声を聞きながら、提案書類をぱらぱらとめくり、コーヒーを待っていることも忘れて、孤独を思い知らされていた。

**********

高校は、中学で中の上だった彼の成績では妥当なレベルだった。
推薦がほとんどで、学力試験で合格する生徒のほうが少ない。自分は、生徒会も一度はやったし、吹奏楽の部長もやっていたので、どうしようかと迷ったが、一番友人が多く行く高校に推薦で行くことに決めた。
高校は、つまらなくはなかったが、そんなに面白いところでもなく、一応吹奏楽に入ったが、活動に熱心な部ではなかった。
一応、秋にコンクールと文化祭があるので、そのために、夏休み前から部員が集まるような状態だった。
それでも彼は、生来のまじめさからか、一応毎日部室に行って、一通り、自主練をしてから、帰宅した。合奏したとき、人より劣るのは、いやだった。
そうして、部活を終えても、高校生の彼には、夜は長かった。体力もあまっていた。1学期を終えて、予習もたいしたことがないことが分かった。
帰宅後の時間をしばらくは、ゲームや漫画や、友達と出歩くことでつぶしていたが、2学期からアルバイトを始めた。近所の喫茶店。

アルバイトを始めて、意外と近所の人が多いのに驚いた。子供のころによく見かけたおじさんが常連で、毎日必ず同じ時間に来ていることや、友達の母親が何人かで週に一度は必ずやって来ることが分かった。
「あら。・・・・くん。ここでアルバイトしてたの?久しぶりねえ」
「誰って?」
「ホラ、うちの子と、小学校のとき4年間同じだった・・・・くん」
「ああ、うちの子も時々なんかいってたわねえ」
「お母さん、元気?どこかで働いてるの?」
おばさんという人種は、なれなれしくずうずうしいものだという情報が高校生の彼にはインプットされていた。
適当に返答するうちに、常連のおじさんやおばさんとちょっとした会話をするのは、退屈な仕事の中でちょっとした楽しみになっていた。
店長は、たいしたポリシーもないらしく、きちんと仕事をしている限り、特に文句を言われたことはない。

彼にとって、高校生活は、授業と、予習と、部活と、バイトと、友達だった。

2年になると、進路を決めなければならなかった。大学まで決めないといけなかった。模擬試験が増えた。模擬試験には、志望大学を書く欄があって、採点結果とともに、合格率がランクで表示される。

はじめ、適当に書いていたが、さすがに2年の2学期ともなると、真剣に考えないわけにはいかない。この間は、先生にいやみを言われた。
自分は、何をやりたいのか、考えてみた。
友達は言った。
「大学に入ってから、考えればいいじゃん」
そう思う。
じゃあ、大学で何を学ぶのかと言えば・・・・別に、学びたいことなどない。
高校の先生は、理系か文系か、私立か国公立かを選択させるだけだ。
そういえば、担任も言っていたじゃないか。
「お前たちはただ大学に受かるために勉強するんだ。何をしたいかじゃなくて、何ができるかだ。その先のことは、まだ考えんでいい」
まあ、就職は、そのあとでいいよな、やっぱり。
けれど、受験する大学は決めねばならない。
受験する学部や学科を決めなければならない。

彼は困っていた。
父に相談した。「お前の行きたいとこでいいぞ。金は何とかなるから」
母に相談した。「できれば、家から通ってくれると安心だけど・・・。お母さんは通えるところなら、どこでもいいよ。学科もよく考えて、好きなところにしなさい」
母は、少し、元教員らしいアドバイスをした。
好きにしていい、と言うのは、アドバイスではなかった。彼を、さらに混乱させることだった。
とりあえず、仕方がないので、母が希望する「家から通えるところ」をピックアップした。
結構ある。国公私立合わせて、10校ほど。
ほとんどが理系も文系も持っている。
彼には、あまり得意とか、不得意とかは、なかった。
小学校のときからと同様、あまり授業で困らない。
「なあ、お前はやっぱ理系?」
友人に聞いてみた。
「トーゼンだ。数学のがまだまし」
こいつも、なんだかんだ言って、方向は決まっているのだ。
彼の沈黙に気づいてか、友人は言った。
「お前も理系にしろよ。来年同じクラスになれるし。物理、結構得意だろ」

