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南の島物語

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2018.12.30
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カテゴリ:音楽と旅と釣り

今回のブログは履歴書ではない。今年の出来事を振り返り、平成から新年号に変わる年へ、その抱負だろうか。

 

まあ、振り返ると今年は節目だったのかも知れません。何しろ、73歳になって、少しばかり先のことを考えるようになる。そこで、昨年からは少しずつだが釣り関係での仕事を整理する事を考えた。それは終活ではないが、少しずつスローダウンし、あと56年の間で軟着陸するようにスケジューリングをして行く事だ。

 

島に住んで、26年。このパパズインという釣りのお客さん相手の宿泊業の傍ら、好きな釣り、特にルアーフィッシングの中で、一つの形を作ることに多少の貢献をしたと自負している。

ジギングという釣りの開発や普及、その取材活動。ジギングの創成期から、日本全国、更には海外取材にまで飛び回った。思い出深い、ミクロネシア、インドネシア、パプアニューギニア、オーストラリア、などなど。ま、他にも、キャスティングゲームや好きな磯釣りなど、釣行日数が年間で200日を超える年もあったろうか。

特に、重いメタルジグを使うパワージギングでは「釣れない釣りを嫌がるな」「魚を欲しがるな」をモットーに、ひたすら重いジグを振り続け、心身を鍛え、忍耐と我慢から手にする、感動の1尾のみを目指す。そんな姿勢を貫いてきたつもりだ。



しかし、如何せん体力は年齢とともに落ちてくる。60歳台までは日々のトレーニングで補ってきたが、補い切れないのは視力だろうか。視力の低下は足元の不安定を招く。

73歳になった昨年だが、磯釣りの渡礁から船からの飛び降りに、足元がよく見えなかったことから着地に失敗。足首、アキレス腱の断裂である。さらに、生来の我慢強さ、痛みに対しての強さもあって、そのまま足が使えない状態でも取材等を続け、放置を4か月間。ようやく医者に診ていただいた頃には完全に断裂していた。

そして、もっと悪いのはその間の入院、その後のリハビリ、その期間には全く他の部分の筋力トレーニングが出来なかった事もあるだろうか?、驚くほどのスピードで筋力が落ちていた。

例えば、アキレス腱がほぼ完治したことで、ランニングを中心にしたトレーニングを始めると、無理したつもりはないが股関節を痛めてしまい、再び数か月も休んでしまう。そこで焦りも出るだろうか、その回復から再びトレーニング。そして今度は大腿部の肉離れ。これらは、自分の想像以上に衰えた筋力、それに気付いていなかった、と言う事だろうか。

それでも、ヘビーなジギングの取材では、歯を食いしばり自分の最良のパフォーマンスを示そうとする。しかし、思うようにいかない事も多く、結果につながらないことも続いた。

もちろん泣き言は言わないし、そんな事はヒトには気づかれたくない。しかし、心の中では「そろそろ引き時か?」そんな葛藤が生まれるのだ。

そこに来て、まさかの出来事も起きる。それは家内の病気だ。元々はリュウマチが持病で、東京の病院に通っている。数年前に肘に人工関節を入れたところで、少しは病状も落ち着いたと思った。ところが、今度は胃の中に大きな腫瘍が見つかる。

早期の発見もあって、無事にその腫瘍を取り除いたが、それは青天の霹靂である。この島に住んで26年間、家内はリュウマチという病と闘いながら、泣き言ひとつ言わず頑張ってきた訳だ。それは生涯の付き合いを覚悟した病なので、心の中では納得していた。しかしその上の、癌の宣告は、まさに想定外だった。




昨年一年を振り返ると、今までに幾つかあったであろう、そんな人生の岐路。その中で最大のものかも知れない。しかし、これも結論が出た訳では無いから、どんな時にも笑いを忘れず、ひとに笑顔で接し、冗談を言い合い、明るく過ごしてきた。

それに、悪いことばかり述べたが、決してそれだけではない、良い事も多かったのだ。それは、30年近くも中断していた音楽活動でも、5年前に東京の音楽仲間が「パパ~、もうそろそろ再活動しない?」そんな話があって、東京でのライブを始めていた。それが今では、島の音楽仲間を育て、彼らと島中心の活動をするようになった。

