新 つれづれ日記     

2011/04/24(日)08:17

五日市の祭り

五日市の頃(9)

五日市の祭りといえば秋の「阿伎留神社例大祭」です。この神社は平安時代からあったと記録にあるそうで、歴史の古い神社です。源頼朝、足利尊氏、北条氏、徳川家康なども土地を寄進しています。五日市は神奈川県の時、山梨県の時もあったそうで、山梨を経て江戸に送られる物資運搬の中継点として市がたち繁栄した街のようで、八王子に似ている街かもしれません。歴史の街五日市は誇り高く、町衆はこの祭りの伝統を守り続けています。神輿担ぎは3日間も行われ最後の日は喧嘩神輿のように盛り上がり、担ぎ手の男っぽい殺気が見物人にも伝わってくる勇壮な祭りです。八王子祭りの神輿はあんまり暴れないようですが・・・阿伎留神社大祭2009 歴史の浪漫街道ーお江戸の神輿http://rekishi-roman.jp/miya-mikosi/page-22.html子供達は特に男の子はこの祭りと共に成長していくようです。小さい時は子供神輿を、中高校ぐらいになると大人神輿をちょっとだけ担がせててもらい、逞しい体男に成長すると大神輿の担ぎ手に昇格していきます。最近は粋な娘さんたちも担ぐようです。大人になって、祭りの総大将として祭りを仕切るのが子供の夢ではないでしょうか。もっとも総大将になれるのは街方の老舗の若旦那が多いようです。我が家の息子達も中高校生時代 半被、足袋、鉢巻などを自前で揃え、毎年神輿担ぎに行きました。私の住む家は町から外れた高尾地区なので、五日市7ヶ町からみるとよそ者という言う感じで差別感がすこしありました。祭りに堂々と参加したいが為に上町とか下町とかに移住するひともいる位です。息子たちは町方の幼なじみの仲間に入れてもらい、勇んで神輿を担いでいました。夕方から担げばいいものお囃子の音に誘われ、学校を休んで昼間から出かけるような困った息子でした。男の子は毎年の祭りのを経て少しづつ成長し、内緒でお神酒なども飲ませてもらって大人になった気分ではなかったでしょうか。赤い顔で帰宅した祭りの夜もありましたから・・高校の受け持ちの先生から「今日は彼は欠席していますが、どうしたんですか」と電話をいただきました。私は「先生申し訳ありません。でも仕方ないです。この3日間は、五日市阿伎留神社の大祭で、興奮して神輿担ぎに行って家にいないんです。この祭り、血湧き肉躍る有名な祭りですよ。先生も是非見物にいらしてください」と答えたものです。「なんという母親か?」と職員室で顰蹙をかった事と思います。こんな親ゆえに息子は遊びの癖がついてしまい高校時代後半の成績は落ちてしまい大変でした。しかし勉強一筋ではなかったゆえに、息子はいろんな経験をし、人にもまれ、失敗もし、親に心配もかけながら大人になり、今は仕事は出来る社会人に育っていきました。世間様に育ててもらいました。懐かしい阿伎留神社のお祭り、今年の秋は久しぶりに行ってみようかと思ったりしています。・・・・・・・高尾神社の村祭りもう一つのお祭りに、高尾地区の鎮守さまのお祭りがあります。 私達が住んだ五日市町の「高尾地区」は昔は貧しい寒村だったらしく、その頃新興住宅地になった場所で、農家だった家は軒並み立派な家を新築し、お金持ちになっていました。親族間の相続争いもけっこうあったようです。ここには高尾神社という鎮守さまがあり、村総出での秋のお祭りがありました。私達は新参ものでしたが部落の人たちは快く仲間にいれてくれました。農民の豊穣を感謝する秋祭りです。村人は伝統の獅子舞とお囃子、女の子の笹すり行列を長く守ってきていました。我が家の子供達も毎年村まわりの行列に参加させてもらいました。上の絵は私の昔の油絵です。長女小6の笹すり姿、下の絵は長男が3年生ぐらいの時、祭り行列に参加した時ものです。新しく住み始めた住人の数は高尾の地元の人数より多くなりました。新住民のPTAの親達が祭りを盛り上げようと、「焼きそば」や「金魚すくい」などの屋台を出し、盆踊りの夜はカラオケ大会演芸会などもやり、皆で楽しみました。あれから何10年もたちました。今はどんな祭りになっているでしょうか。こんな写真が箱からでてきました。夫がお祭りで焼き鳥やの屋台のおじさんになったときのものです。若かったです。 道子のパソコン水彩画三昧http://www5e.biglobe.ne.jp/~tianduan/ 

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