詩編第12編《詩編研究》 「7たび清めた銀」詩編12編 主の言葉は清き言葉である。地に設けられた炉で練り、七たび清めた銀のようである。詩編12:7 (口語訳6節) 【序文】人生のよるべき命の綱は「神の言葉」である。 【内容および区分】 この詩は「民族の嘆きの歌」に分類される。構造は交差配列(キアスムス)と呼ばれる様式を取り、X字のように交差している。日本語の翻訳では明瞭ではないが、ヘブル語では見事なほどに整然とした、都との得られた美しい詩であるという。特に、人間の偽りの言葉と神の真実な言葉とが対比された構造を持っており、神の言葉への深い信頼が歌われている。 序 助けを求める叫び 2節 a A 嘆き 2節 aー3節 B 祈り 4節 C 悪しき者の言葉 5節 D 主ご自身の言葉 * 6節 C 信仰者の言葉 7節 B 祈り 8節 A 嘆き 9節 【メッセージのポイント】 1)舌によって力を振るおう。自分の唇は自分のためだ。 わたしたちに主人などない ⇒ 傲慢なる偽りの言葉を語るな!(5節) この詩はまず冒頭から「神よ、お救い下さい!」と叫んでいる。 非常に厳しい状況が彼のまわりにあったのであろう。想像すると彼は偽る者たちによって、命の危険にさらされるというような所にまで落ちていた。続いて「主の慈しみに生きる人は絶え信仰ある人は消え去った」と歌っている。2ー5節まで繰り返し語られるのは「偽りの言葉」への嫌悪である。特に5節に「自分の唇は自分のためだ。わたしたちに主人などない」と敵がつぶやく部分が記される。この言葉は「神ともにいます(インマヌエル=神ともにいます)」をもじったことば「唇我らとともにいます」である。神の主権を認めず、傲慢に生きる人間の本質が鋭く表現されている。 2)「今、わたしは立ち上がり、彼らがあえぎ望む救いを与えよう」(6節) ⇒ 依り頼むは神の言葉のみ! 6節では、詩人は人間の傲慢な偽りの言葉に対して、神の真実な言葉を並べて対 称としている。「虐げに苦しむ者と呻いている貧しい者のために、今、わたしは立ち上がり、彼らがあえぎ求める救いを与えよう」と。これは多分、詩人が、神の託宣として受けた言葉なのであろう。彼は神の救いの約束の言葉に深く寄り頼んでいる。この聖句はイザヤ33:10との関連もある。詩人は自分の魂に、愛唱している神の言葉を語りつつ自分を励ましているのである。試練や孤独に陥り、また悪の誘惑に陥ったときに最終的にわたしたちが寄り頼むベきものは「神の言葉」なのである。神の言葉がわたしたちの人生を支える。ハレルヤ! 3)主の仰せは清い。土の炉で7たび清めた銀(7節) ⇒ み言葉は7たび清めた銀! 7節で詩人は歌う「主の言葉は清き言葉である。地に設けた炉にて練り、七たび清めた銀のよう」(口語)。「7たび清めた銀」とは、7は完全数を意味し、最高の純度と価値を持つ銀を意味する言葉。神の言葉は繰り返し精錬された純銀のようなものであると語る。長い歴史の風雪や迫害を通過し、時には血を流し、肉を裂いて語り続けたれた神の言葉。我らの信仰はこの「聖書信仰」なのである。 【結論】 世界が恐ろしい自己中心の罪の世界となろうとしている。このような時代われらは「7たび清めた銀」によって整えられた勝利の人生を歩むべき!ハレルヤ。 |