歌も、長いブランクから難しいと思ったが、この1年はまだまだ伸びしろを感じ、先が楽しみになって来た所だ。






そう考えると、2019年は思案する年、次へのステップを考える年かも知れない。釣りの話に戻るが、僕のジギングは我慢の釣りだ。辛抱し耐え、懸命に遣り続ける事で次につなげる。それは、そんな苦難を乗り越える事で必ず次に繋がる、そんな多くの事を経験して来たからだ。

平成は今年で終わりになる。2019年は、体力の衰え、そしてスローダウンしていく私たちの先を見据え、しかし、決して諦める事なく、次に繋がる希望の芽を育む年になれば良いだろうか。

僕は間もなく74歳になる。この年だからこそ出来る事もあるだろう。パパはも少し頑張る。








最終更新日  2018.12.31 05:51:47
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2018.12.21
カテゴリ:カテゴリ未分類

20代、30代では、やる気満々でもすぐに横道にそれる、それは危なっかしい若造だ。好きなことには突っ走るが、後先も考えず本能のままにも動く。だから、既婚者なのに、家庭を持っている意識も薄い、チヤホヤされれば、豚も木に登るトンチキである。

更に、僕のバンドメンバーは弟子である。付き合う仲間も横浜あたりでは暴走族以前の「カミナリ族」と言われた時代。バンドといっても、喧嘩はするは女癖も良くない。メンバ~には体育会的指導法だから、教えもするが、あまりにも理解不足だと手も出てしまう。今でいう、パワハラ、セクハラ、オイラのお腹は2段腹なのだ。

バンド稼業は人気商売、そのあたりでモテモテの気分になる。人生を相当に勘違いした生き方だから、家内は、その尻ぬぐいの連続だったろうか。ただ、それが40代になると、さすがに落ち着いてくるのだ。

バブル期、当時のディスコはバンドにとって不毛の時代になる。というのは、ディスコの主流は生バンドからレコードを使ったスクラッチ、DJの時代に変わる。しかし、バンドが仕事が無くなった訳ではない。その頃に盛り場でちょっとしたブームになったのがオールディーズだ。それは、ディスコでお立ち台に乗って夢中に踊る世代よりは若干上の、3040代のお客さんが中心の、オールディーズブームだろうか。

当然に、私の同世代からやや若い世代。1950年代~1970年代の音楽を聴いて過ごした年齢層のサラリーマンやOLが多かったろうか。最初は銀座だったと思ったが、「ケントス」の系列店がその口火を切った形だろうか。そのオールディーズライブハウスが、六本木、赤坂、新宿と派生し全国の都市にも広がった。

当時のミュージシャン(僕が音楽を始めたころは、楽隊と呼ばれ、そのあとはバンドマン、この頃になってようやくミュージシャンと呼ばれるようになった)の仕事場は、このような店で演奏するクラブバンド(箱バンド)とスタジオミュージシャンがある。

ビッグバンド時代から、スタジオミュージシャンになった私だが、スタジオでは所詮タレントのバックバンドか、スター歌手のレコーディング参加だ。自分の音楽をやりたいミュージシャンは、自分のバンドで(グループ)オリジナル音楽を目指すが、実力を着けるにはこういった店で、オールディーズなど洋楽を演奏する方が勉強になる。

六本木に、有名なレジャー型サービス産業で大手の拓建が「ローリーポップ」というオールディーズライブハウスをオープンする。そこに請われて、私がリーダーで「リップス&ドリーマー」という名のバンドを作る。これは人気店でもあり、バンド人気にも火が付いた。週末には、店の通りをはみ出し、その小路を何回りもするぐらいファンが並んだ。



(ローリーポップ時代で、お店でバースディー。顔がデカイ)


そこを数年務めると、今度は新宿に、もう少し大人をターゲットにしたオールディーズクラブ「スターライツクラブ」がオープンする。それは、1950年代ニューヨークの「コットンクラブ」のような雰囲気のゴージャスなライブハウスだった。

