公園人の散策記

2020/06/12(金)00:33

「不徳の致すところ」

本日のワイドショーは週刊文春によるアンジャッシュ、渡部氏の不倫の話題が新型コロナウィルスに関する報道を凌駕していた感がある。 そんな中で私が気になったのは、渡部氏の謝罪的発言の「不徳の致すところです」というキーワードだ。 このキーワード、ちょっと前には、自粛要請中に沖縄に行ってゴルフをした後で新型コロナウィルス感染が判明した石田純一氏が、退院後に発したコメントにも含まれていたものであり、それ以前にも、政治家や著名人が不適切な言動を非難された際の謝罪でしばしば耳にするキーワードである。では、「不徳」とは一体何なのか? 古代中国の考え方(儒教の考え方)では、国を治める為政者には「徳」がなければならない。 「徳」を以って国を治めれば、国が平穏になる。 「徳」を以って国を治める者を「王者」と呼ぶ。 「王者」に対して、武力で国を治める者は「覇者」と呼ぶ。 そして、為政者に「徳」がなければ(不徳なら)国(民衆)が災厄にみまわれるという考え方である。 原因と結果を逆転させると、民衆が災厄に見舞われるということは、為政者に「徳」がない(不徳)ということである。従って、「不徳の致すところ」という言葉の本来の意味は、民衆に悪いことが降りかかるのは、トップに「徳」(人望と言い換えても良いかも)がないからだということである。 それは本人が直接悪いこと(不道徳なこと)をしたということではなく、人望がない者がトップになったことが災厄の原因であるということなのである。 ここでいう「災厄」とは飢饉、水害などの自然災害や疫病、戦乱などを指す。 これを更に逆転して考えれば、自然災害や疫病に際して、為政者が民衆に寄り添って誠実に対応していれば、その災害は民衆にとって大きな不満とはならず、「不徳」とはならないのである。 このことを踏まえれば、渡部健氏や石田純一氏、及び本人が不祥事を起こした政治家等の「不徳の致すところ」という発言は、本来の意味からは外れているということになる。 正に今、「私の不徳の致すところ」と謝罪し、言動の全てを改めるべきは、安倍首相なのではないだろうか。

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