少女のころ読んだ雑誌
少女の頃読ん雑誌子供の頃は「小学何年生」とか「少女の友」などの月間雑誌を毎月とっていました。あのころは発売日に本屋さんが自宅まで届けてくれるので、発売日が待ち遠しかったものです。付録が充実していて楽しく遊びました。私が幼い頃住んだ故郷・熊本県の人吉市は美しい球磨川を持つ城下町で温泉の街です。前に書いた宮崎県立小林中学の英語教師だったおじいさんは晩年人吉でお風呂屋を開業していました。おじいさんは岐阜県の人でインテリでしたが若い時から山っ気のある人だったらしいです。小林まで流れ着き、最後は教師時代の給料をほとんどをつぎこんで温泉を掘り当てることに賭けました。苦節ウン十年の末、人吉に温泉の源泉を掘り当てたのだそうです。そのおじいさんの奥さんのが私の母の叔母に当たり同じ岐阜の人です。おじいさん一家は温泉を掘り当ててからは教師を辞めを銭湯経営でくらしました。その頃は自家風呂を持つ家は少なく、銭湯は芋の子を洗う状態で大繁盛でした。おじいさんは悠々自適、趣味三昧、お酒と読書と畑仕事と100羽近い鶯を自宅で飼い、船を一艘持って鮎網三昧の毎日でした。とうとう最後は夜釣りの船から落ちて亡くなりました。好きなことをして本望だったろうと皆は話しました。私たち母子4人は満州から引き上げて亡父の故郷人吉に帰ってきたものの、材木商だった亡父の実家は没落しており、結局この銭湯をやっている母の叔母一家に世話になることになりました。銭湯は温泉ですからお湯を炊く手間はいりません。しかし、番台や掃除など仕事はたくさんあり、母は生活のためその仕事を手伝わせてもらいました。私たち子供も母の当番の時かわりに時々番台をしたものです。何故こんなことを書いたかというとこの番台が本や雑誌の宝庫だったのです。番台では好きなラジオ放送を自由に聞くことができました。新聞は朝日、日経、熊日。雑誌は「週刊朝日」月間誌は「リーダースダイジェスト」「文芸春夏」「中央公論」「主婦の友」「暮らしの手帳」「女性洋服の雑誌」がいつも揃っていました。それにベストセラー本、評判の本、仏教関係の雑誌、亀井勝一郎の「歎異抄」など単行本も時々入ってきました。今思うと、これらの雑誌を読んでいた温泉のオーナーである息子一家は随分知的だったと思います。その頃学徒出陣の息子は戦地から帰還し、老いた父母を助けるため仕方なく?家業を継がされていました。その頃熊本日日新聞の新聞小説「それからの武蔵」が大人気だったのを覚えています。子供の私は毎月の雑誌の並ぶこの番台の手伝いが好きでした。入浴代や洗髪代の計算は上手でした。番台で時間があればこれらの大人の雑誌をわかるところだけ読みました。そして随分おませな少女になっていったと思います。ソグト人のお守り(タジキスタン土産)タジクを去る時ソグト人の女性からお土産にもらいました。魔よけ用かな。素焼きに色を塗っています。これほどデザインが強烈な造形も珍しいとおもいます。