その一言で、とりあえず目の前の方向が決まった。

************

「では、会議第二部をはじめます。皆さん、着席してください」
司会進行する教頭の声で、彼は安堵した。とにかく孤独は終わる。
向かいの女性教諭があわててコーヒーを持って戻ってきた。
「ごめんねー、みんな、殺到しちゃって。まだ、コーヒーも出してたし。はい。」
別にしなくてもいい言い訳をして、女性教諭はコーヒーを手渡した。
「ありがとうございます」
それが言い訳ではなく、女性によくあるおしゃべりを途中で止められたときの、つい出てしまう余分な一言で、それによって本人のおしゃべりが止まるのだということも、彼は知らなかった。

会議の後は、学年ごとの打ち合わせ会。
「先に要録?教材決める?」
「先生、私、4年は初めてなんで、教材はあとでいいですか?」
「じゃあ、要録にするか。取ってくる。」
「私、お茶入れますね」
言語が分からない。何をすると言うのか。
仕方がないので、お茶を入れに行った先生のところへ行った。
「手伝います」
「ありがとう。あ、お湯のみ、持って来た?ないよね。じゃ、・・・・先生は来客用、と。B先生とC先生の湯のみ、分かる?裏とかに書いてあるんだけど。」
と、湯飲みをひっくり返しながらそのちょっと若そうな女性教諭は言った。
「あ、あったあった。あれ、急須・・・・」
「あ」と、気が利かなかった自分にちょっと恥じ入ると、急須は別の学年の先生が使っていた。どうしようかと思っていたら、女性教諭は、「M先生、あとで借ります」と、さっさと声をかけた。
そして、彼を振り向いて、
「・・・・先生、時間かかりそうだから、座って待ってていいですよ。そこの応接ソファー、さっきとっといたから」
と、行った。
どこ、そこ?と見回すと、職員室の隅に、応接セットがあった。
とりあえず、筆記用具とさっきの書類を持ってそこへ座った。

要録って、うわさの指導要録かあ。
あれ、なんで2冊あるの?
へー、保健調査って、毎年もって帰らされたのはこれかあ。
次々と、昨年のクラスのファイルを開いて新クラスに分けていく。
なんだかさっぱり分からなかった。終わってからやっと、毎年、学級ごとに閉じなおすと言うことが納得できた。
あっという間に、一日が終わり、今日の日程は終わった。
4年担当のほかの3人の先生はみんな、「もう帰っていいよ」といって、帰ってしまった。
でも、他学年はまだ、わいわい話し合っている。
一生懸命なれないパソコンを操作している先生もいる。その先生が困っているのは、ワードのちょっとした使い方だった。彼は、それをどうしたらいいか分かっていた。けれど、声をかけることはできなかった。
仕方なく、校長に挨拶して帰ろうと、校長室に行ったら、もう部屋は暗くなっていた。

**********

「お帰り。どうだった」
帰宅して、母からの第一声。
「え、うん」
つぶやくような返事をして、彼はとりあえず、スーツを脱いだ。
ネクタイを締めて、一日過ごすのは疲れた。
明日もかあ・・・。
教員採用試験しか受けなかったので、スーツを着ることになれていない。


大学4年になると、友人は忙しそうに、スーツを着て飛び回っていた。
「もう、遅いんだよ、みんな、決まってるんだぜ。困ったなあ。」
内定が決まって、旅行に行くもの、講義中もスーツのままあせり顔のもの。
そして、公務員試験一本で勉強するもの。

彼が進学したのは、結局県内の教育学部だった。
なんでも一通りできる彼は、ここにいたって、大して特技のない受験生になっていた。それでも、成績は悪くなかった。
教育学部を選んだのは、第一に、偏差値が適当だったことと、ちょっとばかり母から影響を受けたからだった。
母に、教員時代のことを初めて聞いた。

