2009/12/03(木)07:49
我執を捨てよ
昨日、校長に教わりました。
正しくは? (校長も「たしか」とか言ってたので)
「己(おの)が 己がの 我執を捨てよ」
自分が、自分がというこだわりは捨てなさい、
という意味だそうです。
中学校の修学旅行で付き添いしたとき、見学先の住職さんの話にあったそうです。
先月休んだとき、
なかなか話す機会はないから、つらくなったらいつでも話ができるように、
と、校長とメル交しました。
ソフトバンクだから、電話番号だけど。(絵文字も使える・・・)
それで、おととい、またまた2年チームの考え方と自分の考えや行動がずれてて、
一番ストレスだったのは、「わたしがそう行動した理由を聞いてくれなかったこと」
で、また一気に食欲がなくなって、
薬を飲まずに寝て、4時過ぎに目が覚めて、
どうしてもそのことが消化できずに、
校長に長文メールを送ったのです。
昨日、それを受けて&今、不安定で学校ぐるみで対応している2年生の支援について
話をしました。
というか、提案と言うか、メールに対しての答えと言うか。
私がこの人の話を受け入れることができるのは、
まずは
「あなたの行動や考えが間違っているわけではない」
と認めてくれるからです。
ウツの人に限らず、だれでも、この第一声がほしいと思う。
2年生の子への考え方も、対応の仕方もそれでいい、と。
「ただ、メールを読んで感じたことは。
多分、それがストレスの原因で、ウツが治らない原因かもしれない」
と、教えてくれたのが上の言葉でした。
自分は○○しているのに、分かってくれない。
自分がこんなにがんばっているのに、批判される。
「のに」という思いが強すぎる、という感想を持った、と。
自分がしたこと、がんばったことへの執着が強いのではないか。
たしかに、それはあるのです。
「私を認めなさいよ」
「がんばってることをほめなさいよ」
と、時には強く、そうでなくても常に、私のベースにある、と言ってもいいくらい。
それは、子どものころからの親への思いであり、
小学校、中学校時代の先生や友達への思いでもあるのだけど。
親は今でも「がんばってるのは分かってる」と言います。
わたしは、がんばってないと認めないのか?と思うけどいわない。
通じないから。
でも、こうして、私の行動や発言から、
心の中に立ち入って、
認めてくれたうえで「こう変わったほうがあなたが楽になる」と教えてくれた人は、
人生2人目です。
しかも、「人格の成長途中にある」とか言われてしまった・・・・
たしかに、み~出産後ウツに気づいて、多分その前から兆候はあって、
今、み~は9歳。
ほぼ10年、私の心はうつという壁に囲まれて、自分と向き合うことしかできなかった。
本当は、もっと活動的に、充実できるはずの30代を
ずっと留まったままですごしてきたように思う。
そうかあ。まだ成長途中かあ。
それはなぜか、希望になりました。
途中と言うことは、これから成長していけるから。
それは、過去を否定した言葉じゃないから。
そんな生き方をしてきたから、今こうなんだ、って言われたら最悪。
またズドンと落ちることもあるだろうけど、
とりあえず浮上できました。
「うつ患者は、プライドが高い」とよく聞くのを
それは違う、と思っていたけど、やっぱり違う。
そう見えるかもしれないけど、本人は絶対思ってない。
全部ではないけれど、少なくとも私みたいな人は、
「認めてほしい」という我執が強い、
のが 一因 なのだと思った次第です。
もちろん、校長の話や推測が全部正解、とは思っていません。
でも、自分にとって、方向性が見えるものだったのがうれしい。
そこまで考えてくれたことがうれしい。
備忘録でした。