テーマ:今日聴いた音楽(73613)
カテゴリ:音楽:ライブ
今年は、ジョン・レノンに関係する数字が70、50、40、30、10の年だ。
すなわち、 ジョン・レノン 生誕70周年 没後30年 当時40歳 ビートルズ結成50周年(当時はスチュワート・サトクリフがメンバーにいた) そして、オノ・ヨーコが始めた <ジョン・レノン スーパー・ライヴ>が第10回目 ということだ。 今年も12月8日がやってきた。ジョンがNYダコタ・ハウスで凶弾に倒れた日だ。 ちょうど今頃、武道館でのジョン・レノン・スーパーライブが盛り上がっている頃だろうか。 毎年、それとは別に都内の小さな某場所では、毎年、ジョン・レノン追悼コンサートをやっている。ジョン・レノンかビートルズの曲しか演奏してはいけない、という集まりだ。 ぼくも何回か参加させてもらったことがある。 今年は、久しぶりに参加させてもらおうとしたが、すでに出演者・お客さんの予約で満杯だという。それに以前にも増して、出演者が1年間、ずっと練習してきてのライブだという。 バンドでの参加者、ギターでの弾き語り、ウクレレ演奏、きっといろんな人が参加しているんだろうなぁ。 いつもの通りなら、最後に「 Happy Xmas (War Is Over)」と「Imagine」を 全員で合唱しているはずだ。 参加できなくて残念だが、いつもジョンが心の中にいるので、参加できなくてもいいのかもしれない。 ぼくもウクレレ演奏で、ジョン・レノンを追悼しよう。 ジョン・レノンの「ジェラス・ガイ」のウクレレ演奏 ジョン・レノンは平和を願い、国境や人種や宗教やあらゆる違いを超越した理想的な世界を思い、メッセージを発信してきたが、 一方で、自分がいかに非力で弱い存在であるかということを誠実に認識していたと思う。 だからジョンはとっても人間くさいのだ。 40歳になって活動を再開するまでのあいだ、ショーンの子育てに専念するハウス・ハズバンドであったジョンは、オノ・ヨーコとショーンと何度もお忍びで軽井沢を訪れたという。 そして、ジョンが残した一筆書きのような、シンプルでしかししっかりとメッセージをあるイラストたち。 そこには、ローマ字で「wabi sabi」などの日本語が書かれていた。 ヨーコによく「わびとさびはどう違うのか?」と質問していたらしい。 ジョン・レノンはとても日本文化に興味を持ち、そこに何かを見出していたのかもしれない。 そんなジョンが、もし生きていれば、ジョンによって咀嚼された日本文化がどういう形で表現されていただろう。そう思うととても興味深い。 そして、もし彼が今、生きていたならば、ジョンが駆け抜けた1960年代~1970年代と全く同じ問題、 「戦争やテロや民族紛争や恫喝外交や核実験など」 いやむしろもっと悪化して複雑になってしまった2010年をどう思い、どういうメッセージを発信していただろうか。 ジョンのメッセージは永遠に忘れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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