テーマ:のりもの??大好き!!(230)
カテゴリ:バス・鉄道
本日3月31日、京阪宇治交通最後の日。明日、京阪宇治交通(株)と京阪宇治交通田辺(株)は、京阪バス(株)と合併し、84年の歴史に幕を下ろす。
これは、今年の正月に撮った写真だ。宇治交の走る最後の正月。澄んだ青空も、どこか切ない。自家用車の少ないいつもの道を、バスは走る。 そう、今まさにバスが過ぎようとする横断歩道。ここには信号がない。しかし、この横断歩道は、小学生だった私の通学路だった。信号がなくてなかなか渡れない時でも、バスは停まってくれた。 1番好きなバス会社をあげろ、と言われれば、迷わず宇治交をあげる。私にとってのバスの原風景、それが京阪宇治交通だ。実際乗った回数は、京阪バスの方が多いと思うけどそれはさておき。 昨年秋、合併の第一報を聞いた時、信じられなかった。ショックだった。 それから、宇治交の写真を意識的に撮ろうと思った。 でも、ちょっと恥ずかしかった。 旅行先ではバシバシ撮れるのに、宇治交が走る町は、あまりに見慣れた町だったから。改めてフレームの中に収めるのは、緊張した。 だから、今でも少し悔いが残る。 あの場所、あの風景の中を走る宇治交。撮っておけばよかった。 それでも、宇治交の走りは、私の記憶には残せたはずだ。 ちょっと恥ずかしいけど、見慣れた町を、バスと一緒に切り取る。 小学生の頃、バスが嫌いだった。いつも酔った。宇治交と京阪バスの見分けがつかなかった。興味がなかった。 中学生の頃、友達が引っ越した。 遊びに行くのに、宇治交を使うようになった。 高校生の頃、骨折して病院に通った。 いい先生がいるという病院は、少し遠かった。骨折しているから自転車は乗れない。宇治交に乗った。 成人式の帰り、松花堂へ行った。着物で宇治交に乗った。 自動車教習所に通った。初めて路上に出た。ミラーの中に、宇治交の姿が見えた。 バイト先で宇治交の人とお会いした。物腰の柔らかな方だった。 今、この日記を書く私の前には、宇治交の卓上カレンダーがある。 去年、「スルッとKANSAIバス祭り」会場で購入したカレンダーだ。その時は、まだ合併するなんて知らなかった。知っていたら……私が買うまで、カレンダーの在庫があったかな? 唯一の救いなのが、今回、京阪宇治バスは合併せずに残るということだ。同じカラーリングのバス。宇治交発祥の地である宇治田原を始め、宇治・城陽の路線バスや貸切バス事業を行っている宇治バスは、残る。 あの色に、あのエンブレムに、会おうと思えばまだ会える。 それに、しばらくは車両カラーもそのままで走るらしい。いつかは京阪バスと完全に同化しても、まだしばらくは、宇治交の名残を感じることができる……。 いつか私もこの土地を離れるかもしれない。その時、未練は1つでも少ない方がいい。宇治交が京阪バスになることで、未練が1つ、消えるのかもしれない。 すべては変わりゆくもの。 いつか終わりは来るもの。 だから、今、大好きな京阪宇治交通に心から「ありがとう」を。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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