ラスタ・パスタのレレ日記

2008/01/05(土)23:38

パスタもインドで考えたー

中国・韓国・アジア(104)

デリーにきて、もっと強烈なインパクトを感じるかと思っていたが、 なんだか、親しみやすいというか、どこかでみたような風景が感じられる。 なぜかな、と思っているのだが、 もうずいぶん前に訪れたムンバイ(ボンベイ)で、 路上生活者(布のようなものに棒きれ1本たてて、雨をしのいで住んでいる) など、沢山みていたので、僕自身のなかにある程度、、免疫みたいなものがあるのか。 現在のデリーは、それにくらべてはるかに発展しているので、違和感がないのか。 なんだか、80年代に訪れたタイのバンコクのような感じがするのか。 たとえば、めちゃくちゃ混んだバスに乗り込む乗客。 コの字型に小さい店がならぶ、市場 など、確かに80年代のバンコクでみたような風景だ。 それから、ぼくがバックパッカーの旅をしているわけではなく、 オールドデリーにはいっていない、つまりニューデリーしかみていない、 ということもあるだろう。 しかし、ニューデリーに住んでいるインド人には、 生まれてから1度もオールド・デリーに行ったことがないし、行かない、という人も多い。 これは、NYでいえば、マンハッタンに住んでいるニューヨーカーが、 危険なサウス・ブロンクスには一度も行ったことがない、というのに似ているのかもしれない。 ある種、階層(インドの場合)や所得(NYの場合)などによって、ひとのすみ分けができているのかもしれない。 人ごみの中でも、中国のようにひとがドンとぶつかってきて知らん顔でいってしまうようなこともない。 古いとはいえ、インドはイギリス統治時代からのある種の社会インフラができているからなのか。もちろんこの社会インフラは、これから発展するためには新しいインフラに変えていかなければいけないと思うのだが、中国のように、改革開放政策までは、まったくそういった生活インフラのようなものが充実していなかったのとは歴史的経緯が違うのかもしれない。 まあ、ぼくがいま短い間に体験しているのは、ニューデリのほんの一部の場所であって、 長澤まさみのようにガンジス川をバタフライで泳いだわけでっもないし、 中谷美紀や管野美穂のように、インドでヨガをやったわけでもないし、 ディープなインド・カルチャー体験をしているわけではにのだから、 ほんの一部のことしか接していないのだけれども。 ただ、これから日本とインドの間では、それこそ デリー、ムンバイ、バンガロール、といった大都市で ビジネスをするだけで、その他の場所や場面には出くわさない、 というひとがどんどん増えてきて、そういうかたちの経済交流が増えていくわけだから、 インドは、そんなにみんながおもっているような混沌とカオスの場所ではない、 ということは、民間の経済交流にとっては悪いことではないのだけれども。 そうはいっても、デリー市内をクルマで移動してくると、交差点でクルマがとまると すかさず、男の子が小さな赤ちゃんをだっこして、お金を下さい、とクルマの窓をたたいたりするけれども、こういう風景もインドだけではなくインドネシアでもよくあったことだし。 今のインドはいったいどんな状況なんだろう、という興味はますます強くなっていく。 パスタもインドで考えている。

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