野口整体二代目 野口裕介先生の思い出
4年ぶり(たぶん)の登場です!お久しぶりの院長日記です。平成26年8月3日にご逝去された、野口整体二代目 野口裕介先生の思い出を今更ながらに書いてみます。我々夫婦は、とある療術団体のセミナーがきっかけで出会い、平成14年結婚に至りました。しかし、初めての妊娠が流産となり、そのことがきっかけで平成15年10月その療術団体を辞めました。翌11月、かねてから心惹かれていた通称「野口整体」の本部、二子玉川の整体協会で毎月16日に行われていた初心者のための「活元会」に初めて参加しました。野口裕介先生を初めて目にしたのはこの時です。(その時の模様は暖和室長の2014年9月6日の記事で書かれています)私自身はこの時、特別な接触も無かったので、裕介先生の印象はあまり残っていません。当時会員の紹介の無い人は、この活元会に2度出席すると会員となる資格を与えられ、12月も続けて出席した我々夫婦は、この時から整体協会会員として認められました。年が明け、2月初旬暖和室長が2度目の妊娠をしましたが、今回も初期流産の兆候が見られ、自宅安静の日が続きました。その月、2月16日の活元会に私一人で出席したことが、その後の裕介先生とのかかわりを大きく左右しました。当時、活元会が終了後に裕介先生が二階の道場に残って、出席者の質問に答える時がありました。2月はたまたまその質問を受け付ける日でした。私は質問をしたい人たちの列に並んで、あれこれ質問を考えていました。いざ私の番が来たとき、確か考えていたことと全然違ったことを言ったと思うのですが、最初に考えていたことは何だったか今でも思い出せません。ただ、この時の裕介先生とのやり取りは、今でも鮮明に覚えています。私「今、妻が妊娠初期なんですが、こういう時でも活元運動はやっても良いものなんでしょうか?」裕介先生は、間を置き、少し天を仰がれ、絶妙のタイミングでこう言いました。「奥さんに伝えなさい。弱い子は産みなさんな。強い子を産みなさい!」私「有難うございました」と言って、さっと立ち、その場を後にしました。たったこれだけのやり取りなのですが、その時感じた感覚は一生忘れることが出来ません。言葉で解説するのはなかなか難しいのですが、月日が経った今だからこそやってみましょう。私の質問には、妻を心配する夫の苦悩のようなものが、前面に出ていたと思います。そして、それを観て感じ取った裕介先生は、絶妙なタイミングと声のトーンと間を駆使して、上記の言葉を発せられたのです。その言葉を聞いたとたん、私の中で「はっ」と心が動き、視界が明るくなり、さっと挨拶を済ませ、その場を去ったのです。野口整体では、「機、度、間」という言葉で表されますが、そんな言葉を知らなかったころに、裕介先生から体感させて頂けた貴重な出来事でした。ちなみに、自宅に戻った私は即暖和室長に伝えましたが、暖和室長の受け取り方は・・・。2005年4月20日の記事をご覧下さい。結局この時の妊娠も流産となり、その結果報告を3月の活元会終了時の質問会でしたのですが、この流産質問事件がまさかまさかの展開を産んだのです。この時期、正会員となっていた我々は、整体初心者が最初に受ける「愉氣法講座」に毎月出席するようになりました。3月の愉氣法講座を受け、翌4月の愉氣法講座受講中にある事件が起こりました。愉氣法講座では、午前に活元会があり、午後から愉氣法講座の講義となるのですが、暖和室長とたまたまパートナーになった古株の会員の方と話をした時、当時上級者方が受講されていた講座で、我々夫婦との会話を裕介先生が講義中に紹介したようで、「あなたたちだったの!」ということになったのです。通常、整体協会では様々な講座が設けられているのですが、人間は個人個人皆違うために、「個人指導」というものが重要視されています。ただ、当時整体協会理事で本部講師であった野口裕介先生の個人指導を受けるためには、会員の紹介が必要でした。もちろん、入会して半年も経たない我々を裕介先生に紹介しようという人はいませんでしたが、その会員の方々が「直接聞いてみたら?」となぜか言われたのです。そこで我々は愉氣法講座終了後に、お部屋に戻ろうとする裕介先生を引き留め、「子供が欲しいのですが個人指導をお願いできないでしょうか?」というような感じで直談判したのです。裕介先生はちょっと考えて、「どこに住んでるの?」「(我々)〇〇区です」「(先生)だったら〇〇先生の方がいいかな・・・・。でもねぇ・・・、まぁ、良いでしょう。来月からいらっしゃい」「(我々)ありがとうございます!」(この辺のいきさつは暖和室長の2014年9月6日の記事でも書かれています)こうして野口裕介先生の個人指導を受けることになった我々夫婦は、2004年5月から2013年3月(娘が3歳)まで裕介先生にお世話になりました。娘が3月末生まれだったこともあり、3歳の誕生日の後すぐに幼稚園に入園となったため、その後は個人指導を受けに行けなかったのですが、それから1年半も経たないうちに野口裕介先生は、お亡くなりになってしまいました。この記事を書くにあたって「野口整体」のカテゴリを読み返して、裕介先生が娘に関しておっしゃっていたことを改めて色々思い出しました。娘も本日で幼稚園生活も終わり、あさって卒園式を迎えます。しっかりと育てなくてはと、改めて思います。裕介先生本当にありがとうございました。