「ローリーポップ」を後輩に任せて、そのお店のオープンから「ハリウッド・スウィンギン」という、4管編成のオールディーズバンドを作った。それは、画期的なバンドである。演奏曲目は幅広く、1950年代~1980年代のジャズ、ラテン、ソウルミュージック、ボーカル中心のオールドミュージック。センターボーカルは僕と若い女性ボーカルの2人。コットンクラブのキャブキャロウェイバンド(ブルースブラザースの映画でおなじみ)のような雰囲気で、9人編成のとても人気のあるバンドに作り上げた。



女性ボーカル「令子」とのSOULデュエット、人気があった)

大人のお客様が多くなり、それなりに熟成された音楽を演奏する。それは、自分自身も多少は大人になって来た証かもしれない。毎週に休日があり生活も落ち着いてくると、釣りの方も隔週ぐらいの割合で出かける。

そしてバンドが安定してきたところで再び、後輩メンバーにリーダーを譲り、都内の有名ライブハウスで自分のオリジナルソングのパフォーマンスを続ける。それは、自由に休みも取れることから、今度は離島などに出かけ、釣りの方に比重を置いた生活だろうか。まあ、40代はいくらか大人になったと云う事だ。

その頃である。渋谷のライブハウス「エッグマン」でのライブ予定があった。そして、2日前にリハーサルを終えたので、一日の休みで八丈島に釣りに出かける。その頃は八丈島に貸別荘を借りていて、月に10日ほどは離島での釣三昧。

そのライブの当日に飛行機で帰る予定だが、朝から悪天候、昼には全便の欠航が決まる。大変な事態だ。音楽事務所に連絡を入れ、パパは風邪をひいて休演という事に。しかし、当日100人ばかりのお客さんが待っていたわけで、当然に大クレームだ。

その後、東京に戻ってから音楽事務所と、事後の会議になるのだが、事務所の女社長は

「困ったもんだねっ!、パパ~、そんなにお客さんより島が良いんだ~。そんなに好きなら、いっそ住んじゃえば~!!」

そんな嫌味に、こちらも悪態を吐く、

「そっか~、住んじゃえば良いんだね~、明日にでも家を探しに行こっ。また10日ほど留守にするからね~」

ところが、この瓢箪から駒がでる。其処からトントン拍子に進むと、なぜか音楽事務所も前向きになって、共同で八丈島にペンションを開く事が現実化する。ま、事務所としては、一番の口うるさい古株で、後輩ミュージシャンに影響力も大きい。こんなのが幅を利かせていると、若手が伸びない(今のジギング界も一緒かな?)。今のうちに追い出した方が?そんな訳でもないが、江戸時代の遠山金四郎風に言うと、

「そのほう、素行が不埒千万。磔つけ獄門のところ~一等を減じ、八丈島に遠島を申し渡す~!」ベンベンベン!。

と島流しが決定するのだ。

 

さてさて、この後は、いよいよ次は八丈島編です。長かったね~。







最終更新日  2018.12.22 14:01:36
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2018.12.08
カテゴリ:音楽と旅と釣り
青森、津軽の田舎者が、音楽家を目指して上京したのは、東京オリンピックの始まる前年だった。

しかし音楽大学に入学したものの、夢は大きいが金がない。

そこで、花のキャバレーでバンドのアルバイト。だが、そこは、目もくらむ華やかなライトの向こう側に、ホステスさん、ダンサー、女性歌手、がいるステージ。いきなりの田舎者が狂うには十分な淫靡の世界だ。
まあ、大学なんて1年もしないうちに行かなくなってしまう。

でも、勉強しなかった訳ではない。アルバイトでも腕を磨けばそれなりに。2~3年もすれば超一流とはいえないまでもジャズのビッグバンドのプレーヤーにはなっていた。

演奏家時代はコピーのしまくり。ビッグバンドでカウントベイシーオーケストラから、当時モダンジャズといわれたジョンコルトレーン、マイルスディビスまで。とくにトロンボーン奏者になって、カティスフラーやJJジョンソンといったプレイヤーのアドリブソロは殆どしたろうか。