そうね、楽しかったわよ。
子供たちは、なんだかんだ言っても素直だから、楽しかった。
特に、難しくてみんなが困っているところを、いろんな方法で説明したり、子供たちと一緒にアイデアを出し合ったりして、みんなが分かるようになったときは、本当にうれしかった。
運動会も楽しかったし・・・え?お母さん、子供のときは嫌いだったけど、なんか、先生になると違うのよね。
・・・・でも、帰りは遅くてね、がんばるのも楽しかったけど、まだ土曜休みじゃなかったし、部活もあって日曜に出なきゃいけなかったし、体力があってこそよね。
教員になって、初めて、先生は肉体労働だって、分かったわよ。
でも、その大変さに勝る喜びも、あるのよね。
切迫流産なんてしなかったら、続けてたと思うけど、お母さん、自分に甘いからお父さんが「やめろ」って言ったら、すぐやめちゃった。

切迫流産が、流産しそうになる状態だということと、そのような用語があるということもそのとき初めて知った。
だが、逆にそれらの母の言葉は、彼に、教員への興味を持たせた。

別に、教育学部だからって、企業への就職も多いって言うし。
先生も面白そうだな。
なんといっても、教育学部は、彼の得意な、「一通り」のカリキュラムだった。
小中学校の教員を養成する教育学部は、一般教養を学ぶ上に、いわゆる「教科」国語、数学、理科、社会、英語など、まるで高校のような教科を学ぶ。
なんだか、とても楽そうに思えた。
教育実習もなんだか懐かしい響きだ。自分のクラスには来なかったが、隣のクラスの子達が大喜びで、放課に遊んでいた。ちょっと、うらやましかった。
教育学部にいけば、今度は自分が「教育実習生」になる。

何校か受かった大学のうち、結局教育学部のある大学を選んだ。
専攻は技術科を選んだ。中学からすきだったし、大学で何をするかも興味があったし、教えるなら自分が得意だった教科のほうがいい。その上、技術科は偏差値が多少低めで、模試でいつもAランクを取れたのだった。
大学では、部活に入らず、バイトや友人とのイベントに明け暮れた。
予想通り、というか意外と言うか、予習などもそんなに大変ではなかった。
そうして、あっという間に、教育実習に行って、あっという間に、進路を決めるときが来たのだった。


**********

教員第2日は、学年会から始まった。
こんなにいろいろなことを決めなくてはならないことは初めて知った。

ドリルを使うか、使うなら、どこの出版社にするのか。
同じように見えて、微妙に違う。たとえば、1ページ終わるとシールを貼っていくタイプと、そんなのはないタイプ。シールは、すごろく式か、パズル式か。漢字の読み書き問題の並び方。
「私、ちょっと、漢字にはこだわってるんですけど。これ、色がいやです。やりにくい。」
「じゃあ、それ、はずして、ほかから選ぼう。ぼくは、何でもいいよ。」
「うーん、ぼくはシールがあるといいです」
「子供が喜ぶよね」
「じゃあ、算数も同じのにする?」
・・・・・・この、微妙な違いに、何をこだわるというのか。
彼はさっぱりわからなかった。自分のときは、シールなんてなかったけど・・・しかも、ポケモンなんて、なかったし・・・・・
教材選びにも入っていけなかったが、自分たちが使っていたドリル類は、こうして決められていたのかと、ちょっと教員になった実感が持てた。
「ねえ、・・・先生はどれが使いやすい?一番、若い人のが子供のことが分かるんじゃない?」
「え、ぼくですか?」
いきなり、矛先を変えられて、彼は驚いた。
「え。・・・・・えーと・・・いろいろありすぎて・・・・よく分かりません。」
「そうよね、ほとんど同じだもん。だから、こだわりがある人は、自分が教えやすいのを使ったほうがいいよ。」
「D先生はこだわりすぎ。」
学年主任が笑っていった。
「スイマセン。じゃあ、次は、硬筆ノートを決めますか?」
「そうだね。あ、メモしといてね。」
あ、ぼくが・・・というまもなく、手馴れている女性教諭D先生がさっさとポケットから鉛筆とノートを取り出して、メモしていった。

