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この2、3週間はいろいろなことがありすぎて、 記憶が飛び飛びになっています。 同時に 過去を含めた身の上話 などを多く聞いたので、 より多くの時間がひしめきあったような感が・・・ ::::::::::::::::::::::::::::::::::: さて、どういう経緯でもいいのですが、人間の多様性、人生の様々な局面を見ると 音楽の捉え方、解釈に幅がでるものです。 あたかも自分の為だけに演奏してくれているような錯覚であり感触。 これが生まれる原因の一端は、この辺りと関連します。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::: 要するに、弾き手の側が聴き手の側の内面を理解し受け入れる能力があり、 そこには、何かの共有感が育まれている状態・・・ しかし、最終的に弾き手側は超然としているべきで、 それには集中力が必要です。 ::::::::::::::::::::::::::::::::::: 身の上話に戻ると・・・ 話してくる方というのは、聞いている方よりはるかに必死なもの。 ですが、その内容に同調しすぎてしまうと、誰の人生なのかわからなくなりますね。 私たちの内面には、かなりデリケートな部分がありますから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年01月30日 07時33分29秒
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