近況
沢山のアクセス本当にありがとうございます。先々週の金曜日から更新がストップしています。原因は特に変化がなかったからです。病院へ行くわけでもないので、アルバイトをしながら1週間すごしました。診断が下されるまでは自営業として働いていましたが、今後のお客様のことを考えると事業の継続が困難になり、結果ご迷惑をかけるので廃業を決意しました。その後、同業の方へ事業の引継ぎをしながらそちらでアルバイトとしてお世話になっています。先週の土曜日はそのアルバイト先の社長様から、元気が出るようにと温泉と食事に誘っていただきました。阿南町新野の道の駅とその近くの温泉です。温泉にゆっくりつかった後、カニのフルコースをご馳走していただきました。予約のみの受付で3人前からということで、専務さんと事務員さんと私、社長の4名で行きました。カニのフルコース 1人前 5500円 冬場のみ生のカニカニの酢の物カニのてんぷらカニの吸い物カニしゃぶこのあたりでもう挫折しました・・・。食べたい気持ちはいっぱいあるけど、お腹が苦しい。痛い。背中が痛い。そんな感じです。座敷で横になっていました。すみません。カニの握り寿司蔵の御幣餅カニ雑炊トウモロコシのソフトクリーム2年程前から一緒に食べに行こうと誘われていた場所でついに行くことができました。社長さんごちそうさまでした。おいしかったです。まぁそんな感じで大きな変化もなく無事にこの1週間を過ごしています。朝8時位から夜17時頃まで、得意先への材料の配送等をしながら体調の様子をみています。今まではロキソニンという痛み止めが8時間に1錠で丁度よかったのが、最近は5時間位で痛みがひどくなるので、6時間毎に飲んでいます。パッチは今外して様子をみていますが、痛みがやはりひどい時もあるのでオプソ10mgを1日2回位の見ます。1回は夕方17時頃が多く、2回目は夜寝るために飲んでいます。特に眠くなることはなく、夜途中で痛みで目が覚めると寝つきが悪くなるので、その防止のために飲んでいます。診断されてから1ヶ月が過ぎ、緩和のみでやろうと決意をしていますがその気持ちは今でも変わりありません。最初の1ヶ月は本当に食事の改善・生活習慣の改善・半身浴・等よいと思うことはどんどん取り入れてきました。でも、私は元来無精な人間なのでだんだんとルーズになってきます。そんな自分が大好きです。春ウコンも1ヶ月ほど続けていましたが、だいとーちゃんが亡くなられて喪失感というかなんというか、飲んでも飲まなくてもいっしょかな・・・?なんて考え込んで飲まなくなりました。最近1週間は過去の膵臓癌患者様のブログを拝見しながら、どんな末期を迎えるのか調べたりしていました。ブログでは多くの方が放射線・抗がん剤を利用していますが、それでもやってくる死というのは避けられない場合があるのをみました。希望を捨てずに頑張ろうという方が多く本当にみんなすごいなーぁと思います。じゃあ私はどうなの?と自問しますが、私は頑張ろうという気持ちはあまりなくいつもの日常が続いていく感じが強いです。ちょうど下記に拾い上げた定義の5番目あたりだと思います。 記キューブラー・ロスの定義に「死の病を受け入れる五段階」というのがある第一段階/否認自分が不治の病であること、またはその可能性があることを、現実の出来事と受け容れられずに「私が病気のはずはない」「医者が間違っているのだ」といって否認する。これは癌と告げられる前の段階でもあてはまることで、「もしかして癌かも・・・」という認識はありつつも「いや、自分が癌なんかになるはずがない」と自己解決してしまい、みすみす癌を悪化させてしまう場合が多い。第二段階/怒り医者の言うとおりに症状が出始めるにつれ「本当に死ぬのだ」ということを認識していく。そして次に自分に襲い掛かる病と恐怖に対し、理不尽さを覚え、やり場のない憤りが怒りとなって、いろいろな方向に向けられる。「なぜわたしなのか」「どうして治せないのか」「私に過労させた会社のせいだ」「ストレスを与えられた家族のせいだ」「検査を推奨しなかった国の性だ」「治すことができない医者のせいだ」・・・etc第三段階/取り引き何かにすがろうとする心理状態。「なんでもするので、どうか命をながらえさせてください」と、取り引きと表現している。どうしても死を受け入れられず、何が何でも生きたいという思いから視野が狭窄し、「がんばって探せば絶対に治る方法があるはず」という思い込みが、しまいには「医者の言っていることはウソだ」に転化する。この時点では、代替医療、加工食品、・・・手当たり次第にいろいろなものに手を出す。はては普段なら絶対信じないようなトンデモ本や、あやしげな宗教にまで感化され、入信するようになる。第四段階/鬱否認をしても、怒っても、取り引きをしても、何をしても無駄だと知り、観念するようになる。喪失感に陥り鬱状態になる。何もする気が起きず、食欲もなく、睡眠もできず、孤独と絶望しかない現実をただただシャットアウトしようとする。.第五段階/受容ここにいたって患者は自分が死ぬのだという事に怒りもせず、戸惑いもなく、現実として受け止められるようになり、心の平穏を取り戻すようになる。それは悟り的なものでもなく、第四段階の延長線に位置するもので、絶望的なものに対する「間仕切り」、「据え置き」のようなもので、死に絶望したり、生存方法の模索で時間を無為に浪費するよりも、限られた時間を有効活用したほうがよいという「効率的」なものの考えであり、安らかに死にたいと思うようになる。という立ち位置に妙に納得をしています。残された課題は、妻と息子へ私との一緒の思い出がひとつでも多く残せたら・・です。私が無収入だと家庭生活は成り立たないので、アルバイトをしながら元気な間は働きます。私だけでは収入が不足するので、妻もパートで働いています。私は日曜日は注文がなければだいたい休み。彼女はサービス業なので土曜か日曜は大体仕事です。ですから、この2年程一緒にゆっくりと休日を過ごしたことがないのが事実です。お互いに家庭を支えるために頑張ってきたのですが、すれ違いが多くて・・・。とても優しい妻で感謝しています。年が7つから8つ離れていますので、年上の私がガンバラなければ・・といつも思っていますが結局頑張っているのはいつも彼女です。ちょうどブログ村で夫が癌でガーンという奥さんのブログを拝見していますが、本当に私のツボにはまっています。私は夫側の立場で見ていますが、妻は同じようなことを考えているのかなと思います。どんな時も夫に尽くすという考えを私はもともと持ち合わせておらず、みんな好きなことを好きなときに好きなだけやればいいと考えています。疲れたら交代する。私が疲れたら彼女に頑張ってもらいたい。彼女がつかれたら私が頑張る。それでいいといつも思っています。もっとも、家事分担もなくほとんど彼女がやっているので私があんまり偉そうなことはいえませんが・・・。とりとめも無い話に付き合ってくださってありがとうございます。近況報告でした。にほんブログ村