カテゴリ:音楽その他広く一般
赤塚不二夫が亡くなった。72歳。6年間の闘病生活。意識は戻らなかったままらしい。
「天才バカボン」や「おそまつくん」で有名な漫画家。 しかし、「ひみつのあっこちゃん」も彼の作品だったとは知らなかった。 タモリが、赤塚不二夫に見出された、ということは知っていた。 ジャズ・ピアニストの山下洋輔が、書いた本によく出ていた。 よなよな、歌舞伎町裏のバーで、変態的な芸をしていたタモリを、赤塚不二夫が、その場で芸能界入りをすすめたという。 タモリが、最初にTVに出てきた頃の、 イグアナのモノマネや、 4ヶ国語マージャンなどの芸もそうだが、 TVでは、見せられないようなオバカ芸もあったという。 タモリは、その頃のことを弔辞で、こう読み上げた。 「君は面白い。お笑いの世界に入れ。8月の終わりに僕の番組があるからそれに出ろ。それまでは住むところがないから、私のマンションにいろ」と、こう言いました。自分の人生にも他人の人生にも影響を及ぼすような大きな決断を、この人はこの場でしたのです。それにも度肝を抜かれました。 そんな出会い方だったのだなと思った。 タモリは、最初は、夜の番組向きのタレントであって、 主婦が嫌う芸能人、ワースト1に選ばれたこともあった。 そんな、よるのいかがわしい雰囲気の、黒のサングラス男が、お昼の主婦が良く見る時間帯の番組「笑っていいとも」の総合司会をする、と聞いたときには、 たぶん、すぐに番組打ち切りになるだろうな、と思っていた。 フジTVが創り上げた、お笑いブームに乗って、B&Bなど、当時絶好調だった漫才。お笑い芸人でつくっていた番組「笑ってる場合ですよ」が、案外、はやく打ち切りになって「笑っていいとも」に変わったことに、多少、ぼくも不思議な違和感を感じたが、 あれよあれよ、というあいだに、タモリの「笑っていいとも」は、歴史的な長寿番組のひとつになった。 そして、一方で、深夜の時間帯には「タモリ倶楽部」では、あいかわらず、毒にもくそにもならない(褒め言葉です)マニアックなことにこだわった番組作りをしています。 タモリが、どうしてこんなんい長く、お茶の間の人々に受け入れられているのか。 理由は、いろいろあると思う。「笑っていいとも」では旬のタレントをどんどん入れ替えていく、とか、毎回のお友だち紹介は、最初はタレントの「友だちの輪」だったものが、映画、テレビ番組、ミュージカル、CD発売をするタレントたちの絶好のPRの場所として使ってもらっている(したがって、芸能関係者には無くてはならない番組になっている) ということもあるが、ぼくが一番感じるのは、 タモリの「脱力」のすごさだと思う。 時々、「もっとちゃんとしようよ、もれじゃいつか、スタッフに怒られるぜ、俺たち」といいながら、全然ちゃんとしない。 はなっから、真剣に番組を作っていこうとしていない、 自分が、ひとりで面白がって自爆アドリブをやっている、 こうした、自然体、無理をしない、自分が好きなことをする、自分から楽しんじゃう、どうでもいいような自分のこだわりは、大切にする。 こうしたタモリの「脱力力」こそが、タモリの真骨頂で、番組も、彼のタレント生命も長続きしているのだと思う。 あのひとは、「これで、一発あててやろう」などという野心ももっていないだろうし、「お笑い」以外の分野でも活躍してやろう、なんていうことも考えていないと思う。 とはいっても、ジャズなど音楽への造詣も深いし、料理も上手だし、いろいろなことを知っているし、単なる「お笑いタレント」ではないのだけれども。 そして、そんな自然体の等身大のタモリのよさ、というのが、実は赤塚不二夫からの教えの中にあった、ということが、タモリの弔辞の中で読まれていた。 あなたの考えはすべての出来事、存在をあるがままに前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は、重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、(中略) この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち、 「これでいいのだ」と。 タモリの力を抜いた仕事の仕方、というのは、こうした「これでいいのだ」という、前向きな人生への肯定感みたいなものによって、成り立っていたのか、とはっと思った。 そして、実は、7分半を超える、この弔辞、タモリは手元の紙を見ながら読んでいる、と思ったのだけれども、手元の紙は、白紙だったのだ。 タモリの言葉には、赤塚不二夫に対する、本当に敬愛と感謝の気持ちに溢れていたし、その言葉、言葉が説得力に満ちていた。 タモリは、これをすべて暗記したのだろうか。それとも、だいたいのことは決めて、あとはその場の流れで話したのだろうか。 有名人、芸能人の告別式での弔辞というのは、何度もテレビで見てきたが、 こんなに心のこもった、愛情に溢れた弔辞ははじめてだった。 タモリは、最後に、またにくいことを言った。 今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。 私もあなたの数多くの作品の1つです。 タモリらしい、最高の言葉だった。 赤塚不二夫さん、心からご冥福をお祈りします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[音楽その他広く一般] カテゴリの最新記事
赤塚不二夫さんには、もっと多くの作品を残してほしかったです。
タモリに関しては、もっと芸らしい芸をやってほしいですね。 個人的には「タモリの音楽は世界だ!」が好きでした。 (2008年08月08日 17時02分30秒)
>今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
>私もあなたの数多くの作品の1つです。 この一言に尽きるかと。。。 ところで、赤塚先生は荒木さんという写真家の才能も見出していたとか。。。 赤塚先生の感性って、スゴイです! 一瞬にして「ふるい分け」ができるらしいですから。 怖いくらいです。 ところで・・・ あの「テレフォンショッキング」って、元々はタモリさんが「お気に入りの女性アイドルに逢いたい!」という動機から作られたとか。。。 回り回って目的の女性に逢えると、そう思ってできたコーナーとか。 このことを知った時、私が脱力しましたよ。。。_| ̄|○ (2008年08月08日 19時36分24秒)
タモリさんのメガネ・・・ あれがフィルターなんだよ!?
