ゲロが子供 プーが未来 スカが死
ゲロゲロプースカゲロプープーこのまえ、現職の先生から「どうなりたいの?」と聞かれた。どうなりたいんだろう。校長先生になりたいわけじゃあないなあ。管理職になって学校を経営したいって気持ちになったらそれもいいけれど、
しっかり子どもたちに育ってほしい?しっかり子どもたちに勉強を教えたい?リュウドウテキなシャカイで、しっかり子どもたちにシュタイセイを身につけてほしい?主体性が無いと駄目なのかな。
消極的な人はダメな人?
どうであれ、自分を好きになって、周りの人も好きになって、人生楽しんでいける人がいいかなぁ。
どんどん選んでいけなくても、積極的に世界を創っていけなくても
幸せな人になってくれたらいいけども。
それよりもっとたくさんのこと、学べる場にしてかなきゃかな。
「何かを極めたほうがいい」とも言われた。確かになにかを極めたいって思ったことないかも。極めなくってもいいか、って思ったり、広く知りたいっていうほうが強すぎて、たとえ浅くっても満足してたのかしら。
これだけは負けない、って一つもないかも。
世界がたくさんあるイメージ。
一つしか見れてない状態って少し怖い。
大学院だって一つの世界だし、
教育だって一つの世界だし、
他にもたくさん世界がある中で、そこでの文化は外から見たら異質なものかもしれないし、
そこでのマジョリティは他のマイノリティかもしれないし、
今のうちにいろいろ見なきゃって感じる。
教室で少し感覚が違う子は、外で兄弟とか塾とか習い事とかで違う文化に触れ出した子なんじゃあないかなって感じる。
すでに学校が全てじゃあないって感づき出してるんだろうね。
学校は全てじゃあないよね。
でもそういうたくさんある他の世界に自分からアクセスできるようにするのが学校?
それが主体性?
なんか近いけどなんか違う。
けれども大切な場所なんだろうな。
言語化って本当に難しい。
でもきっと難しいんじゃあなくて、頭ん中で固まってないだけ。
これも曖昧なままだから揺れる。
揺れるからわけわかんなくなる。
わけわかんなくなったら思考はもっと止まっちゃう。
ホームポジションはそこにあるのに、戻れなくなっちゃう。
これはやれやれ。
きっと現職の先生に言われたことが答えで、
何になりたいかとか、自分の武器とか
そういうことしっかり考えて、
考えるだけじゃあなくて動かないと。今のうちに。
大学院の中でもそうじゃなくても、それが出来てる人はやっぱり違う魅力があるし、それに近づきたいなって感じる。
芯とか軸とか、間違っててもいいからひとまず作らないとかなぁ。
本当に?
って色々考えてよく分からなくなってても、
あったかいご飯食べたり、人と関わったりする中でなんかわかるような気がしたり、大丈夫なような感じになったりするから便利。
しかしゆっくり出来ていいなぁ。
一日休みって最高。
今年のクリスマスはゆっくりすますんだ。
うん。
ゆっクリスマス。
うん。