だが、思春期の田舎者が都会で花開いた気分だ。手当たり次第に悪い遊びを覚えたのも事実だから、そりゃ多少の努力はしても、やる事が中途半場だわ。

スマイリー小原とスカイライナーズというビッグバンドに在籍していた。テレビで「シャボン玉ホリディー」や「ヒットパレード」をレギュラーで持つバンドだ。一旦は退団したこともあるが前後で5~6年いただろうか。そのころから、多少だが番組での編曲などをするようになり、自分の番組も持つことになる。そして、其の頃から、リズム&ブルースやラテンに興味を持つ。特に小編成で賑やかしく踊るバンドは女子にモテそうだ。

いつしか、そういったバンドを作り、リーダーに。しかも、仕事場はディスコだから若い子が集まる。管楽器を振り回しながら歌って踊るバンドは画期的だから、そりゃモテる。またまた不浄な生活。

新宿や、赤坂、六本木、あたりのディスコやクラブでは人気のバンドだが、マネージメントできる器量はない。当然に、ヤクザまがいの悪徳マネージャーに吸い上げられ、その上に安い給料だが、楽器やアンプの支払いに追われる。
さらに、歌い踊る1時間のステージを、一日で4回~6回。夜の6時から翌朝まで。休日なんて月に2回程度だ。ただ、バンドメンバーは若いが素質が十分。今は、世を時めく(騒がす)有名なミュージシャン、音楽家になった連中も多いが、死んじゃったやつも居る。黙とう。

しかし、その上に良いバンドは練習を重ねるので、練習時間、譜面を書く時間、さらには夜な夜な仕事後に遊び歩く時間、女子とイチャイチャする時間、そして必ずと言って大事にしているのが、大好きな釣りの時間だ。まあ、こんな不健康な生活で、よく体がもったと思う。

これが、30代までの僕の生活ぶりです。

この後は40代からの、僕の生きざま、島に来るまでの話を。
ま、自慢げなことは一つもないです。時間つぶしにでも読んでください。

写真は、30代のパパ。バハマシュガーというオリジナルラテンバンドのリーダー時代。
原宿のライブハウス「クロコダイル」にて。






最終更新日  2018.12.21 11:44:24
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2018.12.06
カテゴリ:音楽と旅と釣り
今度からは小文で、も少し更新をいたします。

このブログは釣りもそうですが、パパの島での暮らしぶり、そして音楽。

音楽は、島でのライブ、東京でのライブ告知なども。
音楽ジャンルは、JAZZ、R&B、島唄、オリジナルソングです。

釣りは島の暮らしで、最近気になる事。
自然環境なども含め、島の美しい自然のこと。
終活(愁活)に入ったパパの生き方。

昔を引きずった懐古なメモリーな。

などなどを、軽く、書きます。

釣り、音楽とともに、あと何年出来るか判りませんが、
お付き合いのほど、よろしくお願いします。

写真は、懐かしいバリバリ人気のあった時代の、
ロックンローラーなパパ(笑笑)。

ニューリアルの、のっけから出す写真じゃないね。







最終更新日  2018.12.06 13:32:55
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2018.07.10
カテゴリ:音楽と旅と釣り
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久々のブログ更新が、こんなニュースじゃ申し訳ない。なのですが・・・。

 

でも、何れ判る事。噂が、意図としない方向に広がるよりはマシだろう。

 

 

実は、エリザベス(家内)が入院した。

 

胃の3分の2を摘出した。

 

最近、胃の調子がイマイチ、そんな事が、虫の知らせだった。

 

 

お客さんで、釣り友達の植木先生に話をしたところ、直ぐに検査を。

 

沢山の写真を撮った中に、何か腫瘍らしい不審な影が幾つも。

 

検査の結果、急いで手術した方が良いと。

 

しかし、その話が出た所で、やはりお客さんで、その方面の権威である緒方先生が、素早く。

 

先生の弟子筋で、やはりお客さんのある小島先生が、

病院から手術をする日程まで、既に決めて下さいました。

 

本当に急な話です。

 

5日の日に摘出手術。本当に早期発見で、それも先生方のご尽力で半月も無い速さだ。

 