「副教材は、これくらいかな?」
「そうですね。あまり買っても、使う時間がないですよね。」
「足りない分は、プリントすればいいし」
どうやら、一通り終わったようだ。
「・・・先生。大丈夫?疲れた?」
「え?あ、いえ、びっくりして・・・・こんなふうに決めるのかって。」
「私もそうだったよ。ごめんね、早くしないと、届かないでしょ?漢字と計算は、すぐにでも使いたいし。」
と、口を動かしながら、3人の教諭はせっせと広げた教材を元も袋に戻し始めた。それならできると、彼も入れるのを手伝った。
手も動くが、口も止まらない。
「総合も、考えないとなあ。去年のを同じようにやるか、少し変えるか。なんか、考えてる?」
「4年がやってるの、ほとんど知らないんですよね。私、生活科の人だから。」
あっという間に、片付けは終わってしまった。早い。
「でも、先生、総合の前に、ノートも注文しましょう。それと、音楽の先生にも聞かないと」
「そうだね。全部済ませてから、年間計画をやるか」
彼がやることなく立っていると、3人は教材を手分けして持とうとしたので、自分もあわてて手を出した。
「ありがとう。いいよ、持てるから」
30代くらいの男性教諭は力強そうで、断った。D先生は、とっとと行ってしまった。仕方なく、彼は手ぶらでついて歩くだけだった。

その後、ノートも彼の理解できないこだわりで決められ(なんで、理科は紫って感じとか、思えるんだろう。よく分からん、と彼は思った)、時間はもう、昼になっていた。
「・・・・先生は、弁当?食事に行くなら行っていいよ」
学年主任が声をかけた。
「いえ、持ってないです。先生は行かれますか?」
「いや、わたしは持ってきてるから、あとの二人もあるみたいだし、ほかの学年の先生といってきてくれる?」
「はい。・・・・」
そういわれて立ち上がってはみたものの、ほかの学年も、話し合っていたり、なんだかよく分からない。
「おーい、うちのホープをどこか連れてってやってください」
主任が気を利かせて声を出してくれた。
それで、彼はやっと、昼食にありつくことができた。

午後は、小さな会議と、提案書類作りと、入学式の準備の予定作りで、みんなばらばらの仕事をしていた。
彼は、指定された2つの会議に出て、そのほかは暇だった。
何をしたらいいか、分からない。
仕方がないので、教科書を見に行った。
自分のころとは、だいぶ違っていた。彩りもいいし、なんだか教科書じゃないみたいだった。
でも、教科書を見ることで、彼はなんとなく、やっと仕事をしているような気分になれた。
同じ学年の3人は、忙しそうにパソコンをうったり、ワープロをうったり、相談したり、会議をしたり、話す暇がない。

なんだか分からないうちに、その日も終わった。
「すいません、私、今日はお迎えの日なんです」
D先生があわてて机上に広がった紙を片付けて立ち上がった。
「じゃあ、帰ります。」
「・・・先生も、かえっていいよ。はじめから、いろいろできないだろ」
C先生が言った。
それは、確かに優しい言葉だった。顔も笑顔だった。
けれども、彼はそれを聞いて、少し、寂しさを感じた。
「じゃあ、失礼します。」

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帰り道、といっても家からわずかな距離だったが、高校のときアルバイトしていた喫茶店に寄った。
カランコロン。
よくあるドアにつけられた呼び鈴が、ドアを開けると同時に揺れて鳴った。
そのままカウンター席に行く。店長は、他のお客さんのところにいた。
座るとすぐ、店長は戻ってきて、びっくりして言った。
「あれっ。・・・・クンじゃないか。久しぶりだなあ。スーツなんて着ちゃって。どうしたの」
以前と変わらぬ同じ声、同じ口調。彼は、一気に肩の力が抜けた。




まだまだまだ・・・・














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