あのフィルターを通さないと文字が見えないの。 で、傍から見ると白紙を読んでるみたいで・・・ギャクに。 ギャグの天才に捧げた最高の芸かもしれない。。。 (2008年08月09日 12時26分56秒)
本当に心のこもった弔辞でしたね。
確かに言われてみれば、タモリさんの芸風は「これでいいのだ」といった感じで、 赤塚不二夫さんの存在・影響が大きかったのが、今になってわかります。 発表会、参加できなかったのですね。 その後、指は治りましたか? 私も腱鞘炎がようやく治りかけてきましたが、まだふとした時に痛みます。 気持ちだけが先走ってしまい、指が上手く使えないのってかなり辛いですし落込みますよね。 ただひたすら治るのを待つしかないのでしょうが。。 お大事になさって下さいね。 (2008年08月09日 16時03分44秒)
JiM*NYさん、こんにちわ。
>赤塚不二夫さんには、もっと多くの作品を残してほしかったです。 そうですね。闘病生活がながかったので、最後に作品を残すことが出来ませんでしたね。 >タモリに関しては、もっと芸らしい芸をやってほしいですね。 >個人的には「タモリの音楽は世界だ!」が好きでした。 確かに、タモリは、最近、芸らしきことを全然していませんね。ここらで、もう一度、原点に戻って、イグアナや4ヶ国語マージャンに匹敵する芸を磨いて、披露してほしいですね。いつか、そんなひが来るのでしょうか。 タモリ on stageとか。 (2008年08月13日 00時12分09秒)
小雪さん、こんにちわ。
>>今、お礼を言わさせていただきます。赤塚先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。 >>私もあなたの数多くの作品の1つです。 > >この一言に尽きるかと。。。 ほんとうにそうですね。タモリの仕事や人生に対するスタンスは、まさに赤塚さんの教えの上に成立しているんでしょうね。 >ところで、赤塚先生は荒木さんという写真家の才能も見出していたとか。。。 写真家のアラーキーのことですか?あの過激な写真を撮る。彼は、オーストラリアはフランスなどでは、ちゃんとしたアーティストとして認められているんですよね。日本では、まだ色物的扱いをするひとがいて、確か、彼の写真展を企画したパルコの女性キュレーターが逮捕されましたよね。 日本の、芸術に対するお上の考え方の、なんというおろかなおとか、と思いました。 (2008年08月13日 00時16分43秒)
小雪さん
小雪さん、続きです。 >ところで・・・ あの「テレフォンショッキング」って、元々はタモリさんが「お気に入りの女性アイドルに逢いたい!」という動機から作られたとか。。。 >回り回って目的の女性に逢えると、そう思ってできたコーナーとか。 ああ、そういえば、そんな話、聞いたことありましたね。タモリらしいですね。 >このことを知った時、私が脱力しましたよ。。。_| ̄|○ あはは、視聴者をも脱力させる、タモリ・マジック。それが長寿番組の秘訣でしょうかね。 タモリには、もっともっと脱力してほしいですね♪ (2008年08月13日 00時19分34秒)
小雪さん、こんいちわ。
>タモリさんのメガネ・・・ あれがフィルターなんだよ!? >あのフィルターを通さないと文字が見えないの。 > >で、傍から見ると白紙を読んでるみたいで・・・ギャクに。 その話、ホントですか?ありそうな感じもしますね。ほんとなら、いかにもタモリらしいギャグですね。 >ギャグの天才に捧げた最高の芸かもしれない。。。 ホントじゃなくって、ほんとに白紙だったとしたら、それはそれで、すごいことなのですが、 もしかして、サングラス越しにしか見えない文字が。。。 と思ってしまうあたり、やっぱりタモリのギャグにやられてしまいましたね。 (2008年08月13日 00時22分24秒)
とっこ♪♪さん、こんにちわ。
>本当に心のこもった弔辞でしたね。 あれだけ、人生の恩師への心のこもった弔辞は聞いたことがありません。テレビの画面からでも、そのこころがひしひしと伝わってきましたね。 >確かに言われてみれば、タモリさんの芸風は「これでいいのだ」といった感じで、 >赤塚不二夫さんの存在・影響が大きかったのが、今になってわかります。 そうですね。「これでいいのだ」 ぼくも、この精神で行きたいと思います。 >発表会、参加できなかったのですね。 そうなんですよ。残念です。功労賞ももらえるはずだったんですが。。。(まあ、この歳で功労賞なんて、まだまだ早すぎますけれどね) >その後、指は治りましたか? おかげさまで、今はもうすっかり大丈夫です。 >私も腱鞘炎がようやく治りかけてきましたが、まだふとした時に痛みます。 >気持ちだけが先走ってしまい、指が上手く使えないのってかなり辛いですし落込みますよね。 まだ痛むんですね。それは気をつけてくださいね。 ぼくは、指の怪我のために、5年間ぐらい続けていた、毎日練習、という記録が途絶えてしまいましたが、かえって、そんなこだわりから自由になれてよかったあな、と思います。 指も手も手首も腕も、調子が悪いときは、休ませてあげたほうがいいのかもしれませんね。 >ただひたすら治るのを待つしかないのでしょうが。。 >お大事になさって下さいね。 ありがとうございます。怪我で試合に出場できなくなったスポーツ選手の気持ちが、ちょっとだけですが、分かったような気がします(笑) (2008年08月13日 00時28分54秒) |
|