そして、かなりスピードの速い厄介な奴だったらしいが、なんたって早期発見。

 

僕は、今朝、東京の病院から帰って来たが、何しろ術後3日で歩いてトイレに行ける。

 

今朝は、流動食(と言ってもスープレベルだが)を口にしている。

 

そんな事でした。

 

正直、内心は、頭の中が白い砂漠状態でしたが、少しは落ち着きました。

一安心です。


皆様には、本当にご心配をお掛けしました。

 

 

何かの縁で、不思議に、繋がっている。

 

そんな繋がりのおかげで。

 

また、皆様の温かい心遣い、励まし、そのおかげで。

 

全く安心という訳にはいきませんが、何とか一安心という所に漕ぎつけたようです。

 

エリザベスの意見は、「慌てず、今のままで通りやって!、釣りも音楽も、パパズインも」。

 

ま、僕としては、少しばかり彼女と寄り添い、気遣いはしようと思っています。

 

 

私も73歳を超え、エリザベスも68歳になる。2人共に高齢者だ。

 

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どうも、一昨年あたりから、スッキリいかない感じもあった。

 

何かを変えなければイケナイとも思った。ジタバタもした。

 

しかし、私のアキレス腱の断裂などアクシデントもあり、さらに悩ましく。

 

変えなければならないが、でも、変わらない平常心と言うのも大事だろう。

 

そして、

 

エリザベスの意見同様に、皆様には、普段通りのお付き合いを頂ければ。

 

今回は、そんな気持ちを、新たに持ちました。

 

改めて、宜しくお願いします。


島は、もう直ぐ夏祭り。

 

それまでに、元気になって、一緒に浴衣を着て出かける事が出来れば嬉しい。





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​​​​​​​​







最終更新日  2018.07.10 13:08:59
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2018.03.10
カテゴリ:釣りと音楽

また来てしまう、誕生日。74回目は、明日になる。

 

それは、黙祷。

東日本大震災の日である。

 

今でも思いだす、昼休みあと。

誕生日のお祝いで、ケーキを食べながらのお茶の時間。

 

揺れがあって、TVを付けた後は、身じろぎも出来なかった。

 

忘れる事の出来ない、メモリアルなバーズディー。

 

 

あれから、7年も経ったんですね。

 

 

今でも言葉も無い。大事な友人も失った。

 

東北、青森出身の私は、多く兄妹、友人が、今の被災地に居た。

 

 

 

ただ、まだまだ復興は遠いのだが・・・、

未だに苦しんでる方も多いのだが、

でも、確実に復興していることも確かだ。

 

私を含め、東北の人間は、辛抱強い。我慢強い。・・・と思う。

殆どの人は、頑張っている。

 

勿論、この震災の前の阪神淡路、この震災後の熊本、北九州の震災。

被災者は、みな頑張っている。

 

 

僕も頑張らなければいけない。


 

去年、6月のアキレス腱断裂。

10月の手術からの入院。

 

73歳での半年以上のブランクは心にも辛い。

その後は、全てにリタイアも考えた。

全てに止めようとも思った。

足の痛みを我慢しながら、その中で、仕事にも流されていた。

 

が・・・。最近は少しずつ、考え直して来た。


震災で、苦労されている方々、もっともっと多くいる。

だから。

 

年老いたと言っても、まだ先がある。

 

多くの方にも、励ましも頂いている。

 

 

そして、強い私に戻りたい。

 

止めない、逃げない、諦めない、そんなパパに。

 

そう考えるようになって来たのだ。

 

 

ただ、多くの物事を抱えすぎるのは良くない。

シンプルに、自分の身の丈で、

少ない先の時間を、確りと受け止め、その中で。

 

無駄でも、足掻いても、みっともない程にだ。

それでも、前を向きたい。

 

 

 

明日は、黙とうを捧げながら、

更なる精進を誓うだろうか。




(これは、震災後に描いた絵)







最終更新日  2018.03.10 14:30:56
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2018.02.28
カテゴリ:音楽と旅と釣り

 

先日、釣りでの話。

 

若い連中とジギングをしている時に、唐突に聞かれた。

 

