おきらく主婦のたわごと

2008/08/26(火)09:32

メッセージ

気がつけば8月も終わり・・・ 暑かった夏はどこかにいってしまった。 この夏はあまり出掛けられなかった。 実家の病気の父のこともあるが夫がお盆休み以外にまとまった休みがなかった。 それでもこの夏は私や子どもにとっては特別なものであった。 週に3回から4回はこどもをつれて実家に行った。 父は孫と将棋がしたいがためにベッドから起き上がる。 頭を使う。 指先を使う。 孫とふれあう。 このことが父を元気にさせた。 暑い暑い夏なのに父はとても元気になった。 これまでの私は実家にはあまり顔をだしていなかった。 父が月に1回くらい我が家にお米や野菜などを届けてくれていた。 本当に親不孝な娘であった。 3年間、夫の海外赴任で日本にいなかった。 下の子は1歳になる少し前だった。 その後、3年間一度も帰国していなかった。 3年経って、帰ってきても下の子には爺婆との関係がピンときていなかったようだ。 今年の夏は次男と父が将棋で新しい関係を築いた。 次男は将棋が好きなようだ。 家では私も夫も将棋をしない。 長男とはすぐにけんかになり、将棋にならなかった。 次男の我が儘で中断することもしばしば・・・ しかし、次男もさすがに病気の父にはそういう態度をとらなかった。 「爺ちゃん、つよい!」 悔しそうに言う。 少し父を尊敬したらしい。 父の唯一の楽しみになっている。 将棋を通してこんなに2人の距離が近くなり私も嬉しく思う。 そもそも私と親の距離があったのがいけなかった。 その姿がまさに次男に影響していた。 物忘れが激しくなった父ではあるが、孫のことは最後まで憶えていてくれるだろう。 最近、母の話では体力がなくなったという。 私たちが来るとやっとの思いで立っているようだ。 それが父の楽しみだ。 それ以上の楽しみはないと思う。 思えば1年前にこんなことになるとは思ってもみなかった。 1年前、父は生活の大部分である自分の車がこわれ、新しい車を手に入れるために 76歳でシルバーセンターに登録した。 仕事を探した。 山の草刈りなど、けっこう重労働をこなしていたらしい。 車がない = 山仕事ができない  父にとっては考えられない生活だ。 必死だったんだなぁ・・・ あの仕事が父の病気を悪化させてしまったのかと思う。 病院とは無縁の生活の父がまさか肺ガンになっているとは知る由もなかった。 きっと前兆があったはず・・・ 周りの言葉には耳をかさない頑固な父だった。 きっと身体の変調に何かあると思いながらお酒で気を紛らしていたんだろう。 恐がりの父・・・ 気が小さい。 1年前、私は希望なく過ごしていた。 はたから見れば何の悩みもない奥さんにみえていたと思う。 あまり考えることをしないようにテニスに没頭していたのかもしれない。 その時には楽しい気持ちしかない。 でもそれ以外の時には何とも言われようのない不安が私を包んでいた。 テレビをみればイヤなニュース。 通り魔のような犯行や家庭内の殺人事件・・・ 未来の自分に明るい姿を想像することができなかった。 こんな世の中に子どもを産んで良かったのか?!そう思うこともあった。 寿命をまっとうしてただ生きていくだけ・・・?! 今思うと情けないことだと思う。 そんな私に何かみえない力がうったえはじめてきた。 少しずつ・・・ これでもか・・・ これでもわからないか?! まだ、気がつかないのか? 長男の突然の病気。 そこから、もう目を背けることができなくなった。 ただ日々を過ごしていた私だった。 ただ日々をすごせることが、どれだけ素晴らしいことだったのか・・・ そのことに気がつくのに40年もかかった。 世の中に偶然の出来事はないという。 課題をもって生まれてきている。 ストーリーはできている。 その中でどれだけ愛を注げるか・・・ 今、そんな気持ちでいる。 1年後にこんなに前向きになっている自分がいるとは思わなかった。 そうなることで自分が過ごしやすくなるとは思う。 しかし、くすぶっていた時が無駄だったとは思わない。 人生は楽しまなくてはならない。 いろんな経験をすることで自分の魂は喜ぶ。 悲しみだって、そのひとつ。 嬉しいことばかりではいけない。 何事も経験・・・ 父には楽しい気持ちを忘れないでほしい。 そして何の悔いなく最後の時をむかえてほしい。 良い人生だったと言ってくれると思う。 あの性格だから・・・ 私の側にこんなに前向きな人がいたのに私は気がつかなかった。 都合の良い解釈をする父を鼻でわらっていた。 だから私は心から笑うことができなかった。 父の命をもって私に教えてくれている。 ありがとう。 今の私にとってのメッセンジャーは父そのもの。 ありがとう。感謝します。

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