ぱんだハウス☆魔法と感動の子育て

母子通園のススメ

我が子は正常に生まれたにもかかわらず

生後半年のときに脳性麻痺と宣告を受けました。

そしてしばらくたって 初めて聞いたのが療育という言葉でした。

それまで私はそんな単語を聞いたことも見たこともありませんでした。

首の座らない子どもたちがいることすら知りませんでした。


外来で訓練を少し受けた後 

人見知りの激しい娘のために(なんと生後3ヶ月からの人見知り)

人や場に慣れていく大切さを痛感して 

その後母子通園を生後9ヶ月から始めました。

ももはまだ赤ちゃん!でした(o^-^o)



その頃の娘は首も全く座る気配もなく、身体は柔らかく

全く手が開かずモノも持てない、足もほとんど

動きませんでした。知的障害も大きくでるといわれ

言葉もでるかわからないとたくさんのマイナスを当時医師に

言われました。

ですから私の心も正直ずたずたで未来も希望も全く感じることが

できない状態だったと思います。


核家族で主人は仕事が遅くどうしても母子家庭状態が

続いていました。

私は過敏で泣きじゃくる娘といつもふたりぼっちを感じていました。

親友や友達には一切状況を話すことはしませんでした。

(だからみんな長い間知りませんでした)

親にすら気持ちを打ち明けることもできませんでした。

親は健常な子どもしか育てたことがないので

この気持ちはわからないと思ったのです。

同情されるのは嫌だったし

泣かれるのも嫌だったし

変に気を使われるのも嫌だった。

あの時の○○がいけなかったのかな?

自分を責めて責めまくって

なぜ?マークが心の中にいっぱいあった時期でした。



その時の私の中には 

この気持ちは同じ立場に立たないと絶対にわからない、、と

思うものがあったのだと思います。




あの頃の私は母子通園を即始めてよかったと思います。

それは子どもの身体のリハビリ等の療育のためにも大切だったけれど

母の私のためにいちばん必要だったと思うのです。

自分を見つめて自分を取り戻すために。




障害のある子どもを大切に育てていくためには

まずは情報を得ていくこと。

そして育てる母親の(中心となる)心のケアが大切だと

私は思っています。

障害児を育てるということはとてもスペシャルなことでは

ないと私自身は思っています。

(これは今だからそう書けるのかもしれませんが)

ただちょっとしたコツを掴んでその子に合わせて生活するだけの

シンプルなこと。もちろん配慮が必要なことはでてきますが

とてもスペシャルにするか、シンプルにするかは

その気持ちひとつな気がします。

今の私はシンプルにどんなことも共に楽しみたいと

いつも考えています。

 


さてさて元に戻って 

その頃私がいちばん欲しかったのは

生きていくための気力でした。

なんのために生きているのかすらわからなくなっていたのです。



私は勇気を出してすぐ最初の扉を開けました。
おそるおそる
でもちょっぴり楽しみな気持ちで、、=*^-^*=♪



私はそこできらきら輝くたくさんの素敵な先輩ママさんや

温かい職員の方々に出会うことになります。

いくつかのイノチの大切さを心に刻む出来事を体験します。

イノチの長さと輝きのことを知り

素晴しさを身をもって体験します。

素敵なフィリピン人のママに出会います。

生きる!ってすごいよ。

母のチカラってすごい!ってこと教えてもらいます。

一生涯忘れることはないだろうと思われる美しき母の姿を見ます。

そしてその後長いお付き合いとなる何でも話せる

大切な本当の親友もそこで得ることになります(o^-^o)

学びや気づきをいっぱい得て 心の状態は大きく変わって

いくこととなります。



新しいことを行動化するには誰でも

最初は不安な気持ちがいっぱいです。

でも必ず素敵な出会いが待っています。

あなたの前の扉を開けてください。

必ず明るい未来が待っています


こころをこめて(o^-^o)

今日もありがとうございます!




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