「何を望みますか?」、こんな風に。

 

多分、「どんな釣りをしたいのか」とか「どんな魚を釣りたいのか」

 

そんな質問だろうか。

 

まさか、残りの少ない老人に、将来の望みを聞いた訳ではないだろう。

 

そんなシチュエーションだと、どうも真面目に答えられない。

 

ヒネた性分。

 

 

 

子供の頃なら、欲しいものを言うだろうか。

 

将来を聞かれたのであれば、「総理大臣になりたいっ!」「偉い人になりたいっ!」

 

凄い時代錯誤な言い回しだが、僕らの子供の頃はそうだった。

 

これがミュージシャン時代の質問だと、本音は

「良い演奏をしたい」とか「良い音楽をしたい」になるが、

ギャグの多い世界だから「先の栄光より、目先のお金」ぐらいは言ってるかもだ。



(1988年だが、このころで既に43歳ぐらいかな?)

 

 

 

まあ、僕の子供くらいに年の離れたアングラーなので、

 

おちょくった訳ではないし、受けを狙った訳でもない。

 

軽くギャグを言ってみた。

 

「加齢臭の無い老人でいたい」と。

 

 

全く受けなかった(笑)。

 

 

でも、この言葉には、けっこう本音があるのだ。

 

年寄りになれば、若さが恨めしい。年の分のリスペクトも欲しい。

 

育った年代、その環境の違いで、思考や指向、嗜好、全てが違ってくる。

ジェネレーションのギャップは大きいのだ。

 

半面、一緒に遊びたいし、仲間に加わりたい。会話に加わりたい。

 

口煩いジジイなんて言われたくない。息が臭いなんて言われたくない。

 

老人扱いされて面白くない。だけど、シカとされても面白くない。

 

 

あ~あ、オイラ面倒くさいジジイかも。




(ゆいの雛飾り)

いや、優しいジイジです。







最終更新日  2018.02.28 12:53:17
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2018.02.24
カテゴリ:音楽と旅と釣り

 

釣りは、諦めない。釣りは粘りだ。釣りは、逃げない。

 

これは、僕が良く言う言葉だ。

 

だが、こんな言葉と裏腹になるかも知れないが、

 

釣りは、潔く。

 

これも大事だと思っている。

 

 

来月は、早々にハワイ、オアフ島のジギング取材がある。

 

最大の空港、最大の都市ホノルルを擁するオアフ島だが、

ジギングに関しては意外にやられていない。

(ハワイの、特にカンパチジギングというと、

意外にカウワイ島やハワイ島なのだ)

 

そんな、夢のあるフィールドの対象魚は多い。

 

僕が狙う、カンパチだけではない。巨大なキハダマグロやカジキマグロ。

 

他にも、大型の根魚(ポテトゴッドやハマダイ種の大型魚)など魚種は多い。

 

 

僕でも、その昔は、海外遠征では夢を馳せる。

 

ジギングで大型カンパチ、それは勿論だ。

だが、キャスティングの大型のマグロも魅力があり、可能性は大きい。

ヒラマサがあるかも知れない。大型の根魚。

南の島なら、魅力満点のGT、トレバリーがあるかも知れない。

 

そんな夢が、広がれば広がるほどタックルの幅も広がる。

 

ただ、今は、そんな時ほど、潔くありたい。

 

 

「この道具、このタックルで釣れなければ、それで良いよ」

「少ないタックルでも心を込めた釣り、やり切った釣り、それをやり遂げよう」

そんな心意気で、ジギングに集中させたいのだ。

 

ケッちいと思うかもしれないが、貧乏アングラーが海外の釣りをする時、

気になるのは、重量オーバーだ。

 

航空会社にもよるかも知れないが、今度のハワイ、JAL20キロの制限がある。

 

意地になるかも知れないが、其れなら20キロに収めよう、なのだ。

 

実際に、重量オーバーは航空会社によってはトンデモなく高い料金、その支払いを強いられる。

 

最小の道具、少ない道具に絞り込んで、如何に大きな釣果を出すか?、

それも、楽しい釣りのパフォーマンスだと思う。

 

