カテゴリ:パスカルの気楽な日々
長野県の大家パスカルです。 ・・・ あおり運転の思い出 ・・・ ワンクリックお願いします。 所有物件一覧はこちら テレビであおり運転のニュースが連日報道されています。自分があおり運転に近い経験があり、救急車で運ばれたことを思い出しました。 5年前のことです。中央自動車道を一人で車に乗っていた時のことです。物件視察の帰りでした。 120km/hくらいで、追い越し車線をはしっていると、ルームミラーにものすごいスピードで迫ってくる白い車がありました。走行車線には車がいたので、すぐに走行車線に戻れません。 走行車線にもどろうとしているとルームミラーいっぱいに白い車が映っています。ものすごい威圧感です。 「こいつ喧嘩売ってるのかな?」 「オレこの車に何かしたか?」 「ヤバい奴が乗ってるよな。」 と、恐怖を感じながら考えました。 走行車線に車がなくなったので、走行車線に戻ろうと左にウインカーを出してハンドルを切ると、後ろからドカンと大きな衝撃がありました。 「何が起こったんだろう?」 一瞬、本当に何が起こったかわかりませんでしたが、すぐにぶつけられたとわかりました。 「車をぶつけてくるなん、狂った奴か?」 「ここで車を止めたら殺されるかも?」 等々、色々考えましたが、車を止めました。 車を出ようとすると、首と肩に激痛がはしり、吐き気がします。 むち打ちでした。 このむち打ちです。 こちらではありません。 運転していたのは未成年でした。動揺していて、言葉も出ませんでした。救急車を呼ぼうともしないし、警察に連絡しようともしません。 高速道路のわきに、あおむけになって、自分で警察に連絡し救急車を呼びました。救急車を呼んだあと徐々に意識がが遠のいていきました。 その後、救急隊員に名前を呼ばれてるまで、記憶がありません。警察も来ていました。 記憶の大部分はとんでいますが、救急車に乗り込もうとしたとき、警察官に、 「車どうにかしてください。」と言われたことを覚えています。一人で運転していたのでどうにもなりません。よく覚えていませんが、たぶん警察の方にお願いしレッカー会社に連絡してもらったと思います。 その後、車がどこに保管されているかわからず苦労しました。 入院はしませんでしたが、仕事は1週間休みました。療養休暇を使うと休業補償が出ないと保険会社の方に言われたので、年休をとりました。その後1年近くリハビリに通院しました。 運転していた未成年、久しぶりの運転が楽しかったとのことですが、運転をしてはいけない人種だと思いました。 おしまい。 ↑ みなさんのクリックが、ブログ継続のモチベーションになります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2019.08.21 00:00:14
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