テーマ:京都。(6067)
カテゴリ:京都情報
昨日、ちょっくら友人と、市バス500円券で京都市内をふらふらして来ました。
雨だったし、前から1度行きたいと思いつつ、足を向けることのなかった千本ゑんま堂に行ってみました。 一応、公式には最寄バス停は千本鞍馬口ということになっていますが、多分、乾隆校前の方が近いです。 千本通り沿いの商店街の一角にゑんま堂はあります。千本釈迦堂に比べると、知名度は低いし、マイナーなお寺。正式名は、引接寺(いんじょうじ)というそうです。 駐車場には、近所の人らしき方々が数人。彼らの視線を感じながら参拝です。 閉ざされた因習の村に潜入した金田一耕助になった気分(或いは、過疎バスの終点で降りてうろうろしている時の気分)。 なぜか入口には尼さんの顔出しパネルが。夕暮れ時にバスで前を通りかかり、視線を感じゑんま堂の方に顔を向けると、いつも、この顔なしの尼さんと視線があったような気分になるんだっけ。ちょっと怖い尼さんとして、学生時代は畏怖していました。 本堂には閻魔様がいるようですが、顔しか見えません。でも、怖い顔してますね~。300円で本堂参拝ができるそうなので、もしかしたら300円払えば、閻魔様の全体像を見れるのかもしれません。 本堂の右手に、目立たない「順路」の文字が。それに従って狭い通路を抜けると、今度は太郎冠者と殿様の顔出しパネルが。ひっそりと。これじゃあ、使われていないから奥の物置にちょっと立てかけておきますね、という状態に見えかねない。 実際、うっかりこの太郎冠者たちのパネルで写真を撮ろうものなら、後ろの板戸に貼られた「関係者以外立入禁止」の100円ステッカーが写りこむ可能性もあるんじゃないの? しかし、そんな太郎冠者たちの奥に見えるのは、地蔵、地蔵、地蔵…。賽の河原もかくや、と言わんばかりの地蔵たち。 供養池という池だそうですが、明らかに人工の四角い池です。が。そんなことは念頭に置く必要すら感じさせない、地蔵たち。 そう、閻魔様とお地蔵さんは、同じ仏様と言われているのです。死者を裁く閻魔様、お地蔵さんに身をやつして賽の河原で鬼たちから子供を守る…。ええ人やん。 供養池の先には、重要文化財だという、紫式部供養塔が。ひっそりと。 順路を逆に引き返そうとした私たちの耳朶に、場違いなほどはしゃいだ若い女性たちの声が聞こえてきたのは、その時でした。 本堂に戻ると、3人の修学旅行の女子高生と、タクシーの運転手さんがいました。 どうやら、本堂にある「萬倍椀」という閻魔様の湯呑に浄財を入れることができれば、ご利益が万倍になるとか。そして、彼女たちはかなりヒートアップしながら小銭を投げていました。 中の1人が萬倍椀に5円を入れたらしく、女子高生たちは本堂の前から去って行きます。 彼女たちがいなくなるのを見届けて、徐に私は財布の紐を緩めました。 えいっ 入りません。 ちょっとむきになって、小銭を投げます。 萬倍椀の下には浄財箱があり、萬倍椀に入らなかった小銭の何割かは、そこに入る仕掛けになっています。金儲けの仕掛けっぽいなぁ…(笑) 連れが呆れたように私を見ているので、思わず、 「別に入るまで投げようとか思ってないから!」 とか、口走ってしまいました。 あ、私、今、閻魔様の目の前で嘘吐いた!! 結局、むきになって20回くらい投げてましたが、コントロールの悪い私の投げた小銭は1度も萬倍椀に入りませんでした。 結果的に、嘘を吐いたことにはならなかったから、よしとしよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006.06.19 00:16:15
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