今回、僕が持ち込むタックルは、ロッドは、キッドナッパーズブランド、
アイアンウィルのベイトタックル、1
本だけ(絶対に折れないという自負)、
ケースは、コンパクトな、ネーチャーボーイズ「METAL ROD CASE 1390]、
その
アルミ仕様の軽量なケースに1本収めるだけだ

リールはスタジオオーシャンマーク・ブルーヘブン2個。

 

メタルジグはディープローバーの210g~500g、9個だけである








 

勿論、狙いは200メートル以深のカンパチと、中層の大型キハダのみ。

 

重量は20キロに収め、それで結果を出せなければ、それは己の技術の未熟さだ。

 

そんな、縛りを作ることも楽しさに繋がるのだ。

 

 

多分、多くのアングラーは「それだけ~!!」と思うかもしれない。

 

でも、僕のキャリアで言わせて頂ければ、大事なのは、

どんな魚種を、何キロの魚を、どんな釣り方で、どんな道具で釣るか?、

大事なのは、其処なのだ。

 

釣りの楽しさは、多くの魚種、大きな魚、魚の数だけに、思いを巡らす事ではない。

 

絞り込んだ道具をイメージし、そのイメージ通りに釣り上げる事は大事だ。

 

それは結果に繋がらなかったとしても、悔いのない潔い釣りになるだろう。

 

釣りには「潔さ」、大事な事だ。







最終更新日  2018.02.24 19:57:28
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2018.02.20
カテゴリ:ジギング



 

ソルトワールド誌の取材である。

 

魚や写真や釣りの感想文は、5月の発売号を楽しみにして頂きたい。

 

ただ、何でこの時期に、北の地、青森の取材を決めたか?
その理由を述べたい。

 

 

私は、多くの釣り具メーカーのお世話になっている。

 

そのメーカーが作っている道具、

例えばリールのスタジオオーシャンマーク

ジグやロッドはネーチャーボーイズ、
ラインはフィッシングファイターズ・ワイルドエイト

他にもダイワのソルト関係製品、どれも一級品、世界に誇れるだろう。

 

どの道具も、大型魚を釣る近道になり、そして楽しい釣りに導いてくれる。

 

 

しかし、感謝の気持ちと同時に、こんな本音もある。

 

それは、例えば使ったメタルジグが魚の活性とマッチし、

「ディープローバー、このメタルジグで釣れました!」

ジグのナチュラルな動きを演出し、大型魚のランディングに結び付けた

「アイアンウィル、このロッドの感度とパワーのおかげです!」

強度な機能に合わせ、滑らかなギアと回転、そして完成度の高さ

「このブルーヘブンだからこそ、こんな魚が釣れました」
PEライン、ワイルドエイト・バーチカル
「この研ぎ澄まされたような、繊細な感度だからこそアタリが取れた」

 

たしかに、私の使っている道具は全てに素晴らしい、

サポートを頂く、どのメーカーさんも、素晴らしい道具を作り、

私は、アングラー皆さんに、この道具に自信を持って勧める。

なのだが
、これらお世話になっているメーカーさんには失礼な言い回しになるが、

その反面、自分の技術で釣ったと考えたいし、己のパワーや
そんなイマジネーションで釣ったと言われたいのだ(力のパワーでは無い)。

 

結果を出すためには、誰もが条件の良いフィールド、

釣れる時期、潮周りを選んで釣行するだろう。

 

 

それは、私も、若い頃は釣果に拘り、回数を増やし、

魚の多い場所を選び、良い潮周りを選んで釣行して来た。

 

しかし、子供のころから色んな釣りをし、

メディアに出るようになってからでも、既に40年を超える。
それは、休日アングラーの数倍もの釣りをしてきた事になる。

 

当然のごとく、今さらながら、釣れないからといってジタバタもしない。
むしろ、釣れない釣りの方が、余程、闘志を沸き立たせる。

数を求めるより、如何に難しい1尾をものにするか?

