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カテゴリ:母
「母の夢は果てなく明日に」その13
1981年 母の友(福音館) 3月号掲載 ズッコケ母さん その2 私の小学校は人吉東小学校でその当時生徒は2000人近くもいた。秋の運動会は盛大で校庭では間に合わず、広い城内のグランウンドで催された。 小学校の運動会は町全体のお祭りのようで、父兄にとっても楽しい行事であった。親は朝早くからゴザを持って観覧席の場所取りして、家族総出の応援合戦が行われた。ゴザの上で親たちと食べるお昼のご馳走が楽しかったものだ。 我が家は父のいない母子だけの弁当開きであったが、それでも運動会は嬉しい行事であった。 私の母はいつも忙しく、お昼の弁当の時間には間に合わず、ハアハア言いながら午後の競技が始まる頃、駆け込んで来るのが常だった。 ところがある年、母が父兄参加リレーの町内対抗リレーの選手に狩り出されたのである。私たち兄弟は陸上競技の選手だった父に似たのか、徒競走はいつも早かった。 町内会の役員は「子供さんが早いんだからお母さんに出てもらおう」と言う。母は足に自信がなく何度も辞退したのだが、断りきれず引き受けてしまった。 それもトップランナーをである。 スタートラインにつく母を私はドキドキして見守った。 「よーい」の声に「ドーン」とピストルが鳴った。 われる様な歓声! ところが母はスタートラインで転んで立ち上がれないでいるではいか。ピストルの音に驚いてしまったらしい。なんということだ!! 第二走者の小父さんがスタート近くまでバックして来て母のバトンを奪うようにして走ったが、わが紺屋町はもちろんビリ。母のデビューは散々の結果に終わったのである。 子どもたちが都会に出て行き一人暮らしになってから、鍵をかけるのを忘れ泥棒に3度も入られている。 あるときは、テレビが見えなくなっても、修理の人を呼ぶのもめんどうで一ヶ月ばかりほって置いたらしい。 久しぶりに来客があり「テレビが故障してね」というと 「ソケット!ソケット!がはずれていますよ」といわれ、大笑いになったとか。 あぶなかしくて、誰かついていてやらねば、なにをしでかすかわからないような人であった。もし父が生きていたら苦笑しながらも可愛い妻として母を愛しんだのではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年06月21日 00時16分31秒
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