折鶴とバスと霊柩車と私

2006/01/24(火)02:45

夢の跡の後

小ネタ写真(仮)(16)

10月にも1度行った万博会場跡地。また行ってきました。 まずは愛環八草駅から。かつて、万博に来た人で賑っていたホーム。   そのホームが、今はもうない。10月に来た時はこのホームで下車した。当時は、今(1月)使われているホームを工事していた。 下車した私は、外から駅を眺めてみる。 万博が開催されていた時、駅前には広場があった。そして、朝には乗り換え客で長蛇の列ができていた。 それが今では、ホームの一部は壊され、広場もトイレも臨時交番も撤去され、更地になっている。 青空が、いっそう寂しさをかきたてる。 かつて通路だった場所も、今では壊されたコンクリート。無傷で残る案内図が、半年前の賑わいの形見。 リニモの駅も、万博期間中は乗車ホームとして使われていたホームは、壊されている。 エスカレータだったものの破壊された姿。かつてこのエスカレータは、改札からホームへ、人を運んでいた。 改札に並ぶ人たち。ここにいる人も、このエスカレータは運んだ。 リニモに乗って、万博会場駅へ向かう。誤解している方がいると思うが、リニモは動いてます。 リニモで八草から会場駅へ向かうと目に入ってくるのが、かつての北ゲート付近。 それが今では、すっかり更地になっている。 手前の2階建ての建物は、長久手会場と瀬戸会場を結んでいたゴンドラ乗り場の跡だ。その横にのびる木の橋は、東ゲートへ向かう時に使われた道だ。1番手前の舗装も、その時に歩いた。跡地を見て、ようやく会場内の地理的関係を把握する。 リニモから見える範囲で、原型を留めている印象深い建物といえば、これ。   トヨタ館。私は見学していない。 他に、はっきりと形が残っているのは、マンモスラボ。モリコロパークになっても使うのかな? 他にも、グローバルループの一部は残されると聞いている。残っていた。でも周りは更地。これからどうなるのか予想がつかない。 更地のはるか向こう、アジア諸国のパビリオンだった建物は残っている。 万博期間中は、何度かそちらにも行った。 10月に行った時、すでにがらん、としていた西ゲート付近。しかし、まだこの段階では、翌日からまた営業します、と言われても違和感のないがらん、っぷりだった。 それが今では、更地。 うっかりしていると、畑に戻りかねない。 ちなみに、万博公園駅では、その日、近くの大学でセンター試験が行われていたため、センター試験会場への案内貼紙がどかどかと貼られていた。外に出てみたが、万博会場跡へ向かうルートは、警察車両で封鎖されていた。そして、寒かった。道には他に、人も車もほとんどいなかった。 今の万博会場跡は、万博跡地であると同時に、モリコロパーク予定地だ。終わりは始まり。さーて、またモリコロパークが開園したら行ってみるか。

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