そんな釣りに拘って行きたいのだ。

 

今回の青森県六ケ所村、泊漁港からの釣りは、そんな思いからである。

 

青森周辺のアングラーに、この時期の釣りを聞く。

更に、船長や漁師さん達にも聞いてみた。
そして、帰ってくる答えは、ほとんど同じである。

 

「タラはもう少し早い時期の深場だよ」

2月は、中途半端だけど、釣れなくはないよ~」

「サクラマスは下北の北部、尻屋の方で、コッチはなあ~」

「居ないことも無いけど、釣れ難い」

「釣れないから、お客さんもいない。漁師もあまりやってないよ」

「寒くて、時化も多い。釣りにならない。釣れれば我慢も出来るけど」

 

しかし、こんな言葉が多いからこそ、やる気になった。

この時期を選んだのである。

 

 

三沢空港に着いたのは夕方。そこから六ケ所村に向かう。

途中は、ところどころで吹雪になる。

着いた日、その夜は、氷点下10℃近くまで下がった。




 

翌日、早朝出船。雪の舞う中でのジギング。

奥歯がガタガタ、手は冷たくしびれ、感覚を失う。

でも、大型は出なかったが、タラは良く釣れた。

ソイ、アイナメ、ホッケ、カレイ、など含めると相当の数、

ほぼ休みなくヒットが続いた感じだ。

 

タラは沢山釣れたので、翌日は、釣れないという、サクラマスのジギングに絞る。

 

更に低気圧は向かってくる。大雪の予報なので午前中の釣りだろう。
朝、出船時、
雪になるので寒さは緩む。と言ってもマイナス5℃だ。

 

釣れない、難しいと云うサクラマスだが、それでも執念で釣れた。

 

そして、相方の名久井君が釣れたのも、何よりも嬉しい。

船長は驚きを隠さなかったが、喜んだ。

 

 

僕の釣りは、諦めない釣り。釣れない釣りを嫌がらない、そんな釣りだ。

 

午前10時を過ぎると、相当に風が吹いてきて、早上がりする。

 

その夜は大吹雪になったが、心に満足感が広がった。





 







最終更新日  2018.02.20 16:01:52
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2018.01.13
カテゴリ:音楽と旅と釣り

本当にズボラなブログですね。

 

更新しないときは2月も3月も、気ままに続け、足掛け12年になったでしょうか。

音楽好き、釣りも好き、絵描きも好き、酒も好き、女も(これは終わった)、
そして文章書き、好きな事だけやって来た。


 

それが、アクセス数は40万をこえたようです。

 

まあ、自慢げ、愚痴、たまには自分自身を励ますために書いてきたろうか。

 

尤も、このブログは、還暦近くで始めたので、すでに73歳。

まあ、良く続いたものです。

 

こんな気ままが40万回もアクセス頂いたことに、感謝感謝です。

 

 

ミュージシャンとして中途半端な生活から、46歳にして島に来てアングラーズリゾート・パパズインを始める。

 

六本木や赤坂あたりでブイブイ言わせていた、不良で中途半端なミュージシャンが、好きの釣りとは言え、まるで島に流された流人のようだ・

見ず知らずの土地に流れ着き、そこからの再出発。

そんなつもりだろうか。

 

時は折しも、バブルから真っ逆さま、最初に12年はともかく、日本経済は急転直下だから、当然にフィッシングレジャーも深海に潜るかのように沈み始めた。

 

 

少々は、体力に自信があって、始めたジギングという未開な釣りである。まあ、試行錯誤ながら、少しばかりが評価もあってか、後に続く若い人も出て来た。


しかし、先は何も見えてなかったかも知れない。

 

振り返ると、20数年のジギングの歴史は、僕の歴史でもある。

 

ジギング好きの若い連中には、「止めるな」「諦めるな」「続けなければ結果は出ない」、こんな事を言い続けてきたろうか。

 

しかし、その言葉は、自分にも言い続けている。

 

 

そろそろ潮時かも知れない。ただ諦めきれない。いや諦めたくない。

 

心が彷徨っている。

 

ここまで来るのに、多くの人の支えがあった。

 

そして、40万アクセス。

まだまだ、多くの人の支えを頂いている。


もう少し、ジタバタしたい。






 

感謝!。有難う御座います。

 

 







最終更新日  2018.01.13 17:33:17
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