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カテゴリ:夫の母
夫の戦死 (義母の手記・不死鳥はいまもなお より)
あの日、飛び立っていった夫からはなんの連絡もなく、毎日子供を背負って伊勢神宮に日参しているうち師走をむかえる頃になった 不気味なB19の爆撃機が、明野の上空にその姿を見せ始め、人々の不安が日増しに濃くなっていった。 郷里の父がこのような事態を心配して、一刻も早くの帰郷を勧められ、夫の身を案じながらも明野を引き上げることにした。 年が明けて、春がきて、青葉の季節を迎えても、夫の消息は依然としてわからず、再三、問い合わせるが回答は決まって「未帰還」というだけの返事に焦燥の思いは日一日と深まっていった。 五月五日、戦争中とはいえ、父が孫たちのために、中庭に鯉のぼりを立て、ささやかな端午の節句を祝ってくれた。 孫の自慢話に目を細めながら「これで、父親さえ無事に帰ってきてくれたら」とつぶやく父の前に一枚のはがきが渡された。 「すぐるレイテの激戦地におかれては、去る12月28日、ご主人田端優中尉殿には名誉の御戦死・・」と淡々と書かれた数行の文字を、自分の目を疑いながら、幾度も読み返した。 どのくらいの時間が経ったのか、私は放心状態のまま、畳に座り込んでしまっていた。 父は庭先に立ち、空を仰ぎ、拳で涙をふいていたようである。母は黙り込んで部屋の片隅にうずくまっていた。 子供たちは気配を察してか、私の顔を覗き込んで、今にも泣きそうな顔をしていた。 涙が乾くまでにはかなりの時間が必要だったが、幼い子どもたちのために歯を喰いしばって立ち上がった。 長男3歳1か月、次男1歳6か月、最も父恋しいときであった。 荒海の 海の向こうに春遠く 母子出船の旅路やすかれ ・・・・・・ ・道子のパソコン水彩画三昧」/b> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年11月15日 22時21分22秒
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