前を向いて歩こう

2009/12/03(木)07:49

我執を捨てよ

わたしの病気(243)

昨日、校長に教わりました。 正しくは?  (校長も「たしか」とか言ってたので) 「己(おの)が 己がの 我執を捨てよ」 自分が、自分がというこだわりは捨てなさい、 という意味だそうです。 中学校の修学旅行で付き添いしたとき、見学先の住職さんの話にあったそうです。 先月休んだとき、 なかなか話す機会はないから、つらくなったらいつでも話ができるように、 と、校長とメル交しました。 ソフトバンクだから、電話番号だけど。(絵文字も使える・・・) それで、おととい、またまた2年チームの考え方と自分の考えや行動がずれてて、 一番ストレスだったのは、「わたしがそう行動した理由を聞いてくれなかったこと」 で、また一気に食欲がなくなって、 薬を飲まずに寝て、4時過ぎに目が覚めて、 どうしてもそのことが消化できずに、 校長に長文メールを送ったのです。 昨日、それを受けて&今、不安定で学校ぐるみで対応している2年生の支援について 話をしました。 というか、提案と言うか、メールに対しての答えと言うか。 私がこの人の話を受け入れることができるのは、 まずは 「あなたの行動や考えが間違っているわけではない」 と認めてくれるからです。 ウツの人に限らず、だれでも、この第一声がほしいと思う。 2年生の子への考え方も、対応の仕方もそれでいい、と。 「ただ、メールを読んで感じたことは。  多分、それがストレスの原因で、ウツが治らない原因かもしれない」 と、教えてくれたのが上の言葉でした。 自分は○○しているのに、分かってくれない。 自分がこんなにがんばっているのに、批判される。 「のに」という思いが強すぎる、という感想を持った、と。 自分がしたこと、がんばったことへの執着が強いのではないか。 たしかに、それはあるのです。 「私を認めなさいよ」 「がんばってることをほめなさいよ」 と、時には強く、そうでなくても常に、私のベースにある、と言ってもいいくらい。 それは、子どものころからの親への思いであり、 小学校、中学校時代の先生や友達への思いでもあるのだけど。 親は今でも「がんばってるのは分かってる」と言います。 わたしは、がんばってないと認めないのか?と思うけどいわない。 通じないから。 でも、こうして、私の行動や発言から、 心の中に立ち入って、 認めてくれたうえで「こう変わったほうがあなたが楽になる」と教えてくれた人は、 人生2人目です。 しかも、「人格の成長途中にある」とか言われてしまった・・・・ たしかに、み~出産後ウツに気づいて、多分その前から兆候はあって、 今、み~は9歳。 ほぼ10年、私の心はうつという壁に囲まれて、自分と向き合うことしかできなかった。 本当は、もっと活動的に、充実できるはずの30代を ずっと留まったままですごしてきたように思う。 そうかあ。まだ成長途中かあ。 それはなぜか、希望になりました。 途中と言うことは、これから成長していけるから。 それは、過去を否定した言葉じゃないから。    そんな生き方をしてきたから、今こうなんだ、って言われたら最悪。 またズドンと落ちることもあるだろうけど、 とりあえず浮上できました。 「うつ患者は、プライドが高い」とよく聞くのを それは違う、と思っていたけど、やっぱり違う。 そう見えるかもしれないけど、本人は絶対思ってない。 全部ではないけれど、少なくとも私みたいな人は、 「認めてほしい」という我執が強い、 のが    一因    なのだと思った次第です。 もちろん、校長の話や推測が全部正解、とは思っていません。 でも、自分にとって、方向性が見えるものだったのがうれしい。 そこまで考えてくれたことがうれしい。 